9 入院していたひまわり先輩

 個室に『竜崎』という名前が書かれた札を確認すると、シンクはノックすることもなく大きな音を立てて病室のドアを開けた。


「あら紗雪、今日はずいぶんと激しいのね。そんなに私に会いたかったのかしら? 私もあなたを待っている間にあなたとのセックスを想像してもうビチョビチョよ。責任を取ってあなたの舌で奇麗にしてもらえないかし――」


 開口一番ドン引きするくらい下品な冗談を吐くひまわり先輩。

 彼女は病室の入口に立つシンクの姿を見て言葉を止めた。


 遅れて振り向いたマナはリンゴとナイフを持ったまま固まっている。

 実が半分以上抉られているが、皮を剥いているつもりなのだろうか。


「……マナ、あれほど気づかれないようにと言ったわよね」

「ふ、ふええ!? そんなはずないんだよ。うちのメイドさんに頼んでおいたんだから! シンクくんが外出する時は必ず二人で見張ってもらうようにして、電車やバスには乗らせないようにって!」


 マナが不思議にも思っているようなのでシンクは正直にここまで来た経緯を告白した。


「すいません。邪魔だったんで倒しました」

「どうしてそういうことするかなぁ!」

「そんなことより竜崎先輩」


 泣きそうになっているマナは無視。

 ベッドで上半身を起こしているひまわり先輩を見る。

 真っ白な病院服から覗く胸元には痛々しげに包帯が巻かれている。


「これは一体どういうことですか」

「見ればわかるでしょ。階段から転んだのよ」

「階段から転んでそんなところを怪我するってどれだけ器用なんですか。青山から聞きましたよ。暴漢に襲われたって?」

「……ふん、私としたことがうかつだったわ。自分だけならともかく、紗雪に怪我をさせてしまうなんてね。一生の不覚よ。罵りたければ好きになさい」

「そんなつもりで聞いたんじゃありませんよ。俺が知りたいのは……」

「せ、先輩は私を守ろうとしてくれたのよ!」


 シンクの言葉を遮るように青山が後ろから割り込んだ。


「先輩は私をあの女の子から逃がそうとしてくれたの。なのに私が余計なことをしたからっ」

「紗雪」


 ひまわり先輩が短く青山の名前を呼ぶ。

 それだけで彼女は叱られた子犬のように震えて縮こまった。


 こんな必死な幼馴染の姿を見るのは初めてだった。

 ひまわり先輩が怪我をしたことに対して本当に責任を感じているのだ。


「悪いけど、これでみんなの分のジュースを買って来てくれるかしら?」

「え、あ」

「私はいつものゴリラコークね。駅前のスーパーにしか売ってないけれど、どうしても今すぐに飲みたいの。お願いできるわよね」

「あの、でも……」

「新九郎はガムを頼んだら避妊具を買ってくるようなダメな子だし、マナに初めてのお使いはまだ早すぎるわ。あなたにしか頼めないのよ」

「私はそこまで子どもじゃない!」


 マナは文句を言ったが、ひまわり先輩の真意を理解していたシンクは黙っていた。


 青山をこの場から遠ざけようとしているのだ。

 間違いなくこれからする話はアミティエのことが絡んでくる。

 結局、ひまわり先輩から千円札を渡された紗雪はそそくさと病室を出て行った。


 青山には悪いと思うが、これで核心に迫る話ができる。

 ちなみにシンクはひまわり先輩にそんなものを買ってきた覚えはない。


「竜崎先輩たちを襲ったのはレンなんですね」

「ええ」


 ひまわり先輩はあっさりと肯定した。


「どっかの研究所に送られたって話じゃなかったんですか」

「逃げられたのよ。護送中に反ラバース組織ALCOの襲撃を受けてね」


 思いがけない単語が出てきた。

 最近よくテレビで声を耳にする女の声が頭に過る。


 組織として活動を開始した最初の日にも本牧で聞いた。

 ラバースコンツェルンに対する反感を煽るための電波ジャック。


「まさか、レンはそのアルコとかいう奴らに利用されてるんですか?」

「それはないでしょうね。陸夏蓮ルゥ=シアリィェンは間違いなく単独で、そして自分の意思で行動しているわ」

「なんでそんなことがわかるんですか」

「ALCOの奴らは私たちがSHIP能力者を保護することが気に入らないだけ。『才能を持つ者の権利と自由を妨げるな』というスローガンらしいわ。彼らを野放しにしておくリスクなんて考えもせずにね。陸夏蓮は日本に来た個人的な目的を遂行しようとしているだけでしょう」

