第八話 ポシビリテ

1 ポシビリテ

 平日の夕方、日中のバイトを終えたオムは電車に揺られていた。


 つり革を手に外の景色を何となしに眺める。

 西側の山上に巨大な観音像の横顔が見えた。


 彼はシンクと同じ年齢だが高校には通っていない。

 中学を卒業してすぐ知り合いの先輩の紹介で配送のアルバイトを始め、今に至る。


 運が良ければ正社員登用もあると言われているが、今はそこまで考えてはいない。

 最近特に充実しているアミティエの活動とは対照的に、昼間の亮は相変わらず空虚な生活を送っていた。


 バイト先は戸塚市から離れた場所なので班員たちに見つかる心配もない。

 乗り換えのため小坂駅で降りたオムは、以前にシンクとこの街で待ち合わせした日のことを思い出した。


 早いもので、あれからもう三か月経ったのか。


「ふん……」


 感傷的な気分になった自分を自嘲する。

 そんなセンチメンタルな性分ではない。


 風はすでに秋の色に変わり始めていた。

 どうしても友人に会って欲しいと言ってきた新参メンバーのマナト。

 彼の頼みを快諾して予定を開けたのだが、当のマナト本人はどうしても都合が悪くて来られないらしい。


 それを理由に断ることもできただろう。

 しかし、一度した約束を違えるのは仲間に対して申し訳ないと思う。


 オムは班長なんて所詮は司令塔に過ぎないと思っている。

 班員たちは部下などではなく、あくまで対等な関係の仲間である。

 テンマ辺りなら甘いと断ずるのだろうが、この考えを改めるつもりはない。


 東海道線に乗り換えたら一駅となりの湘南藤沢駅で降り、南口を出て少し歩く。


 約束の場所は路地裏の寂れた喫茶店だった。

 店内に入るとやる気のないマスターが無言でこちらを見る。

 周りを見ても他に客はおらず、時計に目を向ければ約束の時間は五分後だ。


 待ち合わせ相手の顔は写真で確認した。

 当日に着てくる服装もあらかじめ聞いてある。

 オムはミルクティーを注文して一番端のカウンター席に座った。


 約束の時間になると同時にその男はやってきた。


「ごめん! すいません! 呼び出しておいて遅れて本当にすいません!」


 大声で謝罪の言葉を発しながら近づいてくるのは、写真で見たのと変わらない、金髪で目つきの悪い男だ。

 ドクロ模様のシャツの上に真っ黒な革ジャンという、どこにでもいそうな不良少年である。


「お前がマナトの友人か」

「あ、はい! ダイキっす、よろしく!」


 ダイキという男は断りもせずオムの隣に座る。


「いや、本当にすいません。実は電車が遅れちまってまして」


 ちらりと携帯端末を見る。

 人身事故があったとニュースアプリの速報が出ていた。

 そう言えば、上り線に遅延が出ているとアナウンスが出ていた気がする。


「事故なら仕方ない。それに約束の時間はまだ過ぎていない」


 オムはできるだけ声を低くして威厳を保ちながら喋る。

 この男はマナトの紹介として『オム』に会いに来たのである。

 どんな要件かは知らないが、班長のイメージを損なうべきではない。


 普段バイトに行く時はもっとラフな格好だが、今日はわざわざ重いジャケットを着込んで来た。

 バイト先で突っ込まれるのも面倒なのでわざわざ着替えの服も持参してという手間をかけている。


 そこまで演出に気を配ったつもりなのだが、ダイキの次の言葉がそれらを一瞬で無駄なものと変えた。


「いやあ、そう言ってもらえると助かりますよ。椎名たすくさん」


 オムは睨みつけんばかりの勢いでダイキを振り返る。


「あ、やっぱりオムさんって呼んだ方がいいっすか? それとも班長さん?」

「……なぜ、俺の本名を知っている」


 マナトはもちろん、第四班の誰もオムの本名は知らないはずだ。

 アミティエでは最初に登録した名前で呼び合うという暗黙のルールがある。

 プライベートでよほど親しい仲でもない限り、わざわざ自分の本名を明かしたりはしない。


「いや、まあ、事前に聞いてたし。いまは組織の活動中じゃないし名前の方がいいかなって」

「誰に聞いた。いや、そもそもお前は何者なんだ?」

「あ、その前にいいっすか? マスター、俺にもコーヒー。ブラックで」


 眉間にしわを寄せ、サングラス越しに睨み付ける。

 ダイキはそんなオムの視線をさらりと受け流し、カウンターに肘をついて軽薄そうな顔でこちらを見た。


「えっと。じゃあ改めて自己紹介しますね。俺の名前はダイキ。表の顔は戸塚市内の学校に通う高校生。裏の顔は『ポシビリテ』のメンバーっす」

「ポシビリテだと?」


 その名前は知っていた。

 神奈川西部担当の能力者組織『ポシビリテ』

