Hey my Kitten, my Kitten

「被害者?の名前…は、アキです。漢字とかはありません。病院だと、カタカナで書かれます。ええ。本当に可愛い子です。本当に……可愛い……猫で」

「猫」

 つい先日関わった事件は酸鼻を極める連続殺人事件だったことを考えると、落差が激しい。

 僕としても事前審査がどういった理由で通ったのかはよくわからないが、今回の捜査対象は猫であるらしかった。手渡された写真には目の前の女性とその彼氏らしき人物、そして灰色の毛並みを持つ愛嬌のある猫が写っている。

 都内某所の喫茶店。としかここに書くことはできないけれど、とにかく都内の某所で、僕と慧は“依頼人”から事情を聞いていた。慧の能力柄、これが事件への対応のうえでどこまで必須の行為なのかはわからないけれど、何しろプロセスとして決まっているのだから仕方がない。それに、生の情動に触れる機会は多い方がいい。慧の今後に対しても。

 慧は行儀の良い姿勢のまま、依頼人——春原花純はるはらかすみの言葉を受け止めている。聞いているのかどうかはわからないが、おそらく耳には入っているだろう。今は黒い手袋はしていないが、サングラス状をしたとある目的のための装置であるNPMSを装着している。彼の能力が、無用に他者に影響を与えないための措置だ。

 ちなみに、僕らは警察官のコンビ、ということになっている。本当のことは、伝えようもない。

「アキちゃんがいなくなったのは、いつ?」

 ゆっくりとして、いつもより少しだけ低く、けれど穏やかな声音。慧が依頼人に話しかける際に、最も使用頻度が高いトーン。特に女性の依頼人に対して。

「一昨日の夜です。私が大学から部屋に帰ると、窓が少しだけ空いていて……鍵をもしかしたら閉め忘れたのかもしれません。あの子なら多少は高い所でも怪我なんてしませんし、少しやんちゃなところもあったので、どこか遊びに行ったのかなって……なら待っていたら帰ってくるかもしれないと思ったんですけど……そしたら昨日、その。spArrowsに動画が、上がっていて」

 そのときの感情を思い出したのか、徐々に涙声になってしまい、最後の方は聞き取れなかった。慧の右手がぴくりと動いたのは、きっと彼女に肩に手を置くべきか迷ったためだろう。大丈夫、僕でも迷うシーンだ。そんな目でこちらを見ないでくれ。

 spArrowsとはソーシャル機能を持った動画サイトだ。現在日本で覇権を握っているプラットフォームであり、そこに投稿された動画は瞬く間にネット上へ広まっていく。良くも悪くも。

 事前の調べで、最近spArrowsを騒がせている動画群については知っていた。人家からペットを盗み出しては、僕の口からは描写することが到底できないような手続きによって暴虐の限りを尽くし、あろうことかその様子を動画に収めてアップロードするという異常者。虐待動画をアップロードする2日前にはその対象を紹介するだけの動画を必ず上げており、それが視聴者の怒りをより増幅させていた。

 春原花純の話を聞いていくと、その紹介動画が昨日上がったらしい。とすると、残された時間は少ない。

「なるほど。しかし、まあとにかく、一旦は現場を見てみないとね」

 努めて明るく言いつつ、僕は立ち上がる。

 慧の能力を思えば、聞き取りなど最終的には儀式でしかない。とはいえ、人は儀式によって情動を喚起させてきたのもまた事実だ。


 人の情動を媒介する新たな粒子が極秘に発見されてから十数年が経った。どのように実行したのかは不明だけれど、その事実は政府によって完璧なまでに秘匿され(ノドゥス粒子と名付けられたが、それが発見者の名前でなく正式名称でもない辺りから察するべきなのかもしれない)、僕らのような特殊な立ち位置の人間や、政府の暗部と関わりを持つ闇社会の人間だけが知っている。

 発見後、街の様子は少しずつ変わっていった。人の情動に干渉する手段を得た政府は、風景やオブジェクトが情動に与える影響を徹底的に調べ上げたが、その成果が既に街に溢れている。一般市民にとっては、多少独特なセンスの構造物が増えた、程度にしか思わないだろうけれど、それはひっそりと心の内側に入り込み、政府の思惑に沿って動作する。僕らに配給されているNPMSは、視界におけるノドゥス粒子の状態を可視化したり、またその権限に応じて情動干渉を排除する機能を使用することができる。慧の用途はまた別だけれど。

