10 ラバースコンツェルンの中核

 その空間は二色だけで構成されていた。

 どこまでも深く沈むような黒い背景に、赤い光の線が幾何学的な模様を描いている。

 よく見ればすべての線に始まりと終わりはなく、複雑に絡まった一本の光になっていることがわかる。


 所々に赤い光の密度が濃い場所があった。

 その向こうにある老人たちの醜悪で下卑た表情を想像して、ルシフェルの苛立ちはさらに膨れ上がる。


 愚にもつかない仮想世界だ。

 今どき神経感覚すら再現していない。

 かりそめの肉体を得て動き回れるわけでもない。


 ヘッドマウントディスプレイを装着してネットワークに繋ぐだけ。

 ちょっと派手な映像装置のついた電話みたいなものだ。


 ここはラバースコンツェルン傘下企業の使うバーチャル会議室である。

 配下に能力者組織を持つ『コア会社』の重役だけが立ち入ることを許された特別会議室だ。


 ルシフェル以外の参加者はみな年寄りか、若くても四、五十代の中年ばかりである。


『いやあ、ようやくこの時がやって来たという感じですな』


 右方から聞き取りづらい編集音声が聞こえてきた。

 赤線が動いて四角いウィンドウを作り、その中に発言が文章として表示される。


『まったくです。これで枕を高くして眠れる』

『そもそもが異常だったのですよ。テロ組織ごときをいつまでも放置しているなんて』

『この作戦に参加できる関東近郊の方々が羨ましいですよ』


 誰かの勝手な発言に別の誰かが相槌を打ち、無駄なおしゃべりが始まった。


 なんなんだこいつらは。

 発言は事前に許可を取れと言われただろう。

 いい年した責任ある大人が、小学生でも守れるルールが守れないのか。


 この会議に参加している人間は全部で一〇人。

 その中でルシフェルともう一人を除く八人はこんな様子である。

 議長が席を外すと、すぐに興奮を抑えきれない様子で好き勝手なことを喋りだす。


 黙っているもう一人は言わずと知れたフォレストオンの代表。

 先日末に暴走し、本社への反旗を翻したポシビリテの監督責任者である。


 今回の会議の結果がどうなろうと彼の処遇はほぼ決まっていた。

 追放。

 それが重役の椅子か、会社からか、はたまたこの世からかは議長のさじ加減ひとつだが。


 配下の能力者組織が反乱を起こして他の能力者組織に害を及ぼしたという、ラバースコンツェルンの歴史において前代未聞の事件が収束してから一週間が過ぎていた。


 首謀者の折原知香とかいう女は、取り調べの名目で老人たちの間をたらい回しにされ、ついに背後の事実関係を吐いた。

 と言っても恐らく尋問は最初の数分で終わり、あとは老人たちの醜悪なお楽しみタイムだっただろう。

 目を離した隙に独房で自ら命を絶ったという結末が彼女への悲惨な扱いを物語っている。


 とにかく、彼女から引き出された情報は非常に有益なものであった。

 通信記録を辿り反ラバース組織ALCOの本拠地の場所が明らかになったのである。


 ポシビリテの暴走にもALCOが一枚噛んでいたとなれば、いよいよ放置しておく理由もなくなった。

 そしてついに普段は暇を持て余しているくせに滅多に顔を合わせない能力者組織の長たちが、こうして一堂に会し、今後の動向を決定する会議を開くに至ったのである。


 席を外している議長が戻ってきたら結論が出る。

 最終的な決定権はあの男にあり、ルシフェルを含めた参加者たちはほとんど飾り同然だ。

 それを不快に思っている人間はルシフェル以外に誰もいないようだが。


 ルシフェルが苦い顔をしている理由は頭の悪い老人たちに囲まれているからだけではない。

 今回の結論次第では手元の『切り札』を放出せざるを得ない状況にあるせいだ。


 いや、ほぼ確実にそうなるだろう。

 あの男はルシフェルの反抗心に気づいている。

 それにも関わらず、恐らく泳がされている節があった。


 怖いのはALCOなどではない。

 仲間内での蹴落とし合いである。


 いや、最悪それでも大丈夫なはずだ。

 老人たちの思惑はどうであれ、配下の能力者組織同士は仲違いしているわけでもない。


 ましてやルシフェルの切り札が……

 アミティエ第一班班長ショウが他の組織の能力者に後れを取ることなど、あり得るはずはない。

 ルシフェルは自分にそう言い聞かせて平静を保とうとした。


 やがて、低い音が最も赤色の密度が濃い場所から漏れ聞こえてきた。

 その音に反応して老人たちが一斉にお喋りを止める。

 まるでよく調教されたペットのようだ。

 ルシフェルは内心でせせら笑い、わずかに溜飲を下げた。


『決定を伝える』


 しかし議長の……ラバースコンツェルン総帥である男の声を聞くと、そんな気持ちは一瞬で吹き飛んだ。

 ルシフェルの実の父親でもあるその男が口にした決定は、やはり彼の予想通りのものであった。


「反ラバース組織ALCOの殲滅作戦を遂行する。関東各社の能力者組織はそれぞれ事前に通達したメンバーを作戦に投入せよ。結構は三日後。その日がALCO最期の日となるだろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る