第128話 京の夜明け

 小早川繁平こばやかわしげひら救出作戦から一夜が明けた。

 と言うか、一条さんの配下から小早川さん救出成功の報せを受け、早々に京に戻ってみれば夜明け間近。


 仮眠も取らずに諸々の指示を出し、ようやく一段落ついたところだ。

 そして俺の眼前には見知った五人の顔。


 京での逗留先としている屋敷の大広間には、今回の作戦に関与した家中の主だった者たちが並んでいた。

 善左衛門ぜんざえもん明智光秀あけちみつひで百地丹波ももちたんば蜂須賀正勝はちすがまさかつ前野長康まえのながやす


 表情は様々だが、善左衛門以外は皆一様に安堵の色がうかがえた。


「落ち着かないようだな、善左衛門」


「京の警護を任されているのです。それにもかかわらず、このように室内にいては不安になるのは当然でしょう」


 善左衛門がりなんといった様子で返答した。

 京警備の指揮を右京、みかど警護の指揮を十助に任せて、自分がここにいるのが不安なようだ。


「京の警備なら、一条家と伊東家から増援があっただろ? 三好長慶みよしながよしが攻めてきても持ちこたえられるさ。心配するな」


「それはそうでしょうが……」


「もう少し、右京や十助を信用してやれ」


 不満そうな善左衛門にそう言うと、光秀が善左衛門を気遣うように言う。


「善左衛門様、一条様と伊東様が出された警備の兵は、既に配置についているとうかがっております。殿のおっしゃる通り、三好が攻めてきても持ちこたえられるでしょう。それどころか、今頃は三好長慶みよしながよし殿が京の屋敷で震え上がっているのではありませんか?」


 京の警護のため、一足早く上洛した竹中家。当然、それなりの兵力を引きつれてきていた。

 錦の御旗と兵力。


 加えて、北条ほうじょう家、今川いまがわ家、武田たけだ家、浅井あざい家、朝倉あさくら家、北畠きたばたけ家、畠山はたけやま家、姉小路あねがこうじ家。

 それぞれの名代を伴って上洛をしている。

 俺たちが仕掛けた米の相場操作で、大きな損失を出している三好家や毛利家が、おいそれと手出しできる状況ではない。


 そこへ、夜明けとともに到着した大船団。


 一条さんと伊東さんが率いてきた船団の噂は夜明け近い時間にもかかわらず、瞬く間に都中へと拡がった。

 婚姻関係を結んだ二人の若き当主、一条兼定と伊東義益。

 両家を筆頭に長宗我部家、相良家、肝付家、大友家の旗印がひるがえっていたのだから当然だろう。


「光秀の言う通りだ。三好長慶殿だけでなく、毛利元就もうりもとなりの爺さんも震え上がっているかもしれないぞ」

 

「殿、言葉をお控えください」


 善左衛門の言う通りだった。

 小早川隆景率いる一軍と刃を交えたことを思い出したのか、場の空気が一瞬で重くなった。


 その雰囲気に耐えかねたように、前野長康が落ち着かない様子で口にした。


「殿、九鬼嘉隆くきよしたか様はおいでになられるのですか?」


「嘉隆は船を大坂湾に駐留させて、海側の守備を任せている。ここへ呼ぶつもりはない」


 そろそろしびれを切らしたようだ。

 本題に入るか。


 俺は全員揃ったことを改めて告げ、話を切り出した。


「先ずは今回の小早川繁平殿救出作戦、ご苦労だった。事前の説明も十分でなく、納得がいかない部分もあったことだろう。配下の者たちへの満足な説明もできない状況でよくやってくれた」


