【短編】エスコートじゃなくて、ただ一緒に歩きたかったの

神村香名

【短編】エスコートじゃなくて、ただ一緒に歩きたかったの

里奈と翔が出会ったのは、山のサークルだった。里奈が23歳、翔が24歳の冬だった。

山といっても高い山に登るのではなく、ハイキング程度のサークルだった。


里奈は22歳の時に、初めて母親と尾瀬ヶ原に行った。

高くそびえる燧ケ岳と至仏山に挟まれた湿原、一面に咲いた黄色いニッコウキスゲに心を奪われて以来山好きになったのだった。

けれども、ひとりでハイキングに行くのは気が引けて、思いついたのがハイキングサークルだった。

山関連の雑誌の後ろの方に載っているサークルのメンバー募集の記事を見て、20代の女性がひとりで参加しても大丈夫そうなところを見つけて、コンタクトを取ってみたのだった。ちょうど、月に一回の定例会が新宿であるというので参加することにした。


メンバーは30代が中心で、約10名程のサークルだった。

23歳の里奈は一番若く、次に若いのは24歳の翔だった。

小柄だけど整った顔の翔に、里奈はすぐに好感を持った。

話してみると口数は多くないものの、しっかり話を聞いてくれる誠実な印象を持った。どうやら、里奈が入ったひと月前に、翔はハイキングサークルに入ったばかりだということがわかった。


「今週末は三頭山に行きます。参加できる方はそれぞれ現地集合でお願いします」

リーダーの40歳くらいの男性の岡田がそう言って、三頭山について説明を始めた。

今回は、JR青梅線の武蔵五日市駅からバスに乗って都民の森に行き、そこから2時間弱かけて山頂に向かうコースにすると説明をしていた。

「里奈ちゃんは、どうやって行くの?」

翔が、里奈に顔を近づけて小さい声でそう聞いた。里奈は整った顔が近づいてきたことにドキッとした。

「もしよかったら、途中で待ち合わせて一緒に行かない?」

「はい。いいですよ。一緒に行きましょう」

ドキドキする心臓の音が翔に聞こえないかと心配しながら、里奈は平静を装ってニコッと笑って答えた。


当日、ふたりは7:30に新宿駅のJR中央線のホームで待ち合わせた。

里奈はこの日のために山の装備を新調し、マゼンタピンクで統一していた。翔は紺色で統一した装備だった。

サークルの他のメンバーは、中央線沿線に住んでいる人が多いようだった。

「サークルの方に途中で会うかもしれませんね」

そう言いながら、ホームに入って来たJR中央線の中央特快・高尾行に乗り込んだ。車内はハイキングに行くと思われる中高年の人でいっぱいだった。

席はいくつか空いていたけれど、並んで座れそうになかったので、里奈たちはとりあえずリュックを下して、反対側の扉の脇に移動した。

「結構、混んでいますね」

里奈は、何気なく言ったつもりだったけれど、翔は、里奈が座りたいと思っていると感じたのか

「これからハイキングするし、空いている席にとりあえず座ろうか?」

と、先に空いている席に座った。そして、

「あそこ空いているから、里奈ちゃんも座ったら?」

と言って、翔の座った反対側の席を指さした。

「ああ、はい、そうですね……」

言われるがまま、里奈は座った。


待ち合わせた意味がないな……


里奈は、そう思いながら斜め前の翔を見ると、翔は満足そうに笑い携帯電話をいじりだした。里奈も仕方なく携帯電話をいじっていて、ふと見上げると、人が混んできて翔の姿は全く見えなくなっていた。


本当に、意味がない……


「里奈ちゃん?」

そう目の前の人に言われて顔を見たら、リーダーの岡田だった。岡田は、吉祥寺駅から乗ってきたようだった。

「朝、早くて大変だったでしょ」

そう言われて、適当に会話をしていたら、次の三鷹駅で隣に座っていたサラリーマン風の男性が下りて席が空き、当然のように岡田が座った。

岡田が座ったためできた目の前の隙間から、翔が座っているはずの場所が見えた。けれど、翔の姿がなく、代わりに白髪のおばあさんが座っていた。驚いて周りを見回すと、翔が、さっき里奈とふたりで立っていたドアの脇に立っていて、途中から乗ってきたと思われるサークルの女性、晴美と話をしていた。晴美は30歳くらいで小柄な美人だった。翔も小柄だったけれど、晴美の方が背が低かったから、客観的に見てバランスはよかった。小柄なふたりの側にある普通サイズのリュックが妙に大きく見えた。


