8 マナ先輩との同居(軟禁)生活
シンクがマナの家で暮らし始めてから一週間が経った。
彼女の家は戸塚市の外れにある。
新大船駅から徒歩で二分ほどの場所。
なんと未開発の自然に囲まれた豪邸だった。
歴史を感じさせる和風建築はまるでお屋敷である。
マナは正真正銘、名家のお嬢様だったのだ。
シンクが間借りしているのはその中のひと部屋。
和室の畳でゴロゴロしながら、何をするでもなく時間を潰していた。
学校はあれ以来まったく行ってない。
ほとぼりが冷めるまで南橘樹市には近づかない方がいいと言われ、屋敷からの外出も禁止されていた。
決まった時間に食事は運ばれてくるが、玄関に近づこうとすると絶対に呼び止められる。
常に正当な外出理由と二人の召使の同伴がなければ散歩にも行けない。
事実上の軟禁生活を送るはめになっていた。
学校に行けないのは構わないが、ひたすら退屈だ。
マナは普通に学校に行って組織の活動に参加して夜遅くに帰ってくる。
いちおう朝晩はシンクに挨拶しに来るが、特に会話もなく自分の部屋に戻ってしまう。
マナの部屋は同じ屋敷内でも直線距離で一〇〇メートル以上も離れている。
特別な理由がなければ近づくことすら許されなかった。
お屋敷には三十人を超える召使いがいるが事務的な対応しかしてくれない。
やはりシンクは歓迎されていない様子である。
気になったのは、屋敷の表札がマナ先輩の苗字である『中座』ではなく『布紺』となっていたこと。
そして先輩の家族らしい人たちを一度も見ていないことである。
まさかこんな大きな屋敷に高校生が一人暮らしということもないだろうが……
苗字の件もあって、詳しい話を本人に直接聞くのは気が引けた。
複雑な理由があるなら立ち入るべきではないと思う。
そんな感じで退屈をもてあます日々が続いている。
部屋でマンガを読んでいると、いつものようにマナが部屋にやってきた。
「ただいまー。私が帰ったよー」
「お帰りなさい……って、なんか今日は元気ないですね」
「え。そんなことないよ。いつも通り爆発元気バンガルバーだよ」
「いや、どう見ても元気じゃないですよ。このところ帰りも遅いし、なにかあったんですか?」
顔色で人の体調を図れるほど洞察力にすぐれているわけではないが、普段は文字通り元気の塊のようなマナだから、こうあからさまに沈んだ態度でいれば嫌でも気になる。
間借りさせてもらっている身としては心配くらいすべきだろう。
もしかしたら自分に関わることかもしれないし。
「う、ううん。何もないよ。シンクくんに関係あることで悩んでるとか全然そんなことないよ」
嘘の下手さもここまで来ると才能だ。
聞いてもいない情報までわざわざ伝えてくれるとは。
ともかく、隠したがっているようなので、あえてそれ以上は突っ込まない。
「わかりました。それじゃ明日は日曜だし、ゆっくり休んでください」
「ありがと。でも明日は用事で出かけなきゃいけないんだ」
「そうですか」
あわよくば気晴らしに一緒に出かけようなんて考えていたのだが、計画はあっさり破綻した。
「窮屈な思いさせてごめんね。なにか必要なものがあったらメイドさんたちに言って。みんな気さくな人だから、親身になって面倒みてくれるよ」
その発言には違和感を覚えずにはいられないが、シンクは「わかりました」と素直に返事をして自室に戻るマナを見送った。
※
翌日。
休日だというのに制服に着替えたマナが部屋に飛び込んできた。
「おはよっ! 今日もいい天気だね!」
テンションだけは普段通り。
だが目の下のクマは隠せてない。
マナは挨拶を済ますと朝食も取らずに出かけて行った。
シンクは彼女が完全に玄関から見えなくなる時を待って行動を開始する。
「どこへ行かれるつもりですか?」
案の定、召使の一人に呼び止められた。
和服姿の彼女たちをメイドと言いきるマナの感性は理解できないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
シンクは適当に口から出まかせを言った。
「すぐそこのスーパーまで雑誌を買いに行こうと思って」
「申しつけて下されば何でも買ってまいります」
