セーラー服の天使たち

篠岡遼佳

セーラー服の天使たち

 昔々、あるところに。というくらい昔。

 全世界的に天使が降りてきた。

 

 それは、金の髪と湖水の瞳を持ち、少女のようで少年にも見え、そして背中には純白の翼を持っていた。


 彼らが降り立ったことで、世界は変わった。

 これを「降臨の日」と呼ぶ。

 いまの暦で言うと、ちょうど年始、一月一日のことであった。


 彼らは不老であった。

 食物も取らなくて平気なのだという。

 すべてに従順な彼らは、主に癒やしとして家族に迎え入れられていた。

 時代が人類の大繁栄を迎えると、天使もまた数を増した。

 その数の多さから戦争の道具のように使われたこともあった。


 しかし、そのような野蛮な歴史は完全に過去となった。


 ――ここは学校。 

 彼ら、天使のための学校だ。

 彼らはただただ奉仕の心だけを持ってやってくる。

 それだけでは社会で生きていけない。

 であるから、教育機関は早々に用意された。

 彼らの翼のように、広く、まっさらな心に、少しずつ知識を与え、自分で考えることを促す。

 そうして、持っている個性を伸ばす。

 それがこの学校の理念だ。


 私はここで、保健の先生などをやっている。

 医者の免許もあるが、いろいろあってここに落ち着いた。

 彼らはここで5年間を過ごし、巣立っていく。

 そしていわゆる、人間以外の少数民族――一般には異族と言う、幽霊や妖怪、妖精や精霊、話す獣達などに関わる仕事をするのだ。

 最近はそういうことになっている。


 そして私も、理念に基づき、幾人かの生徒を受け持っていた。

 普通の教師ではいろんなものが追いつかない場合の、特別措置だが。



 だるまストーブの明かりを、暖かいものとしてじっと見ていると、ガラガラと戸が開き、ひょこっと、よく磨いた硬貨の金色が顔を出した。

 金髪とは言っても、多種多様な色がある。

 これは、おそらく、彼らをもたらした【高き御方】(存在することはわかっているが、いまだに姿を見せない神性存在)が、優しい人物だったのだろう。画一的に同じ色にすることも可能だったはずだからだ。

 

「せんせー、お手伝いありますか?」


 その声はいつ聞いても耳に心地よい。さすがは天使だ。

 彼……いや彼女……、その天使の名は「森田あおい」といった。

 私が立ち上がると、あおいはトコトコとやってきて、ハグを要求する。

 頭一つ分は私より小さい。かわいいので撫でてやる。

 天使というものは、「人とのふれあい」が、エネルギーの元となるそうだ。

 仮にそれが解明されたら、エネルギー問題なんてあっという間に解決するだろうが、きっとそれでもハグを拒む人類はいるのだろうな。

 それを考えると、実に人類は愚かである。

 さらっとそこまで考えて、私は彼(便宜上こう呼ぶ)に言葉を返した。


「おいおい、いま式典の最中じゃないのか? 冬休み中に呼び出されるのなんて迷惑千万だろうが、出るものはちゃんと出ておけよ」

「いいえ、せんせいに会いに来たんです。今日は」

「一月一日はお前達の誕生日、大事な「降臨の日」だろ?」

「そうは言いますけどね、もうこれでほとんど卒業みたいなものです。三学期はお休みばっかりですからね。せんせいに会えなくなっちゃう」

「うーん、うれしいことを言うじゃないか。牛乳飲むか?」

「コーヒーの方がいいです」

「生意気」


 あおいの額をちょんとつついてから、私はインスタントの珈琲を入れる。

 インスタントとは言え、とても良い香りだ。

 二つのカップ両方にミルクと角砂糖を落として、さっさと彼にカップを渡す。

「ここで珈琲をいただくのも、ずいぶんになりますね」

「君は最初からここを巣にしていたな」

「ま、翼があるんで、つい巣作りしちゃうんです」

 ぱたぱた、とセーラー服の襟の下から延びる羽を動かすあおい。

 不思議な話だが、服に穴はない。

 翼は光に近いらしく、服くらい薄いと通り抜けてしまうのだそうだ。このあたりは、何年教師をやっていてもよくわからない。

 

「今日は、お礼を言いに来たんです」

「お礼? なんでまた、しかも俺に」

「先生と会ったことは、私にはすごくいいことだったんですよ。まだこの世界に降りたって20年も経ってませんけど、本当にありがとうございました」

「おいおい、どこに行く気だよ、別れの挨拶みたいじゃないか」

「――……私、帰ることにしたんです」

「なっ」


 思わず言葉が出る。

 天使が、帰る場所、それは一つだけ。


 天使は微笑む。

「もういいかなって、なんだか疲れちゃったんです」

「バカを言うな、そんなこと遣わした【高き御方】だって望んじゃいないぞ」

「でも……」

 天使は眉を寄せた。

 かなしいですね、とその横顔は言っていた。


「せんせいに会えなくなっちゃうのなんて嫌ですから」



「だから、すみません。コーヒー、ごちそうさまでした」

「待て」

「また次の、後輩のこと、よろしくお願いしますね」

「だから」

「あ、天使は葬儀とかしないんで、大丈夫ですよ。これで後腐れなく」

「話を聞け!」

 私は天使の両肩に手を置いて揺さぶった。

「自殺なんてするヤツがあるか! ふざけるな! だいいちお前は、勘違いをしている」

「何を……死ねばまた空の上の方に帰れるのが天使の特権ですよ?」

「お前は俺が――俺が、後腐れなくお前を忘れたり、別れたりすると思うのか?」


「……――ほんと、欲なんて出すもんじゃないですね」


 彼は、そのサファイア色の瞳いっぱいに涙を溜めていた。


「あなたに止められるのくらいわかってますよ。だから最後に会いたいなんて思うんじゃなかった……!」


「あのな」

「長々と生きて、何を成せというんです! こんな命なんて、さっさと……」

「だから話を聞け。森田あおい」

「……」

「死ぬな。生きていてくれ。どこに居てもいい。どんなに遠くても。お前が元気でやっているってことさえわかれば、」


 俺は生きていける。


 


 天使はぽろぽろと涙を流し、俺に抱きついた。

 

 俺は天使の髪をそっと撫で、人生で叶えられる約束がいくつあるのか、そんなことを考えていた……。



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セーラー服の天使たち 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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