翔さんが立っていても大丈夫なら、最初から一緒にあそこに立っていればよかったよ……


「里奈ちゃんは、三頭山は初めて?」

岡田が、また話しかけてきた。

「はい。そうですね……」

岡田の質問責めに適当に返答しながら、10分くらいして乗換駅の立川に着いた。


ホームに降りて、岡田が

「あれ? 翔くんと晴美さんも一緒の電車だったんだ」

と言った。どうやら、岡田の席から、ふたりは見えていなかったらしい。

「一緒に来たの?」

「いえ、途中で会ったんです」

翔が慌てて、そう言った。


翔さんと新宿から一緒に来たんです……


と、里奈が言おうかどうか迷っていたら

「あ、早く電車に乗り換えないと!」

と岡田が言って、みんなで小走りに乗り換えた。


乗り換えたJR青梅線・武蔵五日市行きも、そこそこ混んでいて空席が二人分ずつしかなかった。せっかくだから、今度こそ翔と座ろうとした里奈は

「里奈ちゃん、こっちこっち」

と岡田に言われてしまい、仕方なく岡田と座った。


結局この日は、ハイキング中も里奈は岡田につかまり、翔は晴美につかまって、里奈は翔とほとんど話せなかった。

時々、チラリと翔と晴美が並んでいるところを見ると、美男美女が青空をバックにキラキラ輝いているように里奈には見えた。


「こうやってみるとさ、晴美さんと翔くんお似合いだね」

と、誰かが言って

「晴美さん、いつもより楽しそうだね」

と、また誰かが言って

「そう見える?」

と晴美が、おどけて言っていた。

翔は、照れ笑いしているように、里奈には見えた。


いい天気だったし、ハイキングの難易度も里奈にとってちょうどよくて楽しいはずなのに、里奈はちっとも楽しくなかった。


こんなんだったら、待ち合わせてなんてしなければよかった!


