9 決定的断絶

 座席の柔らかさが逆に居心地の悪い後部座席に体を預けると、なんだか強い倦怠感に襲われた。

 指を動かすのも億劫なくらい疲れているのにレンがここぞとばかりにくっついてくる。

 というか身体をベタベタ触ってくる。


「おいなにやってんだ」

「シンくんに怪我がないか見てるんだよ」

「別にねーから。そういうのいいから」


 心配が本当だとしても男に触られて喜ぶ趣味はない。

 しかも外見だけなら女子児童にしか見えないから二重の意味でヤバい。

 前の助手席にはマナ先輩も座っていることだし、間違っても誤解を受けたくない。


「……まあ、ひまわり先輩から借りたこいつがなけりゃ危なかったけどよ」


 シンクは左手を開いて中指に嵌ったままのリングを眺めた。

 受け取ったときは淡い緑色に光っていた宝石が今はガラス玉のように色褪せている。


「あ、Dリング?」


 マナ先輩が座席越しに覗きこんでくる。

 シートベルトつけなきゃ危ないっすよ。


「すごいよねそれ。ぜんぜん痛くないし、衝撃もほとんど吸収しちゃうの」

「ラバースコンツェルンは本当に常識外れなモンばっか作りますね」


 これが実用化されたら事故に巻き込まれても怪我をしなくなる。

 テロや暴力事件に巻き込まれた時にも生存できる確率は大きく上がる。

 EEBCが実用化された時と同じ、歴史を大きく変える大発明と言えるだろう。


「実はそれって十年くらい前にはもう量産されてたらしいよ」

「そうなんですか? じゃあなんで今まで秘密にされてたんですか」

「エネルギー問題が解決できなかったから実用化できなかったんだって」


 宝石の中で緑色に光っていたのがそのエネルギーってやつか。

 電気ではないだろうし、一体どんな仕組みなのか見当もつかない。


「すごいと言えば、あいつらの使ってたテンマの白バージョンみたいな奴もですね。あれなんて完全にロボット兵器みたいなもんじゃないですか」

「ああ、うん。あれはね……」


 生半可な銃火器では傷も付けられない強固な防御力を持ったパワードスーツ。

 あんなのが機敏な動作で動くのだから、武装こそないが歩く戦車のようなものである。

 相手がただの人間なら一体でも十分な脅威になるだろう。


 ラバースコンツェルンは戦争でも始めるつもりなのか? 