「前回あんたらに頼んだら違うのを買ってきただろ。見比べながら選びたいし、雑誌くらい自分で買わせてくれよ」
召使はわざとらしく深いため息をつく。
「……わかりました。護衛の準備を致しますので、少々お待ちください」
何が護衛だ。
この辺りはシンクにとって中学時代の生活圏内である。
歩いて五分のスーパーに行くのに一体何の危険があるって言うんだ。
ともかく、ここで暴れたら三十人の召使い軍団に囲まれることになる。
シンクは仕方なく準備が終わるのを待って、二人の護衛……もとい、監視人と共に屋敷を出た。
※
駅へと続く道。
その途中の線路のガード下。
前後に人影がないことを確認した上で、
右側を歩く召使のみぞおちに肘鉄を食らわせてやった。
「きさま、何をっ!」
もう一人が懐に手を入れながら迫ってくる。
シンクは素早くそいつの首筋を掴んで片手で締め上げた。
あっさり気を失った召使いの手からサバイバルナイフがこぼれ落ちた。
ゾッとしつつもそれを没収し、マナが向かったはずの新大船駅へと走る。
改札を潜ってホームへ出ると、ちょうど次の電車がやってきたところだった。
まばらな人影の中にマナの姿を発見し、気づかれないよう隣の車両に乗り込む。
平沼駅経由で学校にでも向かうつもりかと思っていたら、マナはすぐ隣の駅で降りた。
湘南日野駅の地下ホームから階段を上がって改札を出る。
目の前はバスロータリーになっていた。
マナは駅前の複合デパートの中へ入って行った。
ドラッグストア、食品売り場を抜け、どこにも目を止めずに建物の反対側の道路に出る。
目の前のビルを迂回して緩やかな線路沿いの緩やかな坂道を下る。
元々不注意な性格なのか、マナは尾行するシンクにまったく気づいていない。
一度よそ見をして止まった彼女の背中にぶつかりそうになったが、それでも気づかれなかった。
やがて、彼女はとある建物の前で足を止めた。
「病院……?」
住宅街の真ん中に立地する巨大な総合病院だ。
マナは躊躇なくその中に入って行く。
シンクは後を追った。
受付の女性と何かを話し、奥のエレベーターに乗り込む。
同じエレベーターに乗ってしまえばさすがのマナでも気づくだろう。
かと言って行く先を割り出そうにも他の見舞い客や患者が一緒に乗っているので、どの階で降りるかはわからない。
シンクは階段を使って先廻りすることにした。
こうなったらすべての階でエレベーターから降りる人物を見張ってやる。
幸い階段とエレベーターは隣り合っているので、やってやるぞと気合いを入れたのだが……
「病院内では走らないでください!」
通りすがりのナースに怒られてあっさりと断念した。
「くそ……」
シンクは歯がみした。
ここまで来て見失うなんて。
病院に来ていたのを突き止めただけで十分な成果を得られたと見るべきか?
いや、できれば誰に会いに来たのかくらい知っておきたい。
このままじゃ召使い二人を気絶させた甲斐が――
「新九郎?」
聞き慣れた声で名前を呼ばれてギョッとする。
よく知った声ではあるが、こんなところで耳にするはずのない人物の声だった。
「青山!? なんでこんなところにいるんだよ!」
「それはこっちのセリフよ。一週間も学校を休んで何やってたの!」
「何って、それはいろいろと深い事情があって……お前、その顔どうしたんだ」
シンクの幼馴染である青山紗雪である。
良く見れば彼女の頬にはガーゼが張ってあった。
「何でもないの。それよりシンクこそどうしたの? やっぱり竜崎先輩のお見舞い?」
「何でもないことはないだろ……いまなんて言った?」
「へ? だから、シンクも骨折して入院してる竜崎先輩のお見舞いに来たのかって……」
「ひまわり先輩が入院してるのか!? この病院に!?」
「ちょ、ちょっと大声出さないでよ」
青山は顔をしかめて注意したが、シンクに気圧されたのか素直に答えた。
「……三日前にね。私と一緒にいる時に変な子に襲われたの」
血の気が引くというのはこういう感じなんだろうとシンクは改めて思い知った。
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