プロローグ
やまむら
プロローグ
●車窓から外を覗くと、緑に染まる風景が矢継ぎ早に流れている。人工物の群れを抜けてから、大分時間が経った。私は聞いたこともない路線の電車に乗って、山奥にある目的地へと向かっていた。
地方では電車と呼ばれながらも、実際は未だに汽車の走っている所がある。まさに私が今乗っているのは汽車であり、いつも利用している電車と違い、様々な音を立てて突き進んでいる。線路の繋ぎ目で車両が縦に小さく揺れる体験は新しかった。子どもの頃の遠足に向かう心持に近い。大人になってからは物事を純粋に楽しむことが減っていたため、これは貴重な時間だった。
流れゆく風景を横目に、ボトルの蓋を開けてコーヒーを流し込む。まさに大量生産といった薄いコーヒーは、眠気と共に夢見心地な気分を覚ましてくれる。私の乗る電車は、初めて名前を聞くような駅に何度も停まった。人の乗り降りはまばらで果たしてこの先、この路線は生き残れるのかと不安になる。
ジャケットの内ポケットに手を入れ、折りたたまれた一枚の紙を取り出した。出発するまでに穴が開くほど確認し、記載内容を暗唱すら出来るほどになった用紙。休みを一日取ることすら白い目で見られる勤め先に、決死の覚悟で長期休暇を申し出た記憶が蘇ってくる。
「お前今なんて言った?」
直属の上司へ休む旨を告げた際、私が何を言っているか理解できないという表情を浮かべた。
「あの、ですから…長期の有休休暇を…」
二回目を言い終える前に、そこから怒涛の罵詈雑言が群れをなして私を襲った。だが、対する私もこの度は確固たる意志を持って挑んだため、屈することはなかった。最後にはさらに上の上司も出てくることとなり、溜まった有休をまとめて消化するという形に収まった。休みに入るまでの数日間は、部署のなかで立つ瀬がなくなっていた。会社に戻った際には、一体どんな扱いになるのか想像するだけで恐ろしい。いや、もし上手く事を運ぶことが出来れば、あの会社に戻ることはなくなるだろう。人間にはチャンスが何度か巡ってくると言われているが、今がまさにその時なのだ。私はただ呆けて口を開けて生きていくだけの人間ではない。目の前に来たチャンスを、必ず掴むことの出来る選ばれた者なのだ。
流れる景色の奥に、少し先の私の未来を想像する。
▲病院を二週間ほど休みにするのに、少々手間取ってしまった。片田舎で開業した僕の個人クリニックは新患が少なく、ほとんどの患者がただ薬を貰いに来る程度であった。彼らの目的は、薬を貰いに来ることではなく、世間話をしていくことだった。通う高齢者たちは、会えない子ども・孫の代役を僕に与えていた。とても差し入れは多いし、気を使ってくれる。僕と地域は互いに利用し合って日々を過ごしていた。そんな中での今回の長期的な休診は、一体どんな影響を及ぼすのか。待っていてくれるのか、それとも別の代役を探すのか。とても興味深い検証になると思ってしまう。
人通りが少ないわりに綺麗に舗装された山道を、愛車の赤いスポーツカーで駆けていく。道行を確認したのだが、目的地へ車で行くことは出来るが、所要時間がかなり掛かるようだった。青々と輝く緑の道と澄んだ空気に、地域に縛られ続けられていた僕の心が少し羽を伸ばしかけていた。浮足立った気分が影響したのか、隣の助手席には見ず知らずの若い女性が座っている。
山道へ入る直前に、道沿いにあったコンビニへと立ち寄った。そこで会い、目的地が同じということで同行することになった。
◆大学に入ってから一度もしたことがないような早起きをして、始発の電車へと飛び乗った。長くて二週間ほどの宿泊になるため荷物は多い。女性には少し大きめのキャリーバッグを転がして、電車から電車を乗り継いだ。その途中で辿り着いたのが、駐車場に車はおろか自転車やバイクすらないコンビニだった。全国チェーンのはずだが、僻地にあるためか閑散とした雰囲気で入るのを躊躇してしまう。だが、飲み物がなくなったことと道が分からなくなってしまったため、やむを得ず店へと入ることを決めた。聞きなれた入店音に安堵しながら、奥にある飲み物の陳列台へ向かう。いつものミルクティーを見つけて冷蔵庫のドアノブに手を伸ばすと、同じタイミングで右側から手が伸びてきた。急な出現に驚いた私の掌は、宙に留まることとなった。目をやると六十代前半ぐらいの男性が立っていた。