家に帰ってシャワーを浴び、冷蔵庫からビールを出して一気に飲んだ。

すると、携帯が鳴った。翔からだった。

この前の定例会の時に連絡先を交換し、メールは何度かしていたけれど、電話はこれが初めてだった。


「あ、里奈ちゃん? 翔だけど、今日はお疲れさま」

「お疲れさまです」

とりあえず、翔に怒りをぶつけるのもどうかと思い、平静を装って里奈はそう言った。

「今日は、なんだか全然話せなかったね。岡田さんが里奈ちゃんをロックオンしてたから話しかけにくくて……」


岡田になんか気を使わないで、どんどん話しかけてくれればよかったのに……


里奈はそう思ったけれど、それは自分にも言えることだと思って、飲み込んだ。

「ですよね。私も、翔さんが、晴美さんとずっと話してたから、話しかけにくくて……」

「今度さ、デートしない?」

翔がそう言った。

「え? あ、いいですよ」

里奈は、驚いたけれど、嬉しかった。

「柴又に行かない?」

「え? 柴又? あの寅さんの?」

「そう」

「いいですけれど……」

「じゃあ、今度の土曜日に!」


翔との電話を切って、里奈はため息をついた。


翔の提案は、また里奈を混乱させた。

デートの誘いは嬉しいが、初デートが柴又。柴又が嫌なわけではないけれど、

「どこに行きたい?」

と聞くわけでもなく、柴又指定だったことに戸惑った。


まあ、とりあえず、行くか……


諸々あっても、里奈は翔の顔が好きだった。


柴又でのデートは、滞りなく行われた。

デートなのに、滞りなく……と言うのは、可笑しいかもしれないが、翔のスケジュール通りに、翔の進行とともに、それは分刻みで行われた。


もう少し、団子屋でゆっくりしたかった里奈に、

「そろそろ、帝釈天にお参りに行こう」

と声をかけ、もう少し帝釈天に居ようと思っていた里奈に、

「そろそろ、矢切の渡しの時間だから」

と言った。

矢切の渡しとは、都内唯一渡し船に乗れる場所だった。

川を渡ったところには特別何かがあるわけでなく、ただ船で往復してくるだけだった。

「風が気持ちいいね」

「そうですね」

里奈はそう言ったけれど、なんだか、モヤっとしていた。

その後、寅さん記念館に行って、夕方の5時ごろ

「そろそろ帰ろう」

と翔が言って、帰ることになった。

日暮里まで一緒に、京成線に乗った。席がいっぱいだったので、つり革を握ってふたりで並んで立っていた。

すっかり日が落ちて辺りは暗くなっていたから、電車の窓が鏡になって、ふたりの顔が映っていた。


どっちが背が高いんだろう……


どう見ても、里奈と同じか、あるいは、少し、翔の方が低く見えた。


ああ、もう少し、翔さんが背が高いか、私の背が低かったらよかったな……


里奈はそう思って、そんな風に思ってしまった自分が、少し嫌になった。


「翔さん、もしまだ時間あったら、飲みにでも行きませんか?」

里奈がそう言うと、翔は少し驚いたようだった。そして、

「うん。いいけど……。日暮里かぁ……あんまりお店知らなくて」

と言った。

「私もあまり詳しくないですけれど、駅前に何かあるでしょう。行ってみましょうよ」

里奈がそう言って、ふたりは電車を降りた。


駅前には迷うほど居酒屋はあって、人が変わったようにおどおどする翔に

「ここでもいいですか?」

と里奈が言って、一軒の居酒屋チェーン店に入った。


「翔さんとふたりで飲むの、初めてですね」

里奈はちょっとウキウキしてそう言った。

「そうだね」

受け身な感じで翔が言った。

「あの、今更ですけれど、翔くんって呼んでもいいですか? あとタメ口でもいい?」

そう里奈が聞くと、翔は、少しリラックスした様子で

「いいよ」

と笑った。

「翔くん、今度ふたりでハイキング行かない?」

里奈がそう言うと、翔は

「ああ、いいね。そうだね。行こうか?」

と言った。

「私、あそこに行ってみたいの。水仙ロード!」

それは、千葉県の鋸南町にある3㎞の道の両側に、水仙が咲き誇るハイキングコースだった。

「ああ、あそこね。何年か前に行ったことあるけれど、いいところだよね。いいよ」

「じゃあ、早速、来週の週末はどう?」

里奈がそう言うと、

「うーん。再来週でもいいかな?」

と、翔が言った。

「あ、うん。じゃあ、再来週ね」

水仙の時期は、12月、1月、2月で、もう1月の終わりだったから早めに行きたかったけれど、用事があるんじゃ仕方ないと、里奈は了承した。

里奈は、前回、翔と並んでハイキングできなかったから、水仙が咲き誇った道を翔と並んで歩く姿を想像して思わず頬が緩んだ。


里奈がビールの後に、生グレープフルーツサワーを半分くらい飲んだ時、翔が突然

「里奈ちゃん、僕って、『重い』?」

と聞いてきた。里奈は驚いて

「『重い』ってどういうこと?」

と聞き返した。すると、翔は

「前に、少しの間、付き合っていた子がね、僕のこと『重い』って言ったんだ。それから、なんか自信がなくなっちゃって……」

と言った。

「それはひどいね。私は、翔くんのこと『重い』だなんて思ったことないよ」

里奈は、笑ってそう言った。

「ホント? だったらよかった」

翔は、ホッとしたように笑って、2杯目のビールを飲み干した。


そうだ! 別に、翔くんは「重い」わけじゃない。

「重い」わけじゃなくて、まだちょっと嚙み合っていないだけだ。

きっと、もっとたくさん会って話をしたり、一緒に時間を過ごしたら、だんだん噛み合ってくるはずだ。きっと、そうなんだ……。


里奈は、自分自身に、言い聞かせるように、そう思って

「水仙ロード楽しみだね」

と言った。


その次の週末は、サークルも翔との約束もなかったから、里奈は久しぶりに家でゆっくり過ごした。


いつか、翔くんがこのうちに遊びに来るのかなあ?

ちゃんと片付けておかなくちゃ!


夕方になって、里奈が夕食の準備をしている時に、携帯が鳴った。翔だった。

「里奈ちゃん、今、大丈夫?」

ちょっと、声のトーンが低かった。

「うん。大丈夫だよ」

「あのさ、来週の水仙ロード、中止にしない?」

翔の思いがけない提案に、里奈は驚いた。

「え? 何か、用事ができちゃったの?」

「いや、そうじゃないんだ。実は、今日、下見に行ったんだ」

「え? 下見?」

里奈は、耳を疑った。

「下見に行ったらさ、今年は早く咲いたみたいで、水仙ほとんどなくてさ、多分来週はもっとないと思うんだ」

「……」

「里奈ちゃん?」

「私……、翔くんと一緒に行きたかったよ」

「うん。だけど、もう咲いてないんだ」

「そうじゃなくてさ。下見なんかしないでさ、もし、水仙が咲いてなくてもさ、『咲いてなかったね』って言いながらさ、一緒に歩きたかったよ。どうして、ひとりで下見に行っちゃったの? 下見に行くとも教えてくれなかったじゃん……」

