ステレオタイプ ―どこにもいない、普通の私

泣村健汰

1 始まりの音

1-1

 1 始まりの音


 7月。

 蝉のオーケストラが、喧騒にまみれた2年6組の教室内に、無遠慮に侵入してくる。授業中は暑さによる不快感を助長させているようにしか聞こえない彼らの鳴き声も、昼休み中はほとんど気にならないから不思議なものだ。

 私はいつものように道子と紗絵と机を囲み、お弁当を広げた。

「おお、和葉のお弁当、今日も華やかだね」

 道子が私のお弁当を褒めそやし、そして次の瞬間、流れるような手技で、私のお弁当から玉子焼きを掠め取っていき、そのまま自身の口の中へと放り込んだ。

「ちょっとぉ!」

 即座に批難の声を向けるが、道子は気にも留めずに、美味しい、和葉のおばさん最高、と我が家にいるお弁当の創造主へ惜しみない称賛の言葉を贈る。

「道子、何も言わないで取っていくのは流石にマナー違反だよ。って訳で和葉、私はタコさんウィンナー貰うね」

 私の返事を待たずに、逆側から伸びた紗絵の手が、つがいのタコさんウィンナーの片割れに手を掛けた。

 ――何か言えばいいってもんじゃない……。

「二人とも、自分のお弁当あるでしょ!」

「いやいや、こういうのはさ、人のをちょっと摘むから美味しいんですよ。ね、紗絵さん」

「そうそう。それに、和葉のお母さん本当に料理上手だしね」

 そう笑い合う二人の追撃を防ぐ為、私はお弁当箱の蓋を盾代わりにして、自らのお弁当を死守する。

 二人が認めている通り、うちの母親の料理の腕は、娘の私が言うのも何だかなかなかのものだ。

 今日も彩りも鮮やかにお弁当箱内に広げられた楽園は、玉子焼きの平野は荒らされ、タコさんウィンナーはその伴侶を失ったここに至って、未だその輝きを失ってはいない。

 敵の攻撃に意識を向けたまま、私は無傷の生還を果たしたきんぴらごぼうとご飯を同時に口の中へと放り込んだ。コリっと歯ごたえのあるごぼうが、噛むほどに旨味を口の中一杯へと広げていく。ご飯との相性も見事だ。

 ――うん、今日も納得の出来栄え。

 追撃を諦めた二人は、ようやくそこで自分のお弁当箱を取り出した。

 二人に向けて、私はお弁当箱の蓋を差し出し、当然の権利を主張する。

「一個ずつおかず分けてよ。じゃないと、不公平じゃない」

「え~」

 道子が不満気な声を上げる。

「え~、じゃないよ」

「仕方ないなぁ、はい」

 道子が渋々と言った感じで、私のお弁当箱の蓋にプチトマトを一つ乗せる。

「ちょっと、玉子焼きとプチトマトじゃ、全然割に合わないんだけど」

 私の抗議に対し、道子は悪びれもせずに、和葉ダイエット中なんでしょ、なんて言ってくる。

 確かに、先週の半ばにそんな事を思わず口走ってしまった事は認める。だけれども、それとこれとは話が別だ。

「プチトマトじゃご飯のおかずにならないじゃない」

「いやいや、分からないわよ~。意外と美味しいかもしれないわよ~。ケチャップとかもトマトから出来てるしね」

「どうでもいいけど、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ?」

 私達のやり取りを静観していた紗絵の言葉に従い時計を見ると、知らない内に随分と時間が経っていた。

「やっば、次体育じゃない」

 体育の授業が次に控えている場合、当然だが移動と着替えの時間が通常授業より余分に掛かる。

 私は諦めて、自分に与えられた今の状況を大人しく享受することにした。

「二人とも、貸しだからね」

「はいはい」

「分かった分かった」

 軽い返事が返ってくる。

 出来る限り急いで食べたつもりだったが、食べ終わった頃には、昼休み終了5分前だった。紗絵と道子は、早々に支度を終えて教室の入り口に立っていた。こういう時、自分の食事の遅さを恨めしく思う。

「和葉、トイレ寄りたいから先に行ってるけどいい?」

「ああ、うん、いいよ。すぐ追いかけるから」

 声だけでそう返事をし、私は急いでお弁当箱を片づけ、体操服を取り出し、立ち上がった。と、その時、机に足が引っ掛かり、バランスを崩してしまった。

 そのまま、前のめりに倒れてしまう、と思った時、私の腕は不意に後ろへと引っ張られた。そのおかげで、私の身体は床へと到達する前に、無事慣性の法則に逆らう事が出来た。

 振り向き、力の主を確認すると、そこにはヘッドホンを耳につけたクラスメートが立っていた。

 殆ど話した事が無いクラスメートだったが、辛うじて名前だけは出てきた。

 ――大藤君だ。

「あ、ありがとう大藤君。助かったよ……」

 助けてもらった礼をしたが、彼は耳につけているヘッドホンの為に聞こえないのか、何の反応も見せずに私を引っ張ると、ぶすっとした顔のまま、体操服を持ってさっさと教室の外へと消えて行った。

 助けてもらっといて何だが、感じ悪いな、と思ってしまった。

 暫くボーっと、彼が出て行った場所を眺めていたが、すぐに予鈴が鳴りだした。

 ――うわっ、やっば!

 自分の体操服を引っ掴み、私はそのまま全速力で体育館へと向かった。

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