「これは失礼しました」
と綺麗な仕草で頭を下げる男性。一通りの動作から裕福な層であろうことは一目で分かった。型崩れのしていないジャケットを羽織った男性は、お先にどうぞと手で私を促す。ありがとうございます、とお辞儀をして棚の中から目的のペットボトルを手に取る。互いに軽く会釈をして、私はレジへと向かった。
店員は高齢の男性のみで、レジの奥で作業をしていた。すみませんと何度か声を出して、やっと店員は気が付き、私の元へとやってきた。
「お待たせしました」
男性は何度も頭を下げた。受け取った商品を持つ手は震えており、その痩せた身体からは生気をあまり感じない。
「あの、すみません…」
「はい?」
お金の会計をしている店員に、目的地への行き方を尋ねた。
「あー、お館かい」
「お館?」
「あんな立派な建物は、この辺りにはないからね。この辺りの人間は、みんなそう呼んでいるんだ」
震える手で渡されたお釣りを、取りこぼさないように両手で受け取る。
「そこまでの行き方を教えていただきたくて」
「うーん、力になりたいんだがおれは一度も行ったことが無くてな。大体の場所しか分かんねえな」
「そうですか…。近くまで行ける電車とかバスってありますか?」
財布に小銭をしまいながら私は望むような答えが返ってくることを期待する。が、現実は甘くない。
「電車の駅があるにはあるんだけどな」
「本当ですか!?」
「ただ、その駅から歩いて1、2時間は掛かるぞ」
私の落胆した表情を見たためか、店員は心底申し訳ないといった顔になる。
「あの…」
手段を考え始めようとした瞬間、ふいに後ろから声をかけられた。
「あ、すみません!」
謝りながら後ろを振り返ると、先ほどの男性が立っていた。
「すぐにどきますね!」
「いえいえ。すみません、故意ではないのですが偶然、お二人のお話が聞こえてきまして」
私は男性の続けんとする言葉に予想がつかなかった。
「実は私もそこに向かう途中だったんですよ」
と、男性は楽しそうに微笑んだ。
▼「クソッ」
県境を越える辺りで雨に打たれ、意気揚々と飛び出した気分は大分落ち込んでいた。頭の上には大きな黒い天幕が張られている。雨雲も同じ方向へ向かっていたようで、晴れ間が顔を覗かせることはなかった。こんな状況が長く続けば、自然と悪態をついてしまうのも仕方がないだろう。
被ったヘルメットの中には湿気で蒸れていた。何度かパーキングエリアやコンビニで雨宿りをしたが、状況は好転しないままだった。少しでも逃れようと進むバイクの速度は上がり続けた。
突然、招待状が届いたのは2週間前だった。アルバイトから家に帰ると、立派な白い封筒がポストへ投函されていた。裏に差出人は記載されておらず、その代わりに判子が押されていた。映画でしか見たことのないワインレッドの判子を現実で拝めるとは、と感動した。自然と丁寧な手つきとなり、開封も慎重になる。中には、一枚の白い厚紙が折りたたまれて入っていた。手に取って開くと、どうやら招待状の様であった。折り目より右側には文言が、左側には簡略された地図が記載されている。
「誰だよ、こんな堅っ苦しい案内状を送ってきたのは」
こんな案内は二度と送ってくるなと、送り主に苦情を言おうと名前に視線を移す。
「はあ!?」
これより後にも先にも、人の名前を見て理解が追い付かないなんてことはないだろう。その招待状の差出人は、西園寺古由だった。
西園寺古由とは、日本に留まらず海外にも会社を展開する超大手企業グループ、西園グループの会長だ。日本で暮していれば、生活の中に必ず西園グループの製品が紛れ込んでいると言っても過言ではない。それほどまでに西園グループは日本の経済と生活に根付いている。その大元たる人物から俺に招待状が届いたのだ。ただの一般人たる俺に。