 居並ぶ五人に視線を巡らせて続ける。


竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはる、皆に改めて感謝する」


 頭を下げると、善左衛門と光秀が慌てて俺の側まで飛んできた。


「と、殿っ! 家臣に簡単に頭を下げるものではございませんっ!」


「私は殿のご恩に報いただけです。いえ、まだまだ足りません。殿から受けたご恩はこの程度では返しきれません!」


 二人の勢いに押されて頭を上げると、善左衛門の困り果てた顔とハラハラと涙を流す光秀の顔があった。


 俺もすぐには言葉が出ず、無言で他の三人に視線を巡らせる。

 百地丹波は目を閉じて平静そのものだ。蜂須賀小六は、まるで見てはいけないものを見たように、頭を垂らして床を見つめている。


 さらに視線を下座に動かすと、口をあんぐりと開けた長康と目が合った。

 微動だにしない。

 放心しているようだ。


 個性って出るもんだなあ。


 俺は気を取り直して、


「善左衛門、分かったよ。頭を下げるのはここまでだ」


 そう告げて光秀に視線を移す。


「では仕切り直しだ。光秀、今回の作戦での死傷者の取りまとめの方はどの程度進んでいる?」


 死者と負傷者の怪我の程度を光秀にまとめさせていた。


「昼過ぎにはご報告できるかと」


「その報告の後で構わない。死傷者の家族の情報を添えてくれ」


「家族……です、か?」


「残された家族の生活が立ち行くようにしたい、頼む」

 

「畏まりました」


 返事をする光秀から善左衛門に視線を巡らせる。


「善左衛門。光秀のまとめた資料を基に、今回の作戦で死亡した者の家族に十分な見舞金を頼む。大怪我をした者たちもだ」


「畏まりました」


 即答する善左衛門から視線を外して、蜂須賀小六と前野長康を見る。


「善左衛門と光秀はもとより、小六と長康も聞いてくれ」


 小六と長康の顔が緊張で強ばった。


「死亡した者の親類縁者で武士になりたい者がいれば、優先して取り立てて欲しい」


「おお! それは喜ぶでしょう。早速そのようにいたします」


 小六が喜色をたたえた顔を上げる。


「慌てるな、まだ話の続きがある」


 俺が苦笑して言うと、小六が『申し訳ございませんっ』と慌てて平伏した。

 別の意味で表情を固くしている善左衛門に気付かぬ振りをして、俺は話を続ける。


「遺族に年若い未婚の女性がいた場合、持参金は竹中重治が面倒を見ると伝えてくれ。嫁ぐ先が武士である必要はない。商人であろうと農民であろうと面倒をみる」


「金額はどのようにいたしますか?」


 幸い、海外貿易と米の相場操作とで金はある。

 善左衛門もそのことは承知しているので、特に渋い顔を見せずに聞いてきた。


「金額は相談、だな。少なくとも嫁ぐ娘たちに肩身の狭い思いをさせるようなことはしない。そう約束してくれて構わない」


「あ、あの、殿……」


「どうした、小六」


「私の配下の者にも、そのように話をして、よろしいのでしょうか? 竹中様の家中のものではありません。川並衆というのも名ばかりの、た、単なるゴロツキもおりますが……」


 セリフがくどい。しかも最後は消え入るようだ。

 俺の言ったことが信じられないといった様子だな。


「私の命令で戦って死んだのだ。残された者の面倒を見るのは当然のことだろ」


「畏まりましたっ」


 小六の顔には驚きと軽い興奮が見て取れた。


 現代人の俺としては命を金でどうこうすることに抵抗はある。

 だが平成日本人としての倫理観にこだわっても、ろくな事にならないのも承知している。


 ここは倫理観や罪悪感から目を背けることにしよう。

 心を鬼にして人の命を利用する。


「では戻り次第、領内に告知いたし――」


 俺は軽く手を挙げて、善左衛門の言葉をさえぎった。


「すぐに告知してくれ。『竹中家は武将だけでなく、雑兵とその家族、親類縁者にも手厚く対応する』と。京と大坂の住民だけでなく、公家や諸大名の使者たちにも知れ渡るようにして欲しい」


