2 紗雪とレンの逃走
青山紗雪は息を潜めていた。
隣には寝息を立てるレンの姿がある。
彼女たちは現在、名前も知らない学校の校舎内にいる。
※
鎌倉霊園前でマナにボロボロにやられた後のこと。
紗雪たちはまず大怪我をしている新九郎を病院に運ぼうとしたた。
しかし、どういうわけか救急車を呼んでも一向に来てくれない。
そうしている間にも新九郎はますます衰弱し、紗雪たちは途方に暮れた。
そこにアテナという女性が車に乗ってやってきた。
彼女は物腰も柔らかく、善良そうな印象の女性だった。
しかしアオイやマナの仲間でアミティエの関係者には違いない。
ツヨシが言うには彼女は治癒の能力者らしい。
信じて良いか迷ったが他に手段もなく、このまま放置したらシンクが死んでしまう。
一抹の不安を抱えながらも彼女を信じて安全に治療できる場所まで連れて行ってもらうことにした。
その途中、レンが現れて車を襲撃した。
フロントガラスを叩き割り、車体にしがみつきながらシンくんを返せと叫ぶ。
アテナは説得しようとするが彼はまるで聞く耳を持たなかった。
そうこうしているうちに残存していたモンスターが現れて車を囲んでしまった。
その中には紗雪が≪神罰の
ボスモンスターの攻撃に気を取られた隙にレンは車から振り落とされた。
二足歩行の豚みたいな奇妙なボスモンスターが見かけによらず素早い動きで行く手を阻む。
それを見た紗雪は迷わずドアを開けて車から飛び出した。
手当たり次第に周囲の物(停めてある自転車や立て看板など)を投げてレンを援護する。
それが功を奏したかどうかは疑問だが、レンの必殺攻撃を受けてなんとかボスモンスターを倒す事には成功した。
その時にはすでに新九郎を乗せた車は走り去っていた。
レンは道路に強く叩きつけられた上、巨大豚に何度も突進攻撃を食らっていた。
決して浅くない傷を負っていたが、それでも必死にシンクを乗せた車の後を追おうとする。
ここに来る前も激しい戦闘をしていたのか、レンはどう見ても体力の限界だった。
その証拠に腕を掴む紗雪の手すら振り払えないほどに衰弱していた。
ふらつく彼を支えながら紗雪は休憩することを提案する。
しばらく「行く」「行かせない」の押し問答を続けていると、警察に職務質問をかけられた。
夜中に路上で騒いでいれば怪しまれて当然だが、その態度には違和感があった。
笑顔で近づいてきた警官は迷うことなく腰の拳銃に手をかけた。
即座に反応したレンは警官を殴って一撃で昏倒させる。
落とした無線から別の声が聞こえてきた。
『上海の龍童の捕獲はどうなったか』と。
そこで初めて紗雪は警察も敵だということを知る。
もう何年も前になるが、今の与党が政権を取った頃に警察は民営化された。
彼らはラバースと結託して利益を上げ、スポンサーにとって都合の良い活動ばかりを行っている。
この日本でラバースと敵対して生きていけない理由のひとつだった。
結局、紗雪たちは近くの学校に侵入して身を隠し、そこで一晩を明かした。
机で身を隠しながらレンと寄り添うように眠ったけど、変なことをする気にもならなかった。
※
そして、現在に至る。
紗雪は壁にかかる時計を見上げた。
朝の六時、この季節はまだ太陽も昇りきっていない。
もう少し経てばこの学校に通う教師や生徒が登校してくるだろう。
見つかっていないだけで宿直の警備員もいたかもしれない。
早くレンを起こして移動しなければ。
でも、どこに?
追っているのは警察だ。
国家権力の組織力と情報力は半端ではない。
極端な話、通行人に目撃されるだけで居場所が筒抜けになる。
捕まったらいったい何をされるんだろう?
ふと嫌な考えが頭をよぎる。
警察に追われているのはレンだけだ。
ジョイストーンを奪われた自分はもう用済みのはず。
もし彼を見捨てて逃げれば、明日からまた普段通りの生活に戻れるかも知れない……
「ダメよっ、なに考えてるの!」
紗雪は頭を大きく振って自分の頬を叩いた。
そして隣にいるレンの寝顔を見る。
小学生くらいにしか見えない少年。
いや、実際に彼はそれくらいの年齢なのだ。
年齢を誤魔化して中学校に通っているけど、本当はまだ十歳かそこらのはず。
常人離れした力を持つ拳法の達人とはいえ、幼い子が一人で日本に来て不安がないはずはない。
だからいつも同居している新九郎に甘えているし、彼がピンチになった時は身を挺してでも守ろうとする。
その新九郎は今はいない。
だったら私が守ってあげなきゃ。
力になれるかはわからないけど、年長者として……
ううん、お姉さんとしてはそうするのが当然なのよ!
