第42話 縄張り荒らし

 翌朝、木が倒れるけたたましい音で私は目を覚ましました。その瞬間、イグニスさんの腕にぐいっと抱き寄せられます。


「彼奴め……、マリー、我は戦いに行かねばならん。暫しここで待っておれ」


「嫌です」


「そうだ、それでい……嫌?!」


 苦々しい口調で告げたイグニスさんの言葉に、私は即答しました。木の倒される音はまだ遠いですが、尋常ではない事が起こっているのは分かります。


 そこにイグニスさんを一人で行かせるのