44 呪いの継承

 言葉での説得が難しいのはわかっていた。

 だから死なない程度に傷めつけて戦意を奪うしかない。

 そう考えてシンクは非情に徹し卑怯で無慈悲な攻撃をくり返した。


 もちろん、元の世界に戻ったら紗雪が持つ≪癒天祝福エンゼルケア≫で治療をするつもりである。

 とにかくこの場では負けを認めさせるため心を鬼にして完膚なきまでに叩きのめすと決めた。


 でも、レンの心は折れない。

 彼の闘志の炎は些かも揺るがない。


「もうやめろって。これ以上続けたら本気で死んじまうぞ……」


 このまま続けていたらシンクの心が先に限界に達しそうだった。


 レンは憎い敵ではない。

 こんな自分なんかを好きになってくれた少年だ。

 何もかも失ってしまったシンクの希望の光とでも言うべき人間なのだ。


「ひぅ……ひぅ……」


 レンは体をくねらせ上体を起こす。

 腫れた足でなんとか立ち上がろうともがく。

 きっと今も想像を絶する痛みに耐えているはずだ。


「なんで……そこまで頑張るんだよ」

「負けないんだっ。シンくんがどんなに強くても、レンはもっと強くなきゃいけないんだからっ……!」


 こんな風になるまでレンを痛めつけたのはシンク自身が努力で身に着けた力ではない。

 誰かが勝手に組み込んだ、ずるくて、残酷で、何もかも台無しにする力である。


 拾い物同然のこんな能力で強くありたいと願う純粋な少年を踏み躙るのが果たして正しいのか。

 ひょっとしたら正々堂々と戦ってレンに殺されてしまう方がずっといいんじゃないか。


 ……いや、違う!

 こんなになってまで戦うレンが正常なわけがない!


 これは呪いだ。

 作られた体に宿された古の龍の神の怨念。

 こいつを取り除いてやらない限りレンが幸せになれることなんて絶対にない。


 シンクが倒すべき相手はレンじゃない。

 彼の体を蝕んでいる呪いだ。


 レンを救う。

 そのためならインチキだろうと遠慮なく使ってやる。

 どんなズルい手段を使っても……


「おいレン」

「なにっ」


 よし、会話はできる。


「お前、俺に負けたらどうするんだ?」

「負けないってば! 負けちゃだめなの!」

「仮に負けたらどうなるかって聞いてんだよ」

「シンくんには一度負けてるんだから、二回目は絶対にだめ!」


 まるで要領を得ない駄々っ子のようである。

 とにかく今は会話から突破口を見いだすしかない。


「理由を聞いてるんだ。負けられないのは何でだ?」

「だって、そしたらレンがレンじゃなくなっちゃうんだから! あいつがそうだった! レンに二回負けたから、なんでもない普通の人になって、屋上から落ちて死んじゃった!」

