31 清次の戦い
小石川香織は焦っていた。
いま彼女がいるのは横須賀基地近くのビルの屋上である。
ここで落ち合う約束になっていた和代が姿を現さないばかりか連絡すら取れないのだ。
考えられる理由は多くはない。
一番あり得るのが何者かと戦闘中という場合。
連絡すら返せないほどの強敵とかち合っているという可能性である。
もし相手がAEGISの誰かであれば非常に危険な状況だ。
新生浩満の傍から離れているという情報が必ずしも正しいとは言い切れない。
あの臆病な新生浩満のこと、襲撃に備えて一人くらい手元に残している可能性は十分にある。
「まさか和代さん……もう、やられちゃったんじゃ」
「いいや、神田さんは上手くやったよ。見事にボスを倒したぜ」
不安になって呟いた言葉は答える者もなく風にかき消えるはずだった。
しかし背後から聞こえた声に香織は反射的に身構えて振り向く。
覚えのある声。
最後に聞いたのは何年前か。
それはもうずっと昔のことのような気がする。
「内藤君……」
「よお、小石川」
あの頃と変わらず気さくに挨拶をしてくる懐かしい顔。
しかし今の彼は敵、それも恐るべきAEGISの一人である。
内藤清次。
香織は即座に≪
「おいおいやめてくれ。お前と戦う気はねえよ……って言っても信じちゃもらえないか」
「当たり前でしょ。私たちのアジトを襲撃したのはあなただよね」
「ありゃ命令で仕方なくやったんだよ」
出会ったのはL.N.T.
二人とも一期生最初の一年目の入植者。
知り合った時はまだお互い中学生になったばかりだった。
こうして話していても彼はあの頃とまったく変わっていないように見える。
けれど、そうではない。
今の清次はAEGISという名のラバースのエージェント。
ひとたび命令さえ受ければかつての知り合いだろうが平気で殺す無慈悲な兵士だ。
「反ラバース組織のリーダーを前にして争わないって言うの?」
「お前たちを捉えるよう命令を受けた奴のサポートをするように言われているけど、K以外には単独で闘いを挑めとは言われてないな」
よくわからない理屈だが、どうやら清次は本当に戦う意志がないようだ。
香織は迷った。
AEGISの戦闘能力は怖ろしく高い。
だが清次の持つ能力はどちらも自分なら対処できるタイプのものだ。
ある意味で彼にとって香織は天敵と言って良い。
イチかバチか戦いを挑んで少しでも戦力を削いでおくか?
しかし、ここで負ければこの後の作戦を完遂するのはとても難しくなる。
もっと慎重に考えれば彼が自分の知らない強力な能力を隠し持っていないとも限らない。
「おっと、マジで攻撃するのはやめてくれよな。危害を加えられたらやるしかなくなっちまうんだ。機嫌を損ねるとかじゃなく、普段からそういう決まりになってんだから」
「だったらなんのために姿を現したの。まさかお喋りをしに来たわけじゃないんでしょ?」
どちらにせよ彼に見つかった時点で新生浩満の暗殺難易度は格段に跳ね上がった。
最悪の場合、襲撃はタケハたちに任せて自分はここで清次を引きつけなければ。
「いや、一応教えておいてやろうと思ってさ」
「何を?」
「新生浩満は死んだぜ。和代さんが討ち果たした」
「…………は?」
何を言っているのだ、この男は。
和代はこれから香織と合流する予定になっている。
共に新生浩満のいるはずの東京湾上の艦に乗り込む予定である。
「和代さんはお前らも知らない独自ラインの協力者からサポートを受けて艦に潜入したんだ。浩満は完全に裏をかかれた形になっちまったな」
「な、何を……」
「喜べよ小石川。ラバースの総帥はもう死んで、あの景色が全部守られたんだ」
マンションの屋上からは東京湾の向こう、千葉のコンビナート地帯の明かりが一望できる。
オレンジ色の淡い光は夜の海岸線をくっきりと照らし出していた。
海の向こうだけではない。
南側を見れば三浦半島に灯る明かりもある。
そこには確かに人が住んでいて、人口の明かりが灯っている。
「反転ガスは使用されなかった。ただ鷹川の野郎がやる気だから、たぶん戦争は起きるぜ」
和代が自分にも隠して裏で何かをやっていたことは少なからずショックだった。
だが結果として最大の目的のひとつを達成してくれたんだから責めることではない。
それにこれですべてが終わったわけじゃない。
反転ガスは依然として残っていて、戦争の経過次第では使われる可能性もまだあるだろう。
そして何より絶対に倒さなくてはならない巨大な敵がもう一人残っている。
「と、とにかく、早くみんなと合流しなきゃ」
「ちょっと待てよ。まだお前に言いたいことが残ってるんだ」
「何?」
「上を見ろ」
清次は上空を指差した。
見上げると夜空に奇妙な裂け目があった。
「なに、あれ」
「今まで気がつかなかったのかよ。すげえ音がしただろ」
あいにくと数分前まで車で移動していたので外部の音は気にならなかったのである。
「ルシフェルのアホが作った異世界へ通じる扉だ。なんでまた急に開いたのかはわからねえけど、あの中にオレたちの精神制御を解くカギがあるらしいぜ」
「え……」
内藤清次はかつてL.N.T.の学生時代は香織たちと共に机を並べていた友人だった。
彼がラバースの戦士として働いているのは決して自分の意思ではない。
ラバースの命令に従うよう精神制御を受けているからだ。
「Kって奴がラバースを裏切ってお前らに味方してるだろ。あいつもオレたちと同じ精神制御を受けてたんだけど、ルシフェル暗殺の任務を受けてあそこに行った後、急に正気に戻ったんだ」
「……それは聞いてる。でも、なんでそんなことをあなたが言うの?」
「どうやらオレが受けた洗脳は空人たちと比べてちょぴっと不完全だったらしい。今の所は表立って反抗できるほどではねえんだけどな」
彼の言葉が本当かどうか、それは香織には判別がつかない。
ただ、本当だとすれば彼もずっと戦っていたのだろう。
抗えないよう脳を弄られながらも、できる限りのことを、必死に。
もちろんこの言葉自体が嘘の可能性もある。
彼の言葉の真意は考えてもわからない。
でも、できれば真実であって欲しいと思う。
どうしようもない状況で敵中にあっても、彼は精一杯頑張ってくれたのだと。
「えっと、じゃあ私はもう行って良いのかな?」
「おう。オレたちのためにも頑張ってくれよ」
「じゃあ行くね。教えてくれてありがとう」
香織は≪
空気を操るこのJOYはかつての親友の忘れ形見である。
空を飛ぶような目立つ行為はあまりしたくないが、この状況においては迅速な行動が第一だ。
焦っていても感情にまかせて一人で未知の場所突っ込むような愚は犯さない。
まず香織は仲間との合流予定だった横須賀基地内へと向かった。
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