5 青山紗雪とジョイストーン

 白一色の冷たい印象の廊下をアオイは小走りに歩いていた。


 階段から四つめのドアの前で立ち止まる。

 呼吸を整え、数秒の間をおいて三度ノックする。


「はい、どうぞ」


 許可を得てドアを開くと花の香りが舞い込んできた。

 西日が差し込む病室に窓際のベッドに体を起こして本を読んでいる青山紗雪の姿があった。


「お邪魔するわね」


 壁際に立てかけられた折りたたみ椅子を広げベッドの脇に座る。


「体調はどう?」

「とっくに完治してますよ。早く退院させて欲しいです」


 退屈を我慢できない様子の紗雪はため息と一緒に不満を漏らす。

 留守番を命じられた少年のような無邪気な姿に思わず表情が緩む、が。


「……私が退院出来ない理由って、怪我が原因じゃないんですよね」


 彼女は沈んだような声で呟いた。

 やはりこれ以上は黙っていられない。

 アオイは覚悟を決めて表情を引き締めた。


「紗雪」


 本の上に置かれた彼女の手に触れる。

 紗雪は驚いたように手を引っ込めようとした。


 アオイは力を込めてそれを遮る。

 いつものような冗談のセクハラではない。

 真剣な気持ちを目で訴えつつ手に力を入れる。


「これを」


 剛力のSHIP能力を持つとはとても信じられない小さな紗雪の手。

 アオイはそっとジョイストーンを握らせた。


「えっと、これは?」

「あなたが知りたがっているものの正体よ。私たちはそれでJOYを使うの」

「ジョイ……?」

「巻き込んでしまうのは心苦しいけれど、あなたも……」

「なにやってんだよ」


 開きっぱなしだったドアの方から聞き慣れた男の声が響いた。


 どうして……などと悪態をつくつもりはない。

 ただ、なんてタイミングが悪いんだろうと思った。


「青山になにやってんだって聞いてんだよ、アオイ!」


 アオイはゆっくりと振り向いた。

 そこには怒りに顔を歪めた新九郎が立っていた。


 彼はアオイに近づいて胸倉を掴みあげる。


「青山は巻き込まないって言ってたじゃねえか!」

「苦しいわよ。離しなさい」

「うるせえ!」

「ちょ、ちょっと新九郎! 暴力はダメだよ!」


 二人の間に紗雪が割って入る。

 たぶん状況はよくわかっていないだろう。

 責められている自分を庇ってくれるのが少し嬉しかった。


 新九郎は紗雪を一瞥するが、すぐに憎しみを込めた視線をアオイに戻す。


「答えろ。どういうつもりで青山にジョイストーンを渡そうとした」

「幼なじみを巻き込みたくないというあなたの気持ちはわかるわ。けれど、不幸にも紗雪は私たちの世界を知ってしまった。しかも彼女は敵から身を狙われているのよ。ならば自分自身を守るための力を持たせた方が安全とは思わないかしら?」

「アテナさんから聞いたぜ。青山には適正がないんだろ」

「……」


 副班長め、余計なことを喋ってくれた。


「適正がない奴がJOYを引き出せば全身から血を吹いて死ぬかもしれないんだろ」

「あくまで可能性があるというだけよ。そうならない場合もあるわ」

「お前、何の説明もせずに青山にジョイストーンを渡したよな? 下手すりゃ死ぬかもしれないってことを隠して、それが守りたいって言った相手にすることかよ」

「でも、このままじゃ彼女が危険に……」

「わかってるぜ。青山がとんでもないJOYを生み出すかもしれないんだろ?」


 ……なぜ、それを?

 思わず出そうになった言葉はなんとか堪えた。

 しかし驚いた表情までは隠せなかった。


「ああ、やっぱりかよ。お前は青山が大事なんじゃなくて、こいつのJOYが欲しかっただけなんだろ。いつか自分が手に入れるために嘘まで吐いて。好意を装った演技にずっと騙されてたってわけだ、俺も青山も!」

