5 大失態 -Lack of gas-

「ただいまですわ! 誰か車のキーを貸してくださいませ!」


 神田和代は外から帰ってくるなり居間の襖を開け大声を出した。

 彼女が唐突に何かを言い出すのはいつものことであった。

 ALCOの皆もわざわざ理由を尋ねることはしない。


「車はあるけど、運転できる奴は全員出払ってるよ」


 奥の部屋からミナトが顔を出して言った。

 和代は苦い顔で隅っこでテレビゲームをやっている食客たちを見た。

 アミティエから来た最初期からの能力者のうち、ショウ、マコト、ヒイラギの三人である。


「運転できる人はいませんか? ショウ以外で」

「俺は最初から戦力外かよ」

「あなたと二人っきりにだけはなりたくないだけですわ」

「わた」

「あ、一応できますよ。免許は持ってないけど」


 ヒイラギが何か言いかけたのを遮ってマコトが手を上げた。


「構いませんわ。一緒に来てくださいませ」

「車なんか使わなくても飛んでいけばいいじゃねーか」

「そういう単純な思考だからあなたを外に出したくないんですわよ!」


 ショウには絶望的に追われる者としての自覚がない。

 彼一人の問題ならば別に好きにすればいいが、これが集団である以上、一人のミスが組織全体の崩壊に繋がりかねない。


 そんな綱渡りの状況を和代たちはずっと続けてきた。

 一年前、日本に戻ってくる前に長い時間をかけて構築した情報網。

 存在秘匿を徹底しているからこそ、こうして敵地で思うように行動ができるのだ。


「運転は別にかまわないけど、どこまで行くんですか?」

「すぐ近くですわ。ちょっと古い知り合いが潜伏しているとの情報を手に入れたので」

「……それは、L.N.T.関連の?」

「ええ」


 各所に送り込んだ工作員によって和代たちの元には常に新しい情報が入ってくる。

 横須賀に護送される途中の上海の龍童を補足して逃がした時もそうだった。

 情報の真偽を確かめて、実際に行動に移すのは現場の役目である。


 和代は昨晩からリーダーの香織と共にスポンサーのご機嫌取りのための放送テロを行っていた。

 その途中で有力な情報が手に入ったため、途中で切り上げて一人で戻ってきたのだ。


 大胆に過ぎれば破滅に繋がる。

 慎重に過ぎれば何も成果を得られない。

 反ラバースという目的を持って行動している以上、彼女たちの気が休まることはない。


「わかりました。ぜひ協力させてください」


 今回の情報はマコトたちにとっても他人事ではない。

 記憶に埋もれた幼少期を過ごした場所に関係することである。

 ゲーム画面から目を離さないショウを除いた全員が神妙な表情をしていた。




   ※


 しまった、大失態だ。

 こんなことは普段なら決してあり得ない。


 いや、起こってしまったことを嘆いている場合ではない。

 そんなことは重々承知している。


 それでもシンクは自分自身の思慮の浅さを恨まずには居られなかった。


「マジでどうすっかな……」


 シンクは動かない愛機ZZR400に跨がりながら途方に暮れていた。

 ガス欠である。

 それだけならまだいい。

 少しがんばって近くのスタンドまで押せばいいだけだ。


 問題は現在、一文無しだということだ。

 財布を自宅に忘れてしまったため、現金はおろか、アミティエメンバーの特権にして生活用品ならなんでも経費で落とせるVIPカードも持っていない。

 加えて誰かと連絡を取るための携帯端末も自宅で目下充電中だ。


 ことの始まりは今朝。

 携帯端末の目覚まし機能がオフになっていたことに根源がある。


 普段なら多少の寝過ごしは気にもしない。

 学校だろうがアミティエの活動だろうが同じ。

 遅れて文句を言われても聞き流せばそれで終わり。


 だが、今日は絶対に遅れられない用事があったのだ。

 朝早くからアテナさんを自宅まで迎えに行き、彼女の学校まで送り届けるという大切な約束が。


 目が覚めた時点で予定の出発時刻ギリギリ。

 みっともない格好を見せないことを第一に優先した。

 着替えて顔を洗うと手荷物の確認もせずに即座に家を飛び出した。


 携帯端末を持っていなかったことはこの時点で気づいていたが、財布がないことに気づいたのは、何とか時間通りにアテナさんを学校まで送り、帰路について十数分後にガソリン切れで停止した直後のことだった。


 いつも上着のポケットに入れっぱなしのはずの財布が今日に限って入ってなかったなんて。


 現在位置は川崎市の北西部。

 アテナはずいぶん遠い学校に通っている。

 どうがんばっても歩いて帰れるような距離ではない。


「適当にワルそうなガキを見つけて金をか……いやいや、もうそういう年じゃねーし」


 パニックのあまりに物騒な考えまで浮かんできてしまう。

 幸いにもジョイストーンはあるので、瞬間移動を繰り返して地道に帰るという手段もなくはない。


 もちろん一般人に見られない保証はないので、そんな方法は使いたくなかった。

 大人しく近くの交番にでも寄って電話を借りて人を呼び出すか……


「まてよ、この辺りって新柿まで近いんじゃねーか?」


 ふと、別の解決策を思いつく。

 目の前に走るのは尻手黒川道路という通りである。

 ここを来た方角、川崎インターとは逆方向にしばらく行けば都筑市に入る。

 その辺りは新柿生と呼ばれる地域で、そこには無難に金を借りられそうな知り合いが住んでいる。


「よし、行くか」


 こんな用件で久しぶりに会いに行くのもなんだが、背に腹は代えられない。

 まさか追い返されたりはしないと思うが……


 シンクはバイクを裏路地に停めて歩くことにした。

 多少の距離はあるが、ここからなら一時間もかかるまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る