第25話 雨の日

 すがすがしい朝だ。最近、日に日に暖かくなってきたというのに今日は肌寒い。

 原因は小雨が降っているからだろう。


 ここに来てから初めての雨の日になった。

 いやあ、モニカ様様だよ。屋敷に引っ越ししていなかったら、炊事をするだけでも濡れてしまうからさ。

 

 小雨だし、風も吹いていないから窓枠から雨が降りこんでくることもない。

 しかし、今日の雨で確信した。屋敷の修繕を急がねばならんな。

 リグニア王国では、夏になる前に雨季がある。日本の梅雨のようにジメジメはしていないし、期間も二週間ほどと短い。

 だけど、まとめてどばあっと雨が降るから、なかなかの威力なんだよな。

 空きっぱなしの窓だと、中がずぶ濡れになってしまう。

 

 窓枠から外を眺めていたら、いつの間にかメイド姿に着替えを済ませたモニカも横に立って空を見上げていた。

 

「雨ですね」

「うん。来てからずっと雨が降らかなったのは幸運だった」

「はい。杵と臼も準備できましたし。小麦も昨日収穫しております」

「お昼までに雨がやまなかったら予定を変更しようか」

「承知しました」


 モニカはお腹の辺りに両手を添え、頭を下げ踵を返す。

 しかし、俺は彼女が動き出す前に呼び止めた。

 

「あ、待って」

「はい」


 モニカは体ごとこちらに向きを変え、口元だけに僅かな笑みを浮かべる。

 

「お水なんだけど、これから精霊魔法で出しちゃうよ。井戸まで行くと濡れるだろ」

「お心遣い、感謝いたします」


 といってもどこに水をためようか。ドラム缶なんてものはないし、お風呂ももちろんここにはない。

 いいや、ちょろちょろと何度も出せばいいか。水を出すだけなら俺でも調整できる。

 シンクに蓋をして水が流れないようにして、水の精霊魔法で水を出す。

 あとは屋敷の中にある鍋やら木桶やらに水を満タンまで入れて、一旦水を出すのを終わらせた。

 料理の後の汚れた皿なんかはウォッシャーで洗ってしまえばいい。

 

 今朝は丸パンを半分に切ったものにレタスと大豆を煮込み潰したペースト、キュウリを挟んだサンドイッチに少しだけあぶって塩を振ったカリフラワーにトマトのサラダだ。

 簡単な調理だけど、これはこれで中々おいしいものなんだぜ。

 大豆を潰したペーストってのはこっちに来るまで慣れない食べ物だったけど、コルドとガルムで味付けしたこいつは気に入っている。

 どちらかというとパンよりご飯と一緒に食べたいものなんだけどさ。

 というのは、ガルムってのは醤油に近い味わいで、醤油は大豆からだけどガルムは魚を原料にしている、のだそうだ。

 俺にとっては味さえ似ていれば、原料は気にしない。ははは。

 そうそう。リグリア王国には米もある。だけど、脱穀するのも手間で、焚き上げるのもそれなりに手間みたいなので日本のようにご飯として食べることは少ない。

 レストランなんかでは、手の込んだ料理の一つとして供されることはあると聞くし、モニカによると専門店もあるとのこと。

 もちろん、種もみ(お米の種)も持ってきているぞ。陸稲、水稲の両方をな。育てるとしたら畑で栽培できる陸稲にしようと思う。

 収穫までは難なくできるが、白米にするまでが手間だよなあ。だけど、小麦がひと段落ついたら陸稲を育ててみたいな。

 

「いただきます」

「いただきます」


 モニカと俺の声が重なる。

 手を合わせ、さっそく丸パンを片手で掴み、もしゃりと。

 

「朝からありがとうな。とてもおいしいよ」


 特に大豆ペーストの味付けが絶品だ。さすがモニカだぜ。


「ソウシ様もお水をありがとうございます」

「時にモニカ」

「はい。何でしょうか? ソウシ様」


 指を一本立て神妙な顔でモニカに尋ねる。

 

「ガルムって自作は難しいのかな」

「ちょっと難しいかもしれません。ガルムに使うのは海の小魚です。イワシや成長するまえのアジ、サバなんかも含まれています」

「海かあ。ひょっとしたら山や森を超えたら海があるのかもしれないよな」

「そうですねあるかもしれません。『未開』ですので、詳しい地理が分かっておりませんし」

「魚さえあればガルムって作ることができるのかな?」

「はい。自家製のガルムは作成したことがあります。ですが、近くの村まで買いに出られた方が確実かと」


 だよなあ。

 海があれば自作でいいと思うんだけど、海があるかないか分からない。

 少なくとも、数十キロ以内にはないだろうな。海に近いと風に潮がまじるだろ? ここにはそんな気配は微塵もない。

 

 空を飛ぶ魔法でびゅーんと山や森を越えて見に行ければいいんだけど、残念ながら飛行魔法なんて便利なものはないのだ。

 歩くしか、いやせめて馬やロバがあれば移動も速く……無いものねだりしても仕方ない。

 本当に困ったら村に行くのも有りだ。だけど、元聖女ではないとバレないように細心の注意を払わねば。

 髪色と声が元聖女の時と全然違うから、早々ばれやしないと思うんだけど……もしバレたらせっかく神官長やフェリシア、モニカが尽力してくれたことが無駄になってしまう。

 なので、お手軽にほいほい村へ行くわけにはいかないのだ。

 ぜっぱ詰まったとしても、万全の策を練ってからにしなきゃな。

 

 つんつん。

 あぐらをかく俺の背中をつんつんと何かが押してくる。


「どうした? ニク」


 モニカが対面に座っているから、犯人はアンゴラネズミのニク以外に有り得ない。


「これはやらんぞ」


 ニクは鼻をひくひくさせながら、はっはして口元を俺の顔に寄せてくるが、奴に届かないよう手に持った丸パンを高く掲げる。


「お腹が空いているのでしょうか」


 腰を浮かしたモニカがニクの顎をごろごろさせた。

 ニクは気持ちよさそうに目を細めるが、また食べるのを諦めていない様子だった。

 対するモニカは「少し待っててくださいね」といって立ち上がると、キッチン脇に向かう。

 お、おいおい。丸パンを皿の上に置いて行くなんて「食ってください」と言っているようなものだぞ。

 ニクがひくひくする前に、モニカの分の丸パンをもう一方の手で掴み取る。

 しまった。サラダにまで手が回らん。

 しかし、幸いにもニクはサラダには興味を示さず、今度は俺の背中に乗っかって何とか丸パンに食いつこうと頭を伸ばす。

 

「お待たせしました」


 平皿に大麦を乗せたモニカが戻ってきた。

 すると現金なもので、ニクは即座に丸パンをあきらめ大麦に食いつく。

 

「ほい」

「ありがとうございます」


 モニカに丸パンを渡し、食事を再開する。

 

 ◇◇◇

 

 食事の後、モニカに手伝ってもらって臼と杵を二階まで運び込む。

 女の子に重い物を持たせて……何てことは言っていられない。ここには俺とモニカしかいないのだから、不本意であっても手伝ってもらわなきゃならないんだ。

 臼は重いからな……。階段を登る時に万が一落っことしたら床が抜ける。

 

 倉庫にしている部屋の隣の部屋に臼と杵を置き、小麦の束もその部屋に持ってきた。

 部屋は全部で六つあって、倉庫に一部屋使い、一つはベッドルーム、もう一つは執務室、四部屋が空き部屋だ。

 空き部屋のうち一つを今回、臼と杵がある粉ひき部屋としたってわけさ。

 

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