「レンの目的って何ですか」


 シンクはあの夜レン本人に同じ質問をした。

 その時は言っている意味がわからず、詳しく聞くことを諦めたが。


「それは私たちにもわからない。ただ、襲われたのは私だけじゃないわ。護送車が襲撃されたのが六日前で、その翌日の夕方から何人ものアミティエの能力者が彼に襲われている」


 六日前と言えばシンクがテンマと闘った翌日だ。


「そんな前から……!」


 この数日間、シンクは何も知らずに怠惰な日々を過ごしていた。

 ふつふつと怒りがわいてくる。

 それが自分に対してなのか、何も知らせてくれなかった仲間に対してなのかはわからない。

 ただ、腹の奥になにか重いものが溜まって行くような不快感だけが膨らんでいった。


「なんで教えてくれなかったんですか!」


 結局、シンクはひまわり先輩を責めた。

 彼女のベッドの傍に立ち、真上から覗き込む。


「俺だってアミティエの仲間でしょう。それに実際にレンと一緒にいた俺なら必ず役に立つ……」

「協調性って言葉も知らないガキが生意気を言うんじゃないわよ」


 ひまわり先輩はシンクの胸倉を掴み、顔の近くに引き寄せる。

 そして怒りをあらわにした目で睨み返してくる。


「あなたの勝手な行動でどれだけみんなが迷惑したかわからないの? ハッキリ言うわ。あなたに余計な情報を与えて、これ以上勝手なマネをして欲しくないのよ」


 決して大声ではないが、氷のように冷たく静かな迫力のある声だった。

 見たことのないひまわり先輩のそんな態度にシンクは何も言えなくなってしまっう。


「ただでさえ街中でも構わずに暴れる陸夏蓮の対処に苦労しているの。一般人に気づかれないよう何事もなかったかのように現場を修復するのにどれだけの費用が掛かると思う? 今日までにフレンズ社が支払った被害と出費の総額は数億円じゃ効かないわ」


 ひまわり先輩の言葉は止まらない。

 最初は冷静に言い聞かせるようだったが、次第に熱を帯びた声に変化していく。


「人前で能力を使われたらその後始末を考えなきゃいけない。目撃者を出せば処理も必要よ。記憶を消すだけで済めばいいけどね。それだってどれだけの法律や倫理感を無視していることか。能力の存在が世間に知られたら社会は歪む。私たちの力はまだ世に出してはいけないものよ。そんな中で連携を取って少しでも被害を減らそうと努力してるんじゃない。私たちアミティエは何も知らない人々のために戦わなければならないの。たとえ自分たちが傷ついてもよ。あなたにその自覚が少しでもあるっていうの!?」

「……すいませんでした」


 ひまわり先輩にはアミティエ第三班の班長としての責任というものがあるのだろう。

 戦いによって仲間が傷つくのだって心苦しく思っているはずだ。

 シンクはあまりに無思慮だった己を恥じた。


「わかってくれればいいのよ。私も少し言い過ぎたわ」


 胸元から手を離すと、ひまわり先輩は疲れ切ったようにベッドの縁に背中を預けた。


「とにかく、今は私がこんなだから、三班の指揮はアテナに預けてるわ。迂闊に行動も起こせない状況だけどね。知ってしまったからには仕方ないわ、今後はあなたも協力しなさい」

「わかりました。じゃあ俺は……」


 具体的に何をすればいいのかと聞こうとして、服の袖を引っ張られた。

 そちらに視線を向けるとマナもシンクのことを睨んでいた。


「そのくらいにして。アオイちゃんは怪我人なんだよ」


 怒ったような顔でシンクをたしなめる。


 彼女の言うとおりだった。

 ひまわり先輩の額には汗が浮かんでいる。

 こうしている今もきっと深い痛みを堪えているのだろう。


 怪我人相手にあまり心労をかけるのは良くない。

 シンクは黙って引き下がることにした。


「ごめんねアオイちゃん、私たちもう帰るよ」

「来てくれてありがとう。なんのお構いもできなくてごめんなさい」

「ううん。私たちのことは心配しないでいいから、早くよくなってね」


 マナは椅子から立ち上がると、荷物を抱えてシンクの腕を掴んだ。

 シンクは最後にひまわり先輩に一礼してマナに引っ張られながら病室を後にした。

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