「そうと決まれば、早く場所を移動しないとね」
紗雪は眠ったままのレンを背中に担いだ。
自分がSHIP能力者という特殊な人間で、人より力があるのは知っている。
それを差し引いてもレンの体は軽かった。
起こさないように。
誰かに見つからないように。
周囲に注意を払いながら素早く教室を出る。
律儀に脱いだ靴を取りに行くため昇降口へ向かい、小脇にレンの靴を抱えて正門から通りに出た。
その時だった。
「っ!?」
「あら、レンさん目が覚め……ぶぎゃ!」
レンが跳ね起きた。
声をかける間もなく彼は背中から逃れ、その際に後頭部を踏み台にされる。
蹴り倒される形になった紗雪は地面にうつぶせに倒れるが、結果的にそれが幸いした。
すぐ頭上を銃弾が掠めていった。
「ちょ……」
校門の壁に穿たれた弾痕を見てゾッとする。
もしレンに蹴り倒されていなければ死んでいたかも知れない。
レンが壁際に隠れていた男に躍り掛かる。
紺と水色の制服。
胸には
二人組の警官で、片方は拳銃を構えている。
「やっ!」
「げぼぉっ!?」
レンは銃を持っている方を殴って気絶させた。
着地を待たず、もう一人も側頭部へ回し蹴りを叩き込んで倒す。
「紗雪さん!」
レンが手招きをしている。
しかし紗雪は腰が抜けて動けない。
警察が警告もなく撃ってくるなんて信じられない。
もう少しズレていたら当たってたんだよ!
「ご、ごめんなさい、私……」
紗雪が動けないでいるとみると、レンは小走りで戻ってきた。
油断なく左右を見回しつつ紗雪の前で片膝を立てる。
「立てる?」
「あ、はい……」
口では肯定しても足が動いてくれない。
レンは首を横に振って言った。
「紗雪さん、ここでさよならした方がいい。狙われてるのはぼくだけだから。紗雪さんはぼくに無理やり連れてこられたって言えばきっと大丈夫。アオイさまは紗雪さんを傷つけたりはしないはず」
「で、でも……」
「おかげでゆっくり休めたよ。ぼくはもう大丈夫」
悔しいが、足手まといにしかならない。
得体の知れないモンスター相手なら立ち向かえる。
だが、銃という現実の恐怖を前にしたら途端にこのざまだ。
サイレンの音が聞こえてきた。
パトカーが接近している。
一台や二台ではない。
それも両側からだ。
このままでは挟み撃ちにされる。
「ごめんね、行くよ。シンくんは絶対に助けるから」
「あっ……」
丁寧にぺこりと頭を下げてレンは立ち上がる。
行ってしまう、このままでは二度と会えなくなる。
そんな不安から紗雪は思わずレンの衣服の袖を掴んだ。
引っ張られたレンの動きが止まる。
直後、彼は肩から血を吹いた。
「ぐっ!」
「え」
レンが肩を押さえて倒れ込む。
何が起こったのかわからなかった。
「いたぞ! 龍童だ!」
学校の中から複数の人が走ってくる。
人数は四人。
紺色のゴテゴテした防弾服。
シールドを下ろした大型のヘルメット。
そして胸には小銃を抱えている。
彼らは紗雪たちを扇状に取り囲んだ。
そこで初めてレンが撃たれたことに気づいた。
「動くな!」
彼らは蹲ったままのレンに対して一斉に銃口を向ける。
「やめっ……」
紗雪が反射的にレンを庇おうとした直後、踏み出した足スレスレの地面に銃弾が撃ち込まれた。
目の前の四人は撃っていない。
上に視線を向けると、校舎の屋上に大きな狙撃銃を構えている男がいた。
さらに複数のパトカーがサイレンも鳴らさずやってくる。
車は歩道に乗り上げ、完全に紗雪たちの逃げ道を塞いでしまった。
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