 僕も自分用のNPMSを装着して、春原花純の暮らす部屋へと向かった。


「……どうぞ、お入りください。狭いところですが……」

 言いながら、春原花純は部屋の奥へ歩いていく。そこへ、慧は僕にだけ聞こえるように言う。

「彼女からは強い恐れを感じる。それだけならわかる。でもねカナエ、これは大事なものを盗まれたのとは少し違う色合いだ」

「恐れ、くらいなら僕もNPMSで見えたけれど。慧にはやっぱりそこまでわかるんだね」

 NPMSのノドゥス粒子を可視化機能では、大まかな濃度や種類しかわからない。けれど慧は、かなり高い解像度で把握することができる。

 情動粒子感応者クラヴィス。特殊感応者とも呼ばれる。ノドゥス粒子発見と時を同じくして、全世界的に現れ始めた能力者。

 慧の能力の一つは、この高解像度での情動検知だ。

 あと二つの能力は……発揮するような事態にならないことを祈っている。

「彼女の恐れは、具体的だ。恐れるべき相手を知っている感じ」

「うん……?」

 spArrowsで犯人のアカウントを知っているからだろうか。慧の情動検知はあくまで本人の主観に基づくものであり、どちらかといえばそれをどう表現するかの方が難しいらしい。

 首をひねりながら部屋に踏み込む。女子大生の部屋、と聞いて特に違和感のあるものはない。都内らしい1Kのマンション。階数は2階で、侵入も無理ではないだろう。荒らされた形跡は全くなく、聞いてみれば盗られたものも猫以外にはないという。

「カナエ」

「うん。春原さん、ちょっとこちらの側に寄ってもらえる?」

 慧のためにスペースを開ける。春原花純は怪訝そうにしながらも従ってくれた。

 慧は部屋の端から、絵画鑑賞をするかのような動きで虚空を眺めながら、移動する。

 僕はNPMSの可視化機能をオンにする。

 慧はノドゥス粒子の“溜まり”を見つけては観察し、匂いを嗅ぐように顔を寄せ、質感を確かめるように手を伸ばす。

「何をしてるんですか……?」

 粒子が見えていない、存在すら知らない春原花純は明らかに困惑している。

「あー……性癖、といいますか」

 僕も僕である。

 もう少し誤魔化しようはなかったのか。

「勘を冴え渡らせるルーティーンみたいな」

「ルーティーン」

 納得したかどうかはわからない。顔を見るのが怖い。まあ、この子がどのように理解していようが、僕らの関知することではないのだけれど。

 というやりとりが聞こえていたのかいないのか、慧は部屋を一周し終えたかと思うと、おもむろに部屋の外の一方向を指差した。

「逃げたのは、あちらの方角だね」

 この確信に満ちた声に、春原花純の不安が更に増したのは、NPMSを通じなくても感じ取れた。

「あの、どうやってそれが…?」

「企業秘密」

 到底警察の放ってよい言葉ではないだろうが(企業?)、とりあえず僕に説明する気がないことは伝わったようだ。彼女の不安を取り除いたところで事件にも僕らの目的にも影響はない。それよりも、“残り香”が消える前に痕跡を追うことの方が重要だ。

 春原花純を先に部屋の外に出し、慧に感想を尋ねる。犯人の情動について。

「こちらも、変だよ。興奮しているのはわかる。でもそれと同じくらいに、犯人も恐怖を感じてる。失敗への恐怖というよりは……義務?」

 何だろう。独自の信仰があるのか、強迫観念か。

 これはレアなパターンが手に入るかもしれない。

「……それと、この容器。普通じゃない」

 慧が珍しく眉根を寄せるような表情を見せながら、僕に手渡してきたもの。犯人が残したものだろうか。親指くらいのサイズのガラス瓶の上下に、エキゾチックな文様が施されたカバーが装着されている。

「濃縮された、快楽の粒子が入っていたみたいだ」

 慧は汚れたものを見るような目で、小さな容器を眺めていた。

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