ショートショート Vol4 並木通りの喫茶店

森出雲

並木通りの喫茶店

 古い石畳の並木道。

 春に小さな花を咲かせ、それが終わると綿毛の種子を飛ばす。微かな風に舞うその種子は、瞬く間に地に降り注ぎ、石畳を埋める。


 彼女は、降り積もった綿毛の中を、まるで踊るように歩く。地元の人なら、何一つ気兼ねすることなく歩く道を、彼女一人、綿毛の種子を気遣っているようだ。

 赤いピンヒールのパンプスに黄色のフレアミニのスカート、この時期にショートトレンチのコートを着ているのはきっと彼女くらいだろう。


 彼女は、散々綿毛の種子と格闘したあと、突然腰に手を当てて足を止めた。

 大きくため息を一つつくと、片手で長い髪を掻き揚げ、長く続く古い石畳の路の先を見つめた。『もう……』 そして、足元の綿毛の種子を蹴り上げる。長く形の良い足が、白い綿毛を舞い上げる。


 彼女は、再び歩き出す。

 一歩一歩、綿毛の種子を蹴り上げるように歩く。彼女が一歩歩くたびに、白い綿毛が舞い上がる。

 そして彼女は『ふふふっ』 と楽しそうに笑った。


 古い石畳から、木の一枚板の階段を三段上がるとウッドデッキのあるカフェ。香ばしい深煎りのブラジル産のコーヒーの香りが、この石畳の並木道に見事に調和して、店の前を歩く多くの旅人を誘う。

 彼女もまたそんな香りに誘われた犠牲者の一人となった。


 黒ズボンと黒シャツ、僅かな口ひげを蓄えた店員が木製のドアを開けて店内へ誘う。でも彼女は、店内へは入らず、ウッドデッキの路側の席を指差す。

 店員は爽やかな笑顔で彼女の指差したテーブルに降り積もった綿毛の種子を手にかけたタオルで払い、椅子を引いた。彼女は店員に『一番このウッドデッキに似合うコーヒーを』 と注文し、ショートトレンチのコートを脱ぎながら椅子に座る。バックからマルボロライトのメンソールを取り出し、細身の銀製のジッポーで火を着けた。


 一本目のマルボロが三分の二ほどになったとき、店員が銀盆に真っ白のカップを乗せて戻ってきた。彼女は目の前の灰皿でマルボロを消すと灰皿を脇へ寄せた。

 カップからは、深煎りのブラジル産のコーヒーの香りが漂う。店員はにっこり微笑むと店内に消えていった。


 彼女は長い指を絡ませ、白いカップを持ち上げる。そしてゆっくりと香りを楽しみ、グロスで光る唇をカップに寄せる。

 一口、深煎りの苦味が際立つ。

 二口、ブラジル産の独特な酸味が映える。

 三口、彼女は毎日でも飲みたいと思った。


「ねぇ、あなたの眠る街って、こんなに素敵だったのね? ずるいわ、一人で毎日楽しんでいたのね。何一つ、教えてくれないんだもん。そっちはどう? 天国でも美味しいコーヒーは飲めるのかしら? もう帰るの止める。あなたが楽しんだこの街で、私も楽しむから」



 綿毛の種子が風に乗ってカップに落ちる。

 彼女は、ふふふっと笑って、また、コーヒーを飲んだ。




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ショートショート Vol4 並木通りの喫茶店 森出雲 @yuzuki_kurage

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