「あ、なんか、ごめん。だけど、僕さ、きれいに咲いた水仙を、里奈ちゃんに見せてあげたかったからさ、どのルートがいいかちゃんと知っておきたかったんだ……」

自分のことを気遣ってくれていた翔を責めてしまったと思って、里奈はいたたまれなくなった。

「そっか。こっちこそ、なんかごめん。わかったよ。じゃあ、来週はやめておこう。じゃあね」

電話を切った里奈の頬を、温かいものが伝った。

翔の元カノの言う『重さ』が里奈にも、ちょっとわかった気がした。


それから、里奈は、なんとなく、翔と連絡をしづらくなってしまった。

メールの返事も、すぐにする気がしなくなり、次の日か、その次の日かにするようになった。

電話にもあまり出ずに、翔が電話に出られないのがわかる時間を見計らって、とりあえず、折り返したふりだけしていた。


里奈は自分でも、どうしてこんなに嫌になったのかわからなかった。

友だちにも

「そんなデートの場所を下見をしてくれるなんてマメな人、そうそういないよ。里奈のこと大切に思ってくれているんだよ」

と言われた。

そうなのかもしれないと、里奈も思った。

だけど、どうにもスッキリしなかった。


意識的にすれ違い始めてから、2週間経った夜に、翔から里奈にこんなメールがきた。


“里奈ちゃん、僕の勘違いかもしれないけれど、僕の勘違いだったらいいんだけど、もしかして、僕は避けられているのかな?

あの時、里奈ちゃんは言ったよね。

僕のこと「重いだなんて思ったことないよ」

そう言って、笑ってくれたよね。

だから、僕は、里奈ちゃんとだったらきっとうまく行くと思っていたんだ。

それなのに……。”


ああ、そうだ!

あの時、私は確かに言った。

「それはひどいね。私は、翔くんのこと重いだなんて思ったことないよ」

そう言って、笑ったよ。

私だって、翔くんとうまく行くと思っていた。

その時は……だけど、やっぱり……。


そう思って、里奈は、ふーっと深い息を吐いた。


メールの返信の画面を開いた。


“翔くん、ごめんなさい。メールありがとう。

水仙ロードをひとりで下見されたこと、翔くんには悪気はなかったことはわかっているけれど、やっぱり、ショックでした。

私は、翔くんにエスコートして欲しかったんじゃなくて、翔くんとただ一緒に歩きたかったの。

私のわがままなのかもしれない。

だけど、どうしても、嫌だったの。

私は、誰かに引っ張って行ってもらいたいんじゃないって、わかりました。

だから、ごめんね。今まで、どうもありがとうね。”


送信した。

しばらく待ったけれど、翔からの返事はなかった。


これでよかったんだ。


そう思いながら、また、里奈の頬を温かいものが伝った。


翔くんの顔が好きだったな。

いや、性格もよかったし、すごくいい人だった。

だけど、顔も性格もいいからって合うわけじゃないんだなあ……

付き合ったわけでもないのに、なんで、別れ話みたいになっちゃったんだろう?

「重さ」でいったら、おあいこだな。


そう思ったら、なんだか、急に、可笑しくなって、里奈は、泣きながら笑った。


泣き疲れて、里奈はいつのまにか寝てしまったようだった。

ふと携帯を見ると、メールが届いていた。翔からだった。

おそるおそるメールを開けた。


“里奈ちゃん、返信ありがとう。

里奈ちゃんのメールを見ていろいろ考えてたんだ。

返信遅くなってごめんね。

僕は、僕なりに、相手のためを考えて行動したつもりだったんだけど、里奈ちゃんに言われて気づいたんだ。

僕は、相手の、里奈ちゃんの気持ちをちゃんと考えていなかったなって。

僕は、楽しませる自信がなかったから、ちゃんと段取りをしっかりしておく方がいいと思っていたんだ。

だけど、里奈ちゃんが言うように、一緒に同じものを見て感動できるなら、その方がいいなと僕も思う。

だから、もしよかったら、もう一度チャンスをもらえないかな?

里奈ちゃんが行きたいところも、僕が行きたいところも、一緒に行ってみたいと思うんだ。

もし、よかったら、電話をください。

今日は寝ないで待っているから”


里奈は、今度は、声を上げて泣いた。


ちゃんと翔の気持ちを考えていなかったのは、ちゃんと向き合おうとしていなかったのは自分の方だった。


そう、里奈は思った。


そして、翔の声が、今すぐ、聞きたくなった。


【完結】

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