「ちょっと新九郎、何言ってるのさっきから! とにかく先輩から手を放してあげて!」

「騙されんな青山。こいつは仲間を平気で殺すような女だぞ」

「殺すって……先輩はそんな人じゃ……」


 紗雪の庇う声を聞きながらアオイは目を伏せた。


 悲しかった。

 アオイにはオムを殺した前科がある。

 そこに今の現場を見られては何を言っても無駄だろう。


 もう新九郎の信頼は取り戻せない。

 彼の認識に多少の誤解があったとしても。

 でも、仕方ない。


 どんな手段を使っても青山紗雪のJOYを手に入れるつもりなのは本当なのだから。


「新九郎」


 アオイは表情を消した。

 感情のない瞳で新九郎を見上げる。

 迫力に気圧されたのか、わずかに手の力が緩む。


「もし邪魔をするなら今日から一週間以内にマナを殺すわ」

「なん、だと……?」


 新九郎はマナに好意を持っている。

 彼女のためなら危険に飛び込むことすら厭わないほどに。

 幼なじみと好きな女を天秤にかけさせる卑劣な手段をアオイは躊躇無く選んだ。


「てめえ、本気で言ってんのかよ……」

「もちろんよ。だって貴方の言う通り、私は仲間を平気で殺す女ですもの。適正がなくて本人が死んでもジョイストーンにJOYは宿る。後は残った力を手に入れればいいだけよ」

「この野郎っ!」


 新九郎が拳を振り上げ、アオイは強く目を閉じた。

 ここまで言ったのだから一発くらいなら殴られてやってもいいと思ったのだ。


 しかし、覚悟していた衝撃はなかった。

 うっすらと目を開くと、紗雪が寸前で新九郎の拳を受け止めていた。


「新九郎、大丈夫だよ」

「青山……」

「竜崎先輩。私、やります」


 紗雪はアオイの名字を呼び、渡したジョイストーンを握り締めた。


「やめろ! 死ぬかもしれないんだぞ!」


 新九郎は止めようとするが、紗雪は覚悟を決めた強いまなざしで彼を見返す。


「大丈夫だよ。私にはわかるの」

「けど……」


 ハッキリと言い切られてしまった新九郎は次の句を繋げない。

 紗雪の言葉に根拠などないことをアオイはよく知っている。

 それでもその言葉を幸いにアオイは彼女に微笑みかけた。


「紗雪、お願いできるかしら?」

「その代わりに私からもお願いがあります。もし無事にそのJOY? という力が手に入って、私も死ななかったら、それは私自身が使います。私をあなたたちの仲間にしてください」

「ええ、もちろんよ。よく決意してくれたわね」


 彼女がアミティエに参加するのならそれはそれで構わない。

 第三班の班員になるのなら間接的には手元に置くのと変わりないからだ。


 新九郎に言ったように力だけを奪うというのはあくまで次善の手段だ。

 紗雪が無事なら最初の内はジョイストーンはレンタルという形で預からせてもらう。

 だが、そういう説明も後でいい。


 後は紗雪が無事に能力発現を成功させることを祈るだけだ。

 適性がないとはいえ、生き残る確率は五分五分程度。

 SHIP能力者だしもう少し高いかもしれない。


 アオイは触れた手に力を込め、本心から彼女が無事に力を得られることを願った。


「いきます……」


 三人が息を飲み、紗雪の手に視線を集中させる。

 わずかな光が指の隙間から漏れたが、それはすぐに収まった。


 紗雪の体に変化はない。

 どうやらJOYの取得に成功したようだ。


 アオイは安堵のため息を吐き、紗雪に優しく微笑みかけた。


「おめでとう。ごくろうだったわね、紗――」

「すみません竜崎先輩」


 触れようとした手を払われる。

 直後、紗雪は病室の窓を全開にする。

 何をするのかと思う間もなく、手の中のジョイストーンを投げ捨てた。


「紗雪、何をっ!?」


 慌てて窓に駆け寄るが、ジョイストーンはまさに駐車場から出ようとするトラックの荷台に載り、そのまま外へと運ばれて行ってしまった。


 アオイが振り返って紗雪を睨みつける。

 彼女は挑戦的な目つきでにらみ返してきた。


「……どういうつもり?」

「すみませんけど、友達を殺すなんて簡単に口にするような人の言うことは聞けません」

「こんなことをしてタダで済むと思っているのかしら」

「知りません。それよりも早く追いかけた方がいいんじゃないですか? あれ、ずっと欲しかった大切なものなんでしょ?」


 紗雪の言うとおりだ。

 彼女は確かに能力を宿した。

 つまり、いま放り投げたジョイストーンには彼女のJOYが宿っている。


 以後、紗雪が空のジョイストーンをが手にしても何の効果も現さない。

 それ以上にあれが何者かの手に渡ることは絶対に避けなければならない。


「おぼえてなさいよっ!」


 自分でも嫌になるような雑な捨て台詞を残し、アオイは病室の窓から飛び降りた。

 即興で作った氷の滑り台で下まで降りると、適当な車を奪って出て行ったトラックを追いかけた。

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