7 手向けの氷花

 結果的から言えば、大道の心配は杞憂に終わった。

 部下は敵と接触することなくジョイストーンの流出は避けられた。


「何物だ……」


 流暢な日本語の中にも、わずかな外国訛りを感じさせる声で男は尋ねる。


 多くの死体が散乱する大量虐殺の現場。

 市井の人々が取る行動は大きく分けて三つ。


 一刻も早く逃げようとする者。

 パニックを起こして大声で泣き叫ぶ者。

 そして、あまりの惨状に蹲って動けなくなる者。


 そんな凄惨を極める場所である。

 四肢を凍り付かせて地面にへばり付く男を気に留める者など誰もいなかった。


「誰だって良いでしょう? これから死ぬ人間には関係のないことだわ」


 黒いシルク帽を目深に被ったアオイは、どこぞの国の工作員を見下し冷たく言い放った。


 ロシアか、クリスタか。

 とにかくラバースの秘密を探るためのスパイであることは間違いない。


 そんな相手を生かして帰すほどアオイは甘くない。

 今の彼女はラバース本社の忠実な兵士なのだから。


「それじゃ、お休みなさい」

「う」


 アオイの声は周囲の悲鳴にかき消された。

 心臓を凍り付かされた工作員は小さく呻いて崩れ落ちる。


 特殊部隊の兵士たちが撤収を始めた。

 彼らが車両に乗り込むのを待ってアオイは血と肉の海へと歩き出す。

 パニック状態の避難民たちの保護を優先した警察はアオイを気にしようともしない。


 そもそも死体の山の中に足を踏み入れる人間がいるとは考えないだろう。

 彼らはこの中に埋もれている貴重品の存在を知らないのだから。


 シーカーの倍率を最大にする。

 アオイはそれを十秒とかからずに発見した。


 足下には変わり果てたマナの姿。

 体は原型を留めず、半分になった頭部落ちている。


 その傍には眼球が転がっていた。

 アオイは躊躇することなくそれを靴底で踏み潰す。

 そして死体の中からダイヤモンドのようなジョイストーンを拾い上げた。


「安心してね、マナ。あなたのJOYは私が引き継いであげるから」


 組織の部下として、学校の後輩として、短くない付き合いがあった女。

 彼女の死に対して全く感慨がないと言えば嘘になる。

 土壇場で裏切った後ろめたさもある。

 だが、マナがこういう末路を辿ったのは当然の報いだと思う。


 マナは幼い頃のトラウマで精神を病んでしまった。

 ルシフェルに拾われるまでは人知れず幼い少女を誘拐しては拷問に掛け、飽きたら殺して食するような本物の異常者だった。


 アミティエに加入し≪不可視縛手インビジブルレストレイント≫を手にしてから、その悪癖はより酷くなった。

 フレンズ社の協力の下、回数と時間を制限される代わりに、決して表に出ないように自らの欲求を満たしていた。


 それを黙認していたルシフェルやPoKcoの上層部も同罪だ。

 そんな外道たちもすでに死んだ、浄化された。

 そして、マナも。


 何十人もの罪なき人を巻き込んだ盛大な自殺とは、最期まで迷惑な女だったが。


「さようなら、マナ」


 せめてもの手向けに、アオイは氷の薔薇を彼女の死体に捧げた。




   ※


「はぁ、はぁ……よし、こんなもんで良いだろ」


 両手を膝につき、肩で息を吐きながらリーメイ老師は呟いた。

 彼女の目の前には大の字に倒れているレンの姿がある。


 上海中心部の戦場跡。

 未だに瓦礫が堆く積み重なる一角である。

 そこは師弟の争いによって、さらに破壊の傷跡を深くしていた。


 通称≪龍童の力≫と呼ばれるパワー。

 その第三段階『龍』の力を使ってレンは全力で挑んできた。

 少年の姿をした化け物を相手にリーメイ老師は鍛え上げた肉体だけで三日三晩も闘い続けた。


 むしろレンがへばりそうになると、無理やりにでも殴りつけて起こしにかかる。

 スタミナが弱点であるレンは何度となく限界を超え今や虫の息である。

 しかしリーメイの言葉を聞くと起き上がって瞳を輝かせた。


「せいげんを解いてくれるの!?」

「いや、解かん」

「ころす!」


 そして再開する殴り合い。

 小一時間の後、今度こそ精根尽き果てた。

 レンは指一本動かせないとばかりにうつぶせに倒れている。


「ちっ、話は最後まで聞けよクソガキ。あたしにゃ解けんができるやつを呼んである」


 リーメイは億劫そうに大きめの瓦礫に腰掛ける。

 そもそもレンに掛けられた『制限』、つまり能力封印は簡単に解けるものではない。


 本人は知る由もないが、この制限はリーメイが施したものではない。

 実は壊滅した上海ラバース支社によってかけられたものだ。


 本部を壊滅させた後、残党が一矢報いるために行った、呪いのようなものである。

 刺客はリーメイが始末したが、真実を知ればレンは残党相手にまた戦い続けただろう。


 だからリーメイは彼を逃がした。

 プライドを煽るような事を言って日本に渡航させた。

 もうこんな幼い子どもが凄惨な戦いに巻き込まれることがないよう祈って。


 しかし時代は平穏を許さない。

 ラバースの内紛によって日本で争いの火種が落ちた。

 リーメイが数か月かけて徹底的に叩き潰した上海支社残党以上の脅威が迫っている。


 ならば少年には闘う力を……いや。

 すべてを飲み込む力を取り戻させてやる。


 それがより多くの人々の命を奪うかもしれない、独善的な決断だったとしても。


「とけるやつ?」

「ああ。お前も会ったことがあるはずだ」


 ようやく上体を起こしたレンに答えると同時に瓦礫の向こう側に気配を感じた。


「ぴぃ! ぴぃ!」

「あ、ドン!」


 ラバース上海支社の作り出した人造生物。

 西洋の竜を模した子ドラゴン『冬蓮ドンリィェン』である。


 ドンリィェンは可愛らしい鳴き声をあげながらレンの胸に飛び込んだ。

 子ドラゴンが飛んできた方向から後を追うように人が歩いてくる。


「まさかドラゴンが迎えに来るとは思いませんでしたよ」

「よう、悪いね。つい時間を忘れて夢中になっちまった」

「こちらこそ、急に連絡をしてしまい申し訳ありません」


 フードを目深に被った人物。

 表情は見えないが若い女の声だ。


 女がフードを払う。

 正体はショートヘアの快活そうな女。

 反ラバース組織のリーダー、小石川香織である。

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