「あいつ?」

「上海の……レンと同じ、竜の力を持ったやつ!」


 見えてきた。

 レンがこれほどまでに勝利に拘る理由が。


 一度目にシンクに負けた時と比べても彼は圧倒的に諦めが悪い。

 あの時はまだ≪龍童の力≫が完璧に解放されていたわけではなかったからだ。

 レンにその気があるかはともかく『全力でなかったから仕方ない』という言い訳が立つわけだ。


 だが今回は違う。

 持てる力をすべて出して、限界すら超えている。

 常人ならとっくに発狂するような痛みの中で少年を無理やり突き動かしている『何か』に対してごまかしができなくなっている。


「わかったよ。それじゃあ……」


 シンクは時間を止めずにレンに近づく。

 光球を消し、Dリングの守りすら解除した無防備状態である。

 レンが構わずに反撃を行えば、この身体は簡単に消し飛んでしまうだろう。


「な、なにを……」


 当然、レンにもそれはわかっている。

 攻撃をすればシンクは死んでしまうことに。

 彼が躊躇っている間にシンクはレンの目の前で片膝をついて、


 その小さな体を抱きしめた。


「えっ、えっ?」

「なあレン」

「な、なになの? なにしてるの? レンとシンくんはいま戦ってるのにっ」

「もう終わりにしようぜ。俺の勝ちだ。負けを認めろ」

「だからレンは負けないって……」

「いいや、お前はもう終わってるんだよ


 指先に≪氷雪の女神ヘルズシヴァー≫氷のナイフを作る。

 シンクはそれでレンの服を裂いた。


「な、なななっ」

「ほら」


 レンの白い肌が露わになる。

 柔らかい胸元を指先でなぞる。


「な、なに……っ?」


 声変わりすらしていない女児のような声。

 切なげに息を吐く少年の唇をシンクは指先で塞いだ。


「ん……」


 端から見ればとんでもない光景である。

 四肢を折った少年に犯罪的行為をしているようだ。

 紗雪あたりに見つかったら問答無用で殺されるかもしれない。


 もちろん、シンクは場をわきまえずに変なことをしようとしているわけではない。

 シンクの指がゆっくりとレンの頬をなぞる。


「目を閉じろ」

「だ、だめ」


 レンは恥ずかしそうにぎゅっと目を閉じた。

 その瞬間、シンクは彼の心と同期する。


心理色彩ハートパレットリーディング


 基本は相手の思考や感情を色という曖昧な状態で読むことができる能力である。

 シンクはかつてこれでレンと闘気の波長を合わせ、彼の最強の攻撃を撃ち返すことに成功した。


 今やろうとしているのはその応用だ。

 レンの力の源≪龍童の力≫の根源に波長を合わせてその正体を探る。

 心を乱し、思考を無防備な状態にした上で、無理やり彼の心の中にある『何か』に触れる。




   ※


 音が聞こえる。

 水の音だ。


 例えるならとても深い洞窟の中のよう。

 水滴が落ちるような澄んだ音に似てる。


 性格にはそれは空気を震わせた音ではない。

 心へ、脳へと直接響く命の波動というべきものか。


 視界はまったく効かない。

 暗闇のようでもあり、薄い青のようでもある。


 五感に頼ることは無意味だ。

 シンクがいまいるのはレンの心の内側。

 もちろん肉体的な意味での内部というわけではない。


 思考や感情、そのもっと深いところ。

 彼の命を形作っている魂の外枠へ。


 水滴のような波動が大きくなる。

 言葉という形を取らずに意思を伝えてくる。


 ――何者。


 音ではなく感情が頭にしみ込んでくる。

 波動が送られた次の瞬間に「理解している」状態だ。

 シンク自身が混乱しないため、あえてその意思を言葉として反芻する。


 言葉にならない意志に対してシンクは強く念じることで返答をした。


『よお、お前がレンの中の龍神かよ』


 ――我には人がそう呼ぶ存在という認識がある。呪いと呼ぶ者も有り。否。龍は概念。


 言語化が上手くできない。

 この『意志』はあまりに不明瞭だ。

 人間の感覚とかけ離れているせいもあるだろう。


 交渉は無意味と判断。

 シンクは自分の要望のみを送る。


『レンの体から出ていけ』


 ――不可。龍は住み着く者。目標は武の頂。宿主は一心同体也。


『宿主?』


 ――肯定。龍は継がれる者。目標、武の頂。今時宿主は非常に良。人に在らざる者。前時宿主は非常に脆く、今時宿主に二度敗北す。不要と判断。戦意喪失後、自動的廃棄。


 ああ、そうか。

 寄生虫みたいなもんなんだな、お前は。

 憑りついた宿主に力を与える代わりに精神を狂わせて『武の頂』とかいうよくわからないモノを求める戦闘狂にしてしまう。


 こいつが本物の龍の神様の呪いなのか、それっぽく作り出されたシステムなのかは知らない。

 だが、こんなわけのわからないモノのためにレンが苦しむなんてことは絶対に許されない。


 あいつの戦い好きが生来の性格でないのなら原因を取り除くことに躊躇いはない。

 そしてさっきのレンの態度と今のこいつとの意思疎通の中にヒントはあった。


『なあ、お前は同じ相手に二回負けるとどうなるんだ?』


 ――敗北は糧也。高みへと導くための糧。否。二度目は不可。素質無し。


『次にレンが負ければお前は消滅するってことか?』


 同じ相手に二度負けるような宿主は素質なしと見なして出ていく。

 レンが二度目の敗北を嫌がった理由がそれなら話は簡単だ。


 ――半分肯定、半分否定。素質無き宿主の元を去る。否。龍は不滅也。次時宿主へ移行。


『次の宿主?』


 ――別の素質を持ちし者也。


『じゃあ俺がレンを倒せば次は俺に取り憑くのか』


 ――精査……汝、素質あり。龍の分体の生息を確認。今時宿主の後、龍は汝に移住。


 まるでウィルスだな。

 シンクは≪龍童の力≫を不完全ながらコピーしてしている。

 レンに勝つということは、この呪いをすべて自分で引き受けるということになるのだ。


 精神が書き換えられて戦闘狂になるなんて感覚は想像もできない。

 自分が自分でなくなるとはどういう感じなのだろう?

 考えれば非常に恐ろしいことである。


 だから考えない。

 レンを救うことだけを考える。


『わかった、じゃあお前は俺の所に来い』


 ――了。汝は我が宿主也。

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