訝しみながら手紙に目を通す。会の目的は、西園寺古由が過去お世話になった人々へ御礼をするというものだった。実際に書いてある文章はもっと固いものであったが、つまりはそんな内容であった。何故このような会を開くのかと思考を巡らせると、西園寺古由はいつ頃だったか体調を崩し、入院したという報道があった。ニュースキャスターは心底悲しそうに、西園寺古由は先が短いらしいということも告げていた。だが、西園寺古由の病名や入院している病院は公表されなかった。世間は衝撃的な知らせを受け、数日間賑わっていたが何も情報を得ることが出来ないと悟り、いつしか騒ぎも収まっていった。
こんな招待状が来るということは、西連寺古由も、もうそろそろということなのか。その考えに至るきっかけは招待状の中にもあった。
―私が創り上げたものを未来へ繋ぐため、相応しい方に後をお願いしたい
これはつまり、西園寺古由の余命は短く、後継者を探しているということだろう。
大学を卒業してから二年経つが、未だに俺はフリーターである。会に参加し、もし西連寺古由に気に入られれば人生大逆転である。俺を見下したあいつらを見返す事が出来る、といつの間にか拳を握っていた。住所を確認すると、聞いたこともない地方の山奥だった。だが、海外に行こうがどこに行こうが、俺には迷う理由がなかった。ただ一つだけ疑問が浮かんだ。なぜ今頃、関わりが途絶えていた俺に招待状が来たのか。だが、高揚した気分に引っ張られ、そんな疑問は何処かへと飛んでいってしまう。
最低限のテーブルマナーでも覚えようかと、俺はスマホに指を滑らせた。
■「あんた!早く前の車を抜かしなさいよ!」
車内に気が立ったガラガラ声が響く。安全運転を心掛けている私は、何度も後続車と対向車を確認し、目の前の軽自動車を追い越す。
「本当にあんたは」
これ見よがしに隣に座った妻は溜息を吐く。
「時間にも余裕があるし、そんなに焦らなくても良いんじゃないかな?」
妻は私をキッと睨みつける。
「なに?あんた、私に口答えするの?」
「そういう訳じゃないけれど…」
「私はチンタラ進むのが嫌いなの。しかも、あんたと長い時間一緒の空間に居るってだけでイライラしてくるのよ」
妻は窓際に頬杖をついた。
「で、あんた。場所は分かっているんでしょうね?」
「う、うん。多分、大丈夫だよ」
「多分?まさか中途半端に覚えて出てきているわけじゃないでしょうね!?」
僕の不要な一言に、妻は眉を寄せる。
「だ、大丈夫だよ。ナビもあるし、この道で間違っていないよ」
「ふん」
鼻を鳴らして妻は窓の外に視線を移した。
僕と妻は結婚して十数年になる。僕が三十三歳、妻が三十七歳の頃に入籍した。晩婚に近い年齢だったため、子どもは作らないという選択をした。もちろん最初の数年は子どもを、と頑張ってはいたが子宝に恵まれず、そのまま時間が過ぎてしまった。妻は元々気分の浮き沈みは激しかったが、子どもを諦めるとなった辺りから、その波がより大きくなった。
「西園寺古由に会うのは何年振りかしらね」
「えっと…」
突然の問いかけに僕は口籠る。
「じゅ、十年振りくらいかな…」
すれ違う対向車に気を付けながら、何とか記憶を呼び起こした。
「金持ちだっていうのに、ちゃんとした挨拶もなかったのは人間性を疑うわよね」
妻は西園寺古由の話をすると必ず、金持ちなのにや金持ちだからという言葉を付ける。
「仕方ないよ。あんな事があったんだもの。それに君が引っ越そうって言うから、すぐに僕たちも引っ越しちゃったし…」
「止めてよ!私が悪いみたいに言うのは!」
「ごめん、そんなつもりじゃないんだ」
「あのままあそこに居たら私達が何を言われるか分からないじゃない!」
「それもそうだね…」
僕たちの間に重い空気が広がり、それから少こしの時間どちらも口を開くことはなかった。
〇車を降りると、燦燦と輝く太陽の光が目に沁みた。玄関の傍に立っていた執事服の高齢の男性が近寄ってくる。
「ようこそ、いらっしゃいました。首を長くしてお待ちしておりましたよ」
優しく微笑む執事に、自然とこちらも頬が緩む。
「お持ちいたします」
手に持った鞄を執事が受け取る。
「お部屋へご案内致します」
執事は右手を伸ばし、建物へ入ることを促す。反する理由もないため、素直に指示に従う。
「ご要望通りの部屋を用意しておきました」
執事に感謝を伝え、玄関を潜った。
プロローグ やまむら @yamamura
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