6-9

「玲央、調子はいいのか?」

 浜へと辿り着いてすぐ、私達を見つけた順哉さんがこちらに駆け寄って来た。

「はい、心配かけました」

「まぁ、あんまり無理すんなよ」

 その時順哉さんの後頭部に、ビーチボールがぶつけられた。ボールは大きくはずみ、私の手元へ収まる。

「隙あり~」

 楽しそうな声を出したのは紗絵だった。

 長い付き合いをしているが、こんなに活発な紗絵を見るのは久しぶりだ。それだけ、このイベントが楽しいとも言えるのだろう。

「やったな~」

 順哉さんが私からボールを受け取り、それを持ってみんなの元へと戻って行く。ボールを紗絵に向けて投げた所で、こちらを振り向いて手招きした。

 それに従い、私達も皆と合流する。

 足を包む水温はそれ程高くは無かった。ひやりとした感触が、こそばゆさを感じさせる。

 膝の辺りまで水面が上がった所で、玲央君にこっそりと声を掛けた。

「大丈夫?」

「まぁ、このくらいなら」

「水が怖い訳じゃないんだね」

「そういう訳じゃない。ガキの頃から、泳ぐのが苦手なんだ。水につかるの自体は嫌いじゃない」

 若干顔を強張らせながら、唇だけ笑みを浮かべさせて呟く。

 虚勢も混ざってはいるのだろうが、そこは男の子のプライドもあるのだろう。気付かないふりをして、そうなんだ、とだけ返しておく。

 突然、玲央君が自分の顔の前に手を翳し、その直後、その手に収まるように、ビーチボールが飛んでくる。

「ざ~んね~ん」

 道子の笑い声が聞こえて来た。

 玲央君がそれを皆の元に投げ返し、それを祐一君が高く上に蹴り上げた。

 太陽にグングン近づいていったビーチボールは、そのまま海面に叩きつけられ、軽く水しぶきを上げる。

 そうしてそのまま、海に足を取られながらの、ビーチボールバレーへと発展した。

「大藤君!」

 祐一君が再びボールを蹴り上げ、玲央君の名を呼ぶ。

 玲央君はそのボールに手を翳し、落ちて来たタイミングでスパイクをかました。

 順哉さんに向けて。

「痛っ! 玲央、お前本当に具合悪いのか!」

 順哉さんにぶつかり跳ね返ったボールを、今度は道子が高く上げた。それが放物線を描き、私の元に飛んでくる。照準を合わせて、私も玲央君と同じように、順哉さんにスパイクを打ちこんだ。

「酷っ! 和葉ちゃんも、何で俺を狙うの!」

 笑い声に包まれ、いつの間にか皆で順哉さんに向けてスパイクをかまし、それを順哉さんが受け止めまくると言う、半ば特訓のような時間が続いた。

 順哉さんの息がちょっと上がった所で、紗絵がボールを掴み、そろそろちょっと泳ぎたいな、なんて呟いた。

「紗絵は泳ぐの好きだからね。私はちょっとパスかな」

 道子が紗絵の言葉を継ぐ。

 そこで泳ぎたい人は少し沖を目指し、残りは浜へと戻る事になった。

 当初の予定通り、玲央君は浜へ戻る組に入り、祐一君も道子と共に行動することになった。

「順哉さんはどうしますか?」

「あ~、久々にがっつり泳いでみるのもいいかな」

「和葉も泳ぐ?」

 紗絵に聞かれ少し迷ったが、結局泳ぐ方に付いていくことにした。

 理由は色々あるが、玲央君がこっそりと、お前は行って来いよ、と囁いてくれたのが大きい。

「んじゃ、私暫く行ったら戻ってくるから、適当について来てね~」

 言うが早いか、紗絵は身体を翻し、イルカのように沖へと泳いで行ってしまった。

 道子にパレオを預け、順哉さんと共にのんびり紗絵を追いかける。

「紗絵ちゃん凄いね」

「紗絵は小学校上がる前から、中学までずっと水泳やってたんですよ。だから、基本泳ぐのも好きだし、海に来てからはいつになくテンション上がりっ放しですね。珍しいんですよ? あんなにはしゃいでるの」

「へぇ、俺もスポーツは一通り齧ったけど、水泳はまた別だからな」

 平泳ぎでのんびりと泳ぎながら、順哉さんと会話を続ける。

 激しい太陽の熱が、海の温度を心地よい加減まで引き上げてくれている。泳ぎを進めていく程、海と少しずつ一体化していくような感覚と、爽やかな解放感を感じる。

 ――来て良かったな~。

「ねぇ和葉ちゃん。ところでさ、玲央の奴、怒ってなかったかな?」

「怒って、ですか? いや、それは無いと思いますけど……、一体どんな風に誘ったんですか? 玲央君、私達が来る事知らなかったみたいですし、順哉さんの軽音サークル時代の人達が来るとか言ってましたよ?」

「海行くから、連れてくって言っただけだけど、半ば無理やりだったしなぁ。後、俺がその軽音のやつらと遊びに行ったみたいな話を、玲央に何度かしてたから、それを覚えてたんだと思う。まぁ、メールしても、最近はずっと部屋に引きこもりっ放しだって言ってたし、スティグマの事もあってさ、鬱々としてんじゃないかと思ったから、引っ張り出したかったんだよね」

「優しいんですね」

「いや、大事なボーカルが腐ってるのは困るってだけだよ」

 悪戯っぽく笑う順哉さんの横顔は、その子供っぽい表情とは裏腹に、随分と大人びて見えた。いや、実際大人なのだから、何の問題も無いのだけど、失礼な話、順哉さんを大人だと感じた事など皆無だったから……。

 そこで、紗絵がもの凄い勢いでこちらに戻って来た。

「ふぅ、気持ちいい。やっぱいいわね~」

 恍惚とした顔に、紗絵ちゃん凄い泳げるんだねと、順哉さんが称賛の声を掛ける。

「これだけは、割と真剣にやって来たんでね」

 紗絵はさもありなん、フフフと得意気に笑った。

 私達は先程紗絵がタッチをして来たと言う、危険水域のラインを示すブイまで泳ぎ、浜辺まで戻って来た。

 すると海岸線の一角に、何やら人だかりが出来ている。

 ――何だろう?

 それを横目に訝しんでいると、浜に上がってすぐ、道子が声をかけて来た。

「お帰り。ちょっと、大藤凄いんだけど、何あれ? あいつ何者?」

 道子の言葉の意味が分からず、私達は道子に言われるまま人垣を掻きわけて、その中心を目指した。

 するとそこには、オブジェとも呼べる程立派な砂の城と、その傍らにはそれを真剣な表情で作る玲央君の姿があった。

 真剣な表情のまま、スプーンとストローで砂を削って行く姿は、まるで熟練の職人のようだ。

「すげぇな」

「あれ、小田原城だろ?」

 人ごみから、そんな声が聞こえてくる。

 玲央君が手を止め、一息を吐いて立ちあがった所で、周りの人達も完成と見たのだろう。小さくだが、拍手が沸き起こった。

「玲央君?」

 私の言葉に気づきこちらを振り向いた玲央君は、ああ、お帰り、早かったな、と拍手など他人事のように呟いた。

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