4 水色髪の清国人少女(?)

 神中鉄道で平沼駅から十分足らずの各停駅。

 南口の狭いロータリーを抜け、細い道を抜けて緩やかな上り坂を歩くこと約二十分。


 急に視界が開けた先には結構な面積の畑が広がっている。

 振り返ると畑越しにPR横浜特区のビル群が聳え立っているのが見えた。


 大都市の中にあって農地の広がるこの地域にシンクの住むアパートはある。

 きっと今日、家に戻れば何事もなかったかのように少女の姿は消えているだろう。

 そう楽観的に考えていたシンクは二階に続く外階段を上がっている途中で異変に気づく。


 とてもいいにおいがする。


 シンクの住んでいるのは二階に二部屋あるうちの二○一号室。

 隣は月に一度しか返ってこない長距離ドライバーのオッサンがいるだけだ。

 特別仲が良かったわけではないが、料理などつくるような人ではなかったとは記憶している。


 たしか彼はつい先週また九州だか四国だかに旅だったばかりだ。

 つまり、この階段より上には今のところシンク以外に住んでいる者はいない。


 ドアの前に立った時にはっきりとわかった。

 この匂いは間違いなく自分の部屋からしている。


 急いで鍵を差し込んでノブをまわす。

 そこには信じられない光景が広がっていた。


「Hui lai la!」

「……は?」

「Chu ci jian mian.wo jiao ren.feichang ganxie」


 昨日拾ってきた女の子がなぜかエプロンをつけて料理をしていいた。


 美味そうな匂いの正体はこれだった。

 それにしても、一体どんな魔法を使ったのだろう。

 冷蔵庫の余り物の野菜がフライパンの中で見事な清華風の炒め物に変わっている。


 しかし、彼女が何を言っているのかさっぱりわからない。


「えっと……」

「あ、ごめん、なさい」


 少女はコンロの火を止めてせっせと料理を皿に移す。


「えっと、助けてくれて、ありがとう。お礼にごはんつくりました。どぞめしあがってください」


 お礼と言ってもそれはうちの食材なのだが。

 そもそも炒め物くらいなら自分でも作れる……という問題ではなく。


「……えっと、レンのニホン語、通じてますか?」


 シンクが呆然としていると、少女は不安そうな表情で顔を覗きこんできた。

 幼いが、びっくりするくらいの美人である。


 小さな顔に憂いを帯びた目元。

 長い髪は自分で結んで後ろで束ねてある。

 淡い髪の色と相まって、どこか非現実的な雰囲気を漂わせている。


「あんた、清国せいごく人なのか?」

「え……」

「あー、えっと……アーユー、チャイニーズ?」


 自分でも情けなくなるくらいまぬけな発音だった。

 これじゃマナのことを馬鹿にはできない。


「あ、うん。ごめんなさい。ことば通じてるよ、ニホン語で大丈夫。うん、レン海の向こうから来た。シャンハイから来ました。名前は陸夏蓮ルゥ=シアリィェンです。レンと呼んでください」


 上海とな。


「あんたいま幾つなんだ」

「いまいくつ? そのことば、何を言っているのかわかんないです」

「年齢だよ。年は何歳ですか?」

「レンは十二歳です」


 ガチだった。

 マナのように外見だけではない。

 本物の子どもで、しかも清国人ときた。


「家族はいないのか? なんであんな所に倒れてた?」

「家族、いない。上海にばあちゃんいたけど、レンは仲間と一緒にニホン来たです。でも仲間みんないなくなって、レンだけひとりで人探した。でも地図なくして、どこにいるのかわからないで歩いてたら、力果てて倒れてしまいました。そこをあなたに助けてもらいました。あのままだったら死んでたかもしれない。感謝してる。謝謝Xie Xie


 これはいよいよもって大変な案件を抱えてしまったようだ。

 昨日の自分が目の前にいたなら殴って正気に戻してやりたい。


 しかし今さら追い出すわけにはいかない。

 酔っ払っていたとはいえ連れ込んだのはシンク自身なのだ。


 とりあえず最低限の責任は果たそう。


「それであんたはどうしたいんだ?」


 力になってやるつもりで尋ねたが、帰ってきたのは曖昧な返事だった。


「よくわからないです」

「わからないってなんだそりゃ。仲間を探したいとか、知り合いの家に行きたいとかなんかあるだろ」

「仲間はたぶんもういないです。探してた人は昨日の会う約束だったから、今日行ってももう会ってくれないと思うです」


 言っている意味はよくわからないが、本当に何のアテもないらしい。


 これで一体どうしろって言うんだ。

 まさかと思うが「なのでしばらくご厄介になります」なんてことにならないだろうな。


 異能バトルの次は突発的恋愛モノか。

 現実に起こるアニメ的展開は一ジャンルで十分だ。


 シンクは玄関先に立ちつくしたまま頭を抱えていた。

 なのでドアが開きっぱなしになっていることも、階段を上がってくる足音にも気付けなかった。


「新九郎ーっ! 先生から頼まれたプリント届けに来たわよーっ! っていうかあんた、またホームルームさぼって――」


 振り向くと、重そうなカバンを肩に担いて、プリント用紙の挟まったノートを手にした青山紗雪が立っていた。


 彼女の視線は玄関先に立ったままのシンクへ。

 その向こうでフライパン片手にキョトンとした顔をしているエプロン姿の清華人少女へ向う。


 直後、紗雪はその場で回れ右をした。


「お楽しみの所を失礼しました。お邪魔してすみません。どうぞごゆっくり」

「ちょ、ちょっと待て青山! お前なにか勘違いしてんだろ!」

「うるさい話しかけないでよこのロリコン! 中座先輩に続いてそんな幼い娘にまで手を出すなんて! もう小学生で美少女なら誰でもいいのね!?」

「いやだから、お前言ってることメチャクチャだよ! そもそもマナ先輩は高校生――」

「黙れ!」

「ぶっ!?」


 シンクが反論するも取り付く島なく、紗雪が投げたノートが鼻先にぶつかった。

 プリントがひらひらと舞い、ものすごい勢いでドアが閉められる。

 よろめいたシンクは勢いあまって尻餅をついてしまう。


「痛ぇ……くそ、あの暴力女……」


 ズキズキと痛む鼻の頭をさすっていると、頭上から少女の声が降ってきた。


「えっと、早く食べないと、ごはんさめちゃうですよ?」

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