 そんな考えが頭をよぎった瞬間、ポケットの中の右手が急激な熱を訴えた。


「……なんだ?」


 他のメンバーも同様だが、JOY使いになると常にジョイストーンを弄るのが癖になる。

 急激に熱を発したのはシンクのジョイストーンだけだった。


 瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡る。

 まるで何かの予兆のようなこの反応。

 シンクの不安はみるみる増大していく。


「レン、マナ先輩」

「なに?」

「悪いけどちょっと先に帰っててくれ」


 腕に絡みつくレンを無理やり引きはがし、シンクは≪空間跳躍ザ・ワープ≫を使った。

 ドアを開けることなくシンクの体は一瞬にして車外に飛び出す。




   ※


 いつのもようにディレイタイムにダッシュを挟むことはなく、瞬間移動だけを繰り返す。

 足のだるさが取れないのもあるが、一番の理由はこっそりと近づくためだ。


 何回目かの空間跳躍でさっきの場所の近くまでやってきた。

 足音を殺して坂の上までやってくると、丘の向こうの視界が一気に開ける。


 そこにひまわり先輩はいた。

 彼女は歩道にしゃがみ込んでこちらに背を向けている。

 嫌な予感はますます加速し、最後の瞬間移動で一気に先輩の背後まで跳ぶ。


「……なにやってるんだよ」


 ひまわり先輩の肩がぴくりと震えた。

 彼女はゆっくりと立ち上がってこちらを振り向いた。

 その姿を見てシンクはゾッとすると共に、堪えようのない怒りが湧き上がる。


「なにやってんだよ、あんたはっ!」


 衝動的に胸倉を掴み上げる。

 ひまわり先輩のバトルドレスはぬめっとした液体で濡れていた。


 彼女の顔にも飛び散っているのは真っ赤な血。

 ひまわり先輩は温度を感じさせない眼差しをシンクに向ける。


 その背後にはオムが倒れていた。

 ずれたサングラスの下の瞳は大きく見開かれ、だらしなく口を開けている。

 腹部は大きく切り裂かれていて、辺り一面におびただしい量の鮮血と臓腑を撒き散らしている。


 事切れているのは一目瞭然だった。

 殺したのが誰なのかも。


「なんでだ!? なんで亮を殺した!」

「ラバースを裏切ったからよ」


 ひまわり先輩の言葉は簡潔で、それでいて有無を言わさぬ重さを持っていた。


「彼はアミティエに反旗を翻し、私たちの仲間を傷つけた。現場の判断で処刑する理由は十分よ」

「なにも殺すことはねえだろうが! 亮にもやむを得ない理由があったかも――」

「搬送先の病院でシノが死んだわ」


 シンクは言葉に詰まった。

 脳裏に一人の少女の姿が浮かび上がる。

 作戦を終えた後、いつも気恥しそうにタオルを手渡してくれた少女。


 襲撃された第三班のたまり場で、一番深い傷を負っていた。

 あの子が……死んだ?


「普段からSHIP能力者を相手に戦っているあなたならわかるでしょう。組織に管理されない暴力が、どれだけ人々に害を及ぼすかということを」


 言葉を失っているシンクに、ひまわり先輩は教え諭すように淡々と言葉を紡ぐ。


「身に余る力を持った人間はそれを正しく使う義務があるわ。ましてやオムはアミティエの班長で、多くの能力者を束ねる立場なのよ。彼の一声で多数の能力者が社会に牙を向く可能性もある」

「け、けど、悪いのはオムを利用した別の能力者組織の奴らだろ!?」

「騙されたなんて言い訳にもならない。彼は自身の意思でラバースに敵対することを選び、私たちの仲間を傷つけた。あのまま放っておけば彼はフレンズ本社に乗り込んでさらに大勢の人を傷つけ、最悪の形で能力の存在を世に公表することになっていた。そうなったらは社会へのダメージは甚大よ」

「……」

「私たちは多くの人たちの平穏を守るため、薄氷を踏むような危険な世界を生きているのよ。それは与えられた力の代償なの。ましてや彼は信頼を得てJOYインプラントを受けていたのだから、裏切ったらこうなることもわかっていたはずよ」

「だけど、だけどっ……!」


 ひまわり先輩がシノの仇討ちなんて理由でオムを殺したわけじゃないことはわかっている。

 彼女は個人である前に、彼女の言うところの『力を持つ者たちを束ねる班長』なのだ。


 その冷たい瞳の奥にどれだけの感情を殺しているのだろう。

 むしろシンクが感じている怒りこそ友人を殺されたことに対する個人的な感情なのだろう。


 それでも。

 だけど。


 ハイそうですかと割り切れるほど、シンクは強くなかった。


「どんな理由があれ、あんたは、亮を殺したっ! 俺の友人をっ!」


 シンクの右拳に炎が宿る。

 熱は急速に膨れ上がり、強大な力は暴走の時を待つ。

 胸倉を掴んだままのひまわり先輩の体を電柱に押し付けて拳を振り上げる。


 耳をつんざくような大爆音が響いた。

 ひまわり先輩は相変わらず感情の読めない目でこちらを見ている。


 シンクが放った爆炎の力は地面に小さなクレーターを作った。

 爆弾を投下されたように、アスファルトがその下の地面ごと削れている。

 それはまるでオムが乗り移ったかのような、彼の全力の一撃にも等しい威力だった。


「……あなたには今後、四班の班長を引き継いでもらうわ」


 冷風のようなひまわり先輩の言葉が耳に届く。

 シンクは掴んだ手を離して彼女に背を向けた。


「今回の結果が悔しいなら、あなたはその力でこれまで以上に――」

「わかってるよ!」


 ぶつけられなかった怒りを一部でも返すように怒鳴り声を上げる。

 静寂の中、シンクはもはや後戻りができないことを悟った。

 シンクは一刻も早く彼女から離れるために歩き出す。


 ひまわり先輩……

 いや、第三班班長アオイ。

 彼女とはもう、以前のままの関係ではいられないだろう。


「……だから、あなたには見せたくなかったのよ」


 か細い言葉が風に乗って耳に届いても、シンクは決して足を止めなかった。

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