4 氷結の呪い

 周囲の気温が急に大きく下がった。

 真っ黒なドレスと、同色のシルク帽子を身に着け、強烈な冷気を纏った女が歩いてくる。

 

「うわ、アオイじゃねえか」

「知り合い?」

「第三班の班長。とりあえずアミティエの中で一番厄介な奴だ」


 ショウの言葉を受けてアオイという女は攻撃的な笑みを浮かべる。


「ずいぶんと乱暴な紹介ね。裏切り者のあなたにだけは言われたくないのだけれど」

「裏切った覚えはねえよ。ってか、そいつを凍らせたのはお前だな」

「ええそうよ」


 アオイはショウの問いをあっさりと肯定した。

 簡単に言うが、それは恐ろしい能力である。


 マークの探知に引っかからないほど離れた距離から一瞬にして人体を氷漬けにできる。

 本気になればショウはともかく、並の能力者では何も抵抗できずに動きを封じられてしまう。


 ……いや、おかしいぞ。

 それならわざわざ青山紗雪を凍らせる必要はない。

 ショウが無理でも、例えばマークを狙って戦力を減らすことはできたはずだ。


 目標がズレたのか、それとも――


「そうか……お前、前々から仕込んでやがったな」


 どうやらショウも同じ結論に達したらしい。

 アオイは肯定し、嫌らしい笑い声をあげた。


「ええ、そうよ。ずーっと前から定期的に紗雪に触れて『フリーズカース』をかけ続けていたの。私が命令するか、彼女が能力による危害を加えられることがあれば、即座に氷漬けになるようにね」


 長い時間をかけ、条件一つで対象を氷漬けにする氷結の呪い。

 突発的に出会った敵に使える力ではなさそうだが、それはそれで恐るべき能力だ。


「つーことは、そいつがSHIP能力者だってことは知ってやがったんだな」

「もちろん、当然でしょう? ちなみに無理やり連れ去るのはやめておいた方がいいわよ。その氷は簡単には割れないし、特殊な結界になっているから窒息することはないけれど、丸一日そのまま放置していたら体力が低下して死んでしまうわ」

「……ショウ、一つ訂正するよ。女の子相手でも殴りたくなることはあるみたいだ」


 この女に比べればさっきの新九郎とかいう男なんてかわいいものだ。

 守るべき相手を人質にするなんて、並の神経で思いつくようなことじゃない。


「やるのか?」


 ショウも彼女を相手にすることに乗り気ではないらしい。

 このまま青山紗雪を連れ帰ったとして、氷の呪いはたぶん『あの人』なら解除できる。

 だが他にも罠を仕掛けられていない保証はないし、ここは大人しく引き下がった方がよさそうだ。


「いや、やめておこう。今日は最初から様子見だけの予定だったんだし、ショウが『せっかくだから連れて帰ろう』なんて言い出さなきゃ姿を現すつもりもなかったんだから」

「悪かったな」


 マークとショウは同時に地面を蹴った。

 それぞれの能力を使って近くのビルの屋上にまで跳び上がる。


 氷漬けのままあさっての方向を指さしている青山紗雪。

 血を流して倒れている新九郎。

 そして二人を余裕の表情で見上げるアオイだけが地上に残される。


「また近いうちにお目にかかると思うよ。今度はしっかりと計画を練って来るからね」

「つーことだから、じゃあな。アオイ」


 眼下の女にそれぞれ言葉を残し、二人の姿は風の中に消えた。




   ※


 シンクは目を覚ました。

 まず目に映ったのは真っ白な天井だった。

 薄い色のカーテンから光が漏れる、自分の部屋ではない場所。


 そこが病院だと理解するまでにかなりの時間がかかった。

 上体を起こそうとすると背中に鋭い痛みが走る。

 思わず苦痛の表情を浮かべてしまう。


「くっ……」

「シンくん!?」


 可愛らしくも悲痛な声がすぐ傍で聞こえた。

 ベッドの横で椅子に座る、目を赤く腫らした見た目は小学生くらいの少年。

 不自然な水色の髪は短く切りそろえられているが、どう見てもショートカットの女の子にしか見えない。


 だが、こう見えてこいつは男だ。

 かつて上海の龍童と呼ばれた武闘派少年、陸夏蓮ルゥ=シアリィェン

 通称レンである。


「よかった、シンくんが目を覚ました!」

「ぐわあああっ!」


 いきなり抱きついてくるレンを避けることができず、思いっきり背中を背後の壁にぶつけてしまい、冗談抜きで死ぬかと思うくらい痛かった。


「お、おい、レン……俺は怪我人だぞ……」

「あっ、ごめんねっ」


 レンが慌てて身体を放す。

 シンクはしばらく蹲ったまま痛みに耐えた。


「あのね。ぼく、シンくんが死んじゃったんじゃないかって思って。すごく悲しくて」

「わかった。わかったからちょっと待っててくれ」


 さっきまで泣いていたらしいくしゃくしゃの顔を見ればわかる。

 きっと必死に看病してくれていたんだろう。

 別に怒るつもりはない。

 超痛いけど。


 痛みが鎮まってくるにつれ、段々と記憶が蘇ってくる。


「俺は、負けたのか……」


 最強の能力者。

 アミティエ第一班の班長。

 シンクはあの男に手も足も出なかった。


「っ! そうだ、青山は!?」

「あ、さゆきお姉ちゃんなら」

「別室で寝ているわよ」


 病室のドアが開き、レンの声を遮ってアオイが姿を現した。


「怪我はないから安心して。ただ私たちの活動を知られてしまったから、簡単に家に帰すにはいかないの」

「そうか」


 それを聞いて安心する。

 奴らは青山を見逃してくれたらしい。


「あんたが助けてくれたのか」


 シンクが倒された後、あの場に彼女を守る者はいなくなった。

 状況を考えれば遠い中学校に通っているレンが駆け付けたとは考えづらい。

 横槍を入れられる人間がいるとすれば、すぐそばにある同じ高校の生徒であるアオイくらいだ。


「ええ……と言っても、二人を追い払うので精いっぱいだったけど」

「悪いな」


 シンクは素直に感謝の言葉を述べた。

 自分が負けたせいで幼馴染を守れなかったなんて。

 そんなことになっていたら、悔やんでも悔やみきれなかった。


「お礼はいらないわよ。紗雪に体で払ってもらったし」

「……おい、青山に何をした」

「別に。ちょっと気絶している間に服を全部脱がして肉体美という芸術を鑑賞しただけよ」

「人の幼馴染に何やってんだよ!?」

「怪我人の意識がないうちに裸にするもはや義務なのよ」


 ダメだ、これでは青山は助かったとは言えない。

 忘れていたがこいつもどうしようもない変態だった。

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