 ラバースコンツェルン傘下企業『フォレストオン社』に所属するグループである。


 ただし、組織の規模はアミティエと比べてかなり小さい。

 全体でもオムの第四班と同程度の人数しかいないはずだ。


 それに能力社組織に所属しているからといってオムの本名を知っている道理はない。

 こいつの背後にあるのは「それ」だけではないのは明らかだった。


「……改めて質問する。お前は何者で、なんのために俺を呼んだ」

「んっと、じゃあ単刀直入に言いますね。アミティエ第四班を俺たちに下さい」


 ダイキはあっさりと、親しい友人に用事を頼むような気軽さで言った。


「ふざけているのか。それともポシビリテの宣戦布告と受け取ればいいのか」

「やだなあ、そんなんじゃないですよ。あ、言い方が悪かったかな。別に支配下に入ってくれって言ってるわけじゃなくってですね。俺たちに協力して欲しいってだけです」


 協力を望む者があんな言い方をするものか。

 からかい目的の言葉遊びからは、この男の本性が垣間見える。


 こいつにはないが底知れない何かを隠し持っている。

 それが何なのかはまだわからない。


「何の協力だ……」


 平静を保ちつつ問いかける。

 だがもはや視線を合わせることができない。

 ティーカップを傾けるフリをして正面を向いた瞬間、大きな悪意が入ってきた


「そんなにビビらなくてもいいじゃないですか。大変ですねえ、常に人の『悪意』を感じるってのは」


 オムは思わずカップを握りつぶした。

 飲み掛けのミルクティーが血と混じり合ってカウンターに流れる。

 マスターはこちらを見ようともしない。


「なぜ知っている」

「え? いや知ってますよ。第四班のオム班長が実は仲間思いのいい人だってことは」

「なぜ俺のSHIP能力を知っているのかと聞いている! 答えろ!」


 誰にも話したことはなかった。

 この力のことは、彼の心の裡だけに秘めて生きてきた。

 第四班の人間だけではなくアミティエを統括するルシフェルさえも知らないはずだ。


 オムがアミティエに参加したのは半年前。

 先代の第三班班長がSHIP能力者の捕獲をしている所に出くわしたのがきっかけだ。


 半ば口止めのために無理やり加入させられて、持たされたジョイストーンは偶然にも強力なJOYを発現した。

 その後、前班長はラバース本社勤務になり、第三班の班長はアオイが受け継いでオムは新たに発足した第四班の班長に任命された。


 つまりオムがアミティエ保護される……いや。

 立場になったことは一度もない。


 そもそもオムの持つSHIP能力は非常に弱くて言わなければ誰にもわからない能力だ。

 読心能力の一種だが、人の思考まで読めるわけではない。

 ただ、他人の悪意だけがわかってしまう。


 どんなに笑顔を作ろうと、下手に出ようと、おべっかを使おうと関係ない。

 他人が発する悪意だけを正確に読み取って心で理解してしまうのだ。


 このせいで元々が気の弱いオムは自分に反抗する仲間たちに強く言えなかった。

 また、圧倒的な力を持ちながらも最前線でSHIP能力者と相対することを避けてきた理由でもある。


 知られてはいけない。

 知られたら、また仲間たちから悪意を向けられる。


「まあまあ熱くならないでよ。あんたの能力や名前を知ってる理由は簡単でさ、そういう調査に特化した能力者がうちにいるからってだけさ」

「掴んだ情報を俺に突きつけて、一体何をさせようとしている」

「いやいやいや。こっちとしてはあんたがSHIP能力者だってだけで十分だし。弱みを握ったなんて少しも思ってないから。マジで怒んないで」

「こそこそ身辺を調査されていたというだけで気分のいいものではない。いいから目的を言え」

「俺たちの目的はすべての能力者組織をぶっ潰すことさ」


 ダイキはあっさりと目的を口にした。

 その内容に驚くよりも、かつてない悪意に戦慄する。

 目の前の少年は全身から湧き出るような凄まじい悪意を放っていた。


「なに……を?」

「あんただって気に入らないだろ。俺たちSHIP能力者を害虫同然に狩ってやがる組織なんてさ」

「ち、違う……俺たちはSHIP能力者を救うために……」

「それは建前。つーかそもそもで争うこと自体おかしいんだって」


 ダイキはこちらを飲み込むほどの威圧感を伴って喋る。

 気易く肩を叩いてきた彼の手は異常に重く感じた。


「とにかく、一度うちのリーダーと会ってくれよ。話を決めるのはそれからでいいからさ。なっ、ブラザー」

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