8 あの日の少年
久良岐市の中心部やや北西の住宅街。
丘の途中に古い家が建ち並ぶ迷路じみた一画にて。
隠れ家から少し離れた場所にある小さな公園に小石川香織はやってきた。
反ラバース組織の仲間は連れて来ていない。
相棒の和代には次の作戦準備の指揮を執ってもらっている。
彼女たちにとってここからの二十四時間は非常に重要となる時間だ。
そんな忙しい時にわざわざ香織が一人になったのは人と会うためであった。
「久しぶり」
声をかける。
周囲には誰の姿もない。
けれど香織には彼がそこにいることがわかる。
「……はい」
短い言葉だけが返ってきた。
しばらく沈黙の時間が流れる。
「姿を見せてはくれないのかな?」
「気恥ずかしかったもので……今、出ていきます」
木陰から男が姿を現した。
精悍な姿の青年である。
彼のコードネームは『K』と言う。
かつてラバース本社のエージェントとしてルシフェルを暗殺。
先ほどはシンクに幾つかの道具と情報を与え、横須賀へと誘導した男である。
「立派になったね」
「貴女たちのおかげです。あの地獄のような街でも『人形』を通して心を支えてもらったおかげで、こうして無事に生き延びられました」
「一緒に連れて行ってあげられなくて、ごめん」
「いいえ、いいえ」
香織たちがL.N.T.を脱出する直前、彼はまだ幼い少年であった。
そして激しい憎悪をもってL.N.T.第二期を生き延びた。
香織たちはその様子を、彼の育ての親に渡した『人形』を通して遠くから見守っていたのだった。
「こうして無事に会えてくれて本当にうれしい。憎まれてもおかしくないと思ってたし、連絡があったって聞いた時はすごく驚いたよ」
「すみません。俺のミスで一時、心を奪われてしまいました」
しかし、彼はその優秀さのため第二期の終わりと共に精神制御を受けてしまった。
第一期の星野空人たちと同じように、ラバースのために行動する兵士となってしまったのだ。
「俺にとって心の母親は貴女たちです。あの街で手に入れた力、これからはラバース打倒のために振るいましょう」
ところが、ある作戦をきっかけに彼の精神制御は完全に解けた。
洗脳されていた間も大事に持っていた人形を使って連絡を取って来たのだ。
「計画の大まかな話は聞いています。ここに来る前、荏原新九郎にも会ってきました」
「そう。彼はどうだった?」
「飼い慣らせる人間ではないでしょうね。我が強く、手癖も悪い」
「まさか銃を盗まれてるとは思わなかったよ。ほんと油断のならない子だよね」
「しかし利用する価値はあったと思います。奴は立派に囮の役割を果たしてくれるでしょう」
ラバースのエージェントとして働いていただけあって仕事が早い。
また、内部事情にも詳しい彼の協力は本当に助かるところだ。
「それで、反転作戦に関して何かわかっていることはある?」
しかし再会を喜ぶ暇はない。
今は一刻を争う時期なのである。
香織はKに核心となることを尋ねた。
「輝線の精製方法は掴んでいます。工程は複雑ですが一国の研究機関なら十分に可能なレベルでしょう。問題は主要材料の方ですね」
「特殊な物質が必要なの?」
Kは一呼吸置き、続きを口にした。
「使い尽くされたジョイストーンです。長く使われたもの、強力な能力だったものほどより良質の輝線が精製できます」
「なるほど、参加企業で能力者組織を育ててきたのにはそんな理由があったんだ」
「ヌーベルアミティエの遺品はすべて横須賀基地に集められています。開戦と同時に極秘にタンカーで輸出するつもりのようですね。この事は一部を除いて軍や政府にも極秘に行われています」
「と言うことは……」
「新生浩満の思惑は国家とは別にあります」
香織は俯いた。
Kに顔が見えないように視線を下に向ける。
普段の彼女を知る者なら想像もできないような獰猛な笑みを浮かべていた。
「させないんだから、そんなこと……」
「AEGISは対クリスタ軍の先兵として出動しました。反転ガスを搭載したミサイルを積んだ艦はすでに東京湾上にあり、新生浩満は横須賀にいます。やるなら今しかありません」
「うん」
顔を上げた時、香織はいつもの人畜無害な優しい表情に戻っていた。
カバンから紙とペン、そして人形を取り出そうとして思い止まる。
もう慎重を期す必要はない。
香織は改めてカバンの底に眠っていた携帯端末を取り出すと、数ヶ月ぶりに電源を入れた。
呼び出し音が鳴り、2コールで繋がった。
どうやら向こうも待ちわびていたようだ。
『私ですわ』
「和代さん、行くよ。間違いなく横須賀だって」
『OKですわ』
それだけで会話は終了。
すでに計画は綿密に練ってある。
あとは最適な状況を待つだけになった。
そして今がその時なのである。
「さて、後の問題は艦への侵入方法なんだけど」
「あなたの部下だけでは不足でしょう。俺も協力します」
「いいの?」
「万が一にもAEGISが残っていた場合、抑えられるのは俺以外にいませんからね」
自信たっぷりだがうぬぼれている様子はない。
Kの言葉は純然たる自信があった。
さすがL.N.T.第二期を生き延びた男。
あの日、彼と出会えたのは本当に幸運だった。
L.N.T.第一期の最後の日。
長い復讐劇の始まった日。
それから始まった二度目の地獄の日々、彼の心を遠くの地から懸命に支えた甲斐はあった。
「その代わり、きっちりケリをつけて下さい」
「うん、任せて」
もうすぐ念願のひとつが成就する。
その後も苦難は続くが、よくやく大きな区切りが終わるのだ。
今日はすべてのラバース関係者にとって忘れられない日になるだろう。
その確信が香織にはあった。
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