第11話 借りてきた猫のようになる拘束
気づくとサクラ先生の事務所に僕らは戻ってきていた。
次の瞬間、サクラ先生とその助手のピンクのスーツの子が、僕とグロリオサの両手を掴み、素早い動作で僕たちの両手を縛った。僕はサクラ先生に押し倒された。関節技か何かだろう、少しの力でも相手を押し倒す方法を知っているのだ。そのままサクラ先生は僕の両足をロープで縛った。グロリオサも両手と両足を、ピンクのスーツの子に縛られていた。僕は訳が分からず、抵抗する気にもなれなかった。彼女たちのこの素早い動作に半ば感心したほどだった。
「ご依頼は承りました」床に横になった僕の上に覆いかぶさるような体勢で、サクラ先生は言った。先生の顔が近い。こうしてみると先生は本当に若い。肌もきめ細かく白い。腕も腰も細い。僕は手足の自由を奪われながら、彼女の身体を観察した。
「あなたたちは拘束します。しかし必ずやご依頼は承ります」
「拘束?」とグロリオサが言った。
「あなたのような美人に押し倒されるのも悪くない気分ですね」と試しに僕は言ってみたが、先生は無視して話を進めた。
「ジャン・クローバー博士、並びにグロリオサ・ペンハー。あなた方を殺人の容疑で拘束します。と同時に、あなた方は私の依頼人です。これを忘れぬように」彼女は威厳たっぷりに言った。
「忘れたくても忘れませんよ」
サクラ先生は起き上がり、僕が抵抗しない事を見るとそのまま奥の部屋へ行ってしまった。
「ごめんなさいねえ、しばらくの辛抱ですからあ」
ピンクのスーツの子が暴れるグロリオサを羽交い絞めにしながら言った。こんなにも言動と行動が一致していない人間を見るのは初めてだ。傍から見れば、まるで歯医者で嫌がる子供をなだめつける歯科助手のようでおかしかった。頭を働かせればこんな拘束具くらいなんとかできたかもしれないが、何となくそんな気分になれなかった。ここは素直にサクラ先生に従う方が得策のようだ。
「ごめんなさいねえ」と言いながら、申し訳なさそうにピンクのスーツの子がガムテープで僕らの拘束を強めた。グロリオサは怒り心頭で、両足をオットセイのようにバタバタと動かしていたが、大して状況は変わらなかった。ピンクのスーツの子は「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しながらも、僕たちの両手にガムテープを貼った。口にガムテープを貼られなかっただけ、彼女は優しい人間なのかもしれない。
「こういうことはよくある事なのかい?」と僕はガムテープを貼られながらピンクのスーツの子に聞いた。
「男を縛ることは」
「うーん、年に数回ありますう」と何でもないように彼女は答えた。
「でもクローバーさん、あなたは私が今まで見た中で一番すごい人です」
「それは光栄だ」
「あなたってなんだか不思議な人ですう」僕は適当に会釈した。そうかもしれない。ねえ君、僕はね、僕自身にも僕がわからないんだ。君、そういうのってわかるかい?
僕とグロリオサは両手両足を縛られたまま、床に寝転がされた。ピンクのスーツの子が監視のためにその部屋で、僕達なんて存在しないかのようにお茶を飲んだり書類を片付けたりした。拘束した人間と共に仕事をすることに、彼女が慣れ過ぎているだけのことかもしれない。グロリオサも初めのうちは抵抗していたが、それが無意味だと悟ったのだろう、やがて大人しくなった。
「動物病院に連れて来られた犬みたいだ」と僕は笑った。彼女は僕の発言に気が触れたみたいで、その後一切僕と口を利かず、目も合わせてくれなかった。その態度が余計に子供らしくておかしかった。
彼女は苦し紛れに「美人にはデレデレのくせに」と悪態をついた。僕は何か言い返そうとしたが、上手い切り返しを考えているうちに、ピンクのスーツの子が立ち上がった。
「すみません、あともう少しの辛抱です」
言い終わらないうちにドアのベルが鳴った。「はい」とピンクのスーツの子が出て行った。ドアを開けると上質なスーツを着込んだ男二人が中に入って来た。
「彼がクローバー博士かね」と一人の男が言った。
「はい、そしてこちらがミス・グロリオサです」と、ピンクのスーツの子が床に横たわったままの僕たちを手で示した。何て雑な扱いだ。僕たちの扱いは人権侵害に引っかからないのだろうか。
「初めまして」と僕は言ってみたが、やはり男にも無視された。僕は今日、何回人に無視されただろう。奥の方からサクラ先生が出て来た。
「いかにも。彼らが私の話した二人です。ところで、依頼したもう一人は確保しましたか?」サクラ先生は男に向かって堂々と話しかけた。男と並ぶと、サクラ先生の小ささが際立つ。
「今、向かわせております。しかし遠いので詳しくはどうなっているかわかりません」男はサクラ先生にたじろいでいた。
「よろしい」と彼女は言った。
「じきにこちらに向かってくるでしょう」男は言い訳でもするように付け加えた。
「そう」とだけサクラ先生は言った。僕とグロリオサは床に横たわったままだった。
「彼らを連れて行っても?」と男が聞いた。
「無論です」簡潔な言葉だった。僕とグロリオサは男たちに担がれた。そのまま事務所から出て階段を下り、外に出た。僕たちは手足を拘束されたまま馬車に乗らされた。勿論、床に。
「どうぞ」と男が馬車引きに命じた。
サクラ先生はついてこなかった。ピンクのスーツの子が事務所からわざわざ降りてきて、見送りに来てくれた。僕は彼女に会釈した。大丈夫とでも言うように。彼女は心配げな表情を崩さないまま軽く手を振った。
やがて馬車は動き、事務所は僕達の後ろに遠ざかっていった。床に寝ているからか、たくさん頭を打った。もうどこの道を走っているのか僕にはわからなくなった。馬車の走りは荒かった。何度も頭や腰や足を打った。グロリオサはもう疲れていたのか、何も抵抗しなかった。借りて来た猫、と僕は思ったが、口にはしなかった。
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