8 闇を纏う男
クリスタ合酋国ミュー自治州シアトル。
ミューS&E本社敷地内にある、ジョニー=シグーの邸宅は闇に包まれていた。
暗黒。
一切の光すら内部に入り込ませない球状の闇。
その中で、暗闇を切り裂くような雷光が輝いた。
「無駄だ」
しかし光は闇の主まで届かない。
雷撃を放ったヘレン=シグーは顔を歪ませ目の前の男を睨みつけた。
闇を体現したかのような黒一色の衣服を纏う男。
その手にした漆黒の剣が電撃を容易く受け止めたのだ。
「クソッ、ラバースのイヌが……」
男はヘレンの悪態を無視する。
その視線の先には腰を抜かして倒れているジョニーの姿がある。
「た、頼む……命だけは助けてくれ。二度とラバースに刃向かわないと約束する……」
流暢な日本語で助命を嘆願するジョニー。
今の彼にはかつて息子に強くラバースへの憎しみを語った時の威厳は残っていない。
己の命を一番に優先する、弱い大人の姿があるだけだった。
「諦めろ」
男は無慈悲に告げた。
そして暗黒の剣を振る。
「が……」
その刃はジョニーではなく、音もなく背後から近づいていたヘレンの胸を貫いた。
「ひぃっ!」
倒れた娘の死体を見て、ジョニーは情けない悲鳴を上げる。
この部屋に転がる死体は彼女だけではなかった。
ミリア、リリィ、セイラ、リンダ、エリザベス、ミーナ。
彼女たちはそれぞれが己の体内で電気を作り出し様々な形で行使する超能力者である。
ラバースに対抗するためジョニーが理論を組み立てた、JOYやSHIP能力とは全く異なる科学によって生み出した雷使いの戦士たちである。
被験体となったのは他ならぬジョニーの子どもたち。
その戦闘能力は熟練した軍人にも勝り、特に白兵戦においては無類の強さを誇る。
以前は機械によるサポートが必須だったが、現在ではその弱点も克服し、身一つでさまざまな現象の行使が可能となった超兵士である。
ジョニーはこの特殊能力の理論をビジネスのため外部に漏らすことはせず、超能力者となった娘たちは護衛として手元に置いた。
末っ子のマークは例外として外遊を許しているが、他の娘たちには自由は与えていない。
すべては自分の身を守るためである。
ジョニーは神の存在も、死後の世界の存在も信じてはいない。
そんな彼が最も恐れるのは自分の死という終わりの時である。
ラバースの野望を食い止めたいと思うのも、自分が長く生きたいというのが最大の理由だ。
その目的のためならば子どもたちの命ですら道具として使うことにためらいを持たない。
「頼む、頼む。金ならやる。会社が欲しいならくれてやるから、どうか命だけは」
自分の娘が殺されたというのに、殺した相手に対して卑屈な命乞いをする。
そんな彼の姿を見て男は振り下ろそうとした剣を止めた。
無論、哀れに思って許すためではない。
「あ、ありが――」
ジョニーは喜色を浮かべて礼を言おうとした。
その口を塞ぐように男は刃を縦に振り下ろす。
ジョニーの体は脳天から真っ二つに両断された。
醜い豚の死骸には一瞥もくれず、男は無表情のまま振り返る。
≪
彼のJOYは漆黒の剣。
肉片どころか、血の一滴すらも刃には付着していない。
刃の切っ先が地面に触れると、影が伸びるように闇は床に溶け込んでいく。
地を這う生き物のごとき蠢きを見せ、そのまま何処かへ消えていった。
同時に館を覆っていた黒い闇の球体が消失する。
窓から光が差し込み、凄惨な八つの死体が光の中にありありと浮かび上がった。
男が表情一つ変えずに立ち去ろうとした直後、飾り気のない電子音が響く。
懐から携帯端末を取り出して耳に当てる。
「よっ、仕事は終わったか?」
「清次か。何のようだ」
別の場所で任務を受けている仲間……
もとい、同僚からの電話だった。
「何の用っつーか、終わったならこれから飲みに行かないかって思ってよ」
「任務完了後は本社に戻るよう命令を受けているはずだが」
「相変わらず堅苦しい奴だな。ちょっとくらい遅くなってもバレやしねーって」
「こちらはまだ終わってない。ターゲットが一人足りなかったので、近隣を捜索する」
「いいじゃんかそんくらい無視してもさ。オレなんてまだターゲットを見つけてすらないし」
「お前はむしろ真面目に働け」
男の呆れたような言葉にも抑揚は込められていない。
「そうそう、江戸川に会ったぜ。覚えてるだろ江戸川千絵。香織の後輩の」
「覚えているが興味はない」
「とにかくこっちは香織が羽田に現れるらしい明後日まで暇なんだ。今から新宿に出られるか?」
「物理的に不可能だ。まだクリスタにいるからな」
「それを早く言えよ! ……ったく、声かけて損したぜ。んじゃ適当に時間潰すか」
互いの任務の内容は当然ながら極秘である。
そのため、このようなすれ違いもまれに生じる。
それにしても……と、男は思う。
自分と同じく脳改造を受けているはずの同僚の、この明るさは一体何なのだろうか。
命令に逆らうことはないが、すぐに穴を見つけて楽をしようとする。
何よりその表面上の性格はL.N.T.時代と全く変わらない。
あの頃と同じで友だちのように接してくる。
まあ、どうでもいいことだ。
清次は清次、そして自分は自分なのだから。
「そんじゃまたな、空人」
「ああ」
通話を切った。
携帯端末をポケットにしまって彼は歩き出す。
もうあの頃に何を考えていたかなど忘れてしまったし、それでいい。
なぜなら今の自分は新生浩光の懐刀だ。
星野空人はラバースの忠実なる兵士である。
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