 特に相場操作で大きな損失を出し、十分な資金のない大名の使者たちの耳に入るようにしたい。

 三好長慶、毛利元就。歯噛みしてもらおうか。


「なるほど。以前、殿がおっしゃっていた印象操作ですか。この機会に朝廷に対して当家の印象を良くするわけですな」


 光秀の言葉を受けて善左衛門と百地丹波が口を開く。


「そういうことでしたら、早々に手配いたします」


「都中に噂を拡げます」


「よろしく頼む」


 望外の対応なのだろう、皆の顔から緊張が消えている。

 よし、この隙に切り出そう。


「さて、皆も気になっているであろう今回の作戦の目的についてだ……」


 息をのむ音が響く。

 一瞬にして皆の顔に緊張が表れた。


「密書のやり取りを頼んでいる百地丹波はある程度想像がついているかもしれないが」


 密書を届ける使者を百地丹波の配下から出しているのは事実だ。


「東北の安東茂季あんどうしげすえ殿、最上義光もがみよしあき殿、関東の北条氏規ほうじょううじのり殿、遠江の今川氏真いまがわうじざね殿、四国の一条兼定いちじょうかねさだ殿、九州の伊東義益いとうよします殿と当家は裏で同盟を結んでいる」


 善左衛門と光秀の視線が百地丹波に向けられた。

 しかし、相変わらず微動だにしない。


 俺はさらに話を続ける。 


「善左衛門や光秀には既に話したと思うが、今回の即位の礼に招かれたのも、一条兼定殿が連名で献金をしたからだ」


「うかがっております」


「はい」


 善左衛門と光秀の答えに俺は無言でうなずいて話を続ける。


「そして、その裏で結ばれた同盟に今回救出した小早川繁平殿もいる」


「失礼ですが、小早川繁平様は既に隠居された身で、領地をお持ちではありません」


 この場の全員が抱いた思いを善左衛門が口にした。


「領地などなくても問題ない。彼自身に価値がある。小早川繁平殿は世界を変えるだけの医術の知識を持っている」


「世界?」


 以前話をした諸外国のことを思い浮かべているのだろう、善左衛門が不思議そうに見返した。

 その傍らで光秀が考え込むようにつぶやく。


「医術……」


「いまはそれ以上は言えない。彼の持つ医術の知識を今この場で説明しても、納得してもらえないだろう。何しろ、私自身、皆を説得する自信がない」


 そこで言葉を切るが、誰も口を開かなかった。

 静かな時間だけが流れる。


 沈黙を俺自身が破る。

 ゆっくりと噛みしめるように告げる。


「だが近い将来、小早川繁平殿の知識がこの国を救う。証明できるものは何もない。いまは私の言葉だけだ。それでも、信じて欲しい」


 わずかな時間訪れた沈黙。

 破ったのは目に涙を浮かべた光秀。


「殿のお言葉だけで十分です!」


「今更何をおっしゃいます。殿を信じております」


 続く善左衛門の言葉に小六と長康が賛同の声を上げる。最後に百地丹波が無言で平伏した。


「皆、ありがとう」


 俺は礼を述べ、思いがけず大きな布石となった構想を告げる。


沼田小早川ぬまたこばやかわ家の復権を狙う!」


 真先に光秀が顔色を変え、善左衛門と小六、長康が息を呑む。


「小早川繁平殿には沼田小早川家の当主に返り咲いてもらう。今回の戦いで小早川隆景こばやかわたかかげが大きな手傷を負った今、繁平殿の存在は毛利の喉元に突きつけた短刀となった」


 居並ぶ全員が目を輝かせた。

 武将である彼らには、医術の知識云々よりも分かりやすかったようだ。


「竹中家は畿内の平定はもとより、四国・九州と結んで毛利を討つ! そして、関東を荒らす長尾景虎を追い払う! 休んでいる暇はないぞ」


 善左衛門と光秀が口を開きかけたまま、表情を強ばらせた。

 小六と長康が虚ろな目を向けた。

 百地丹波が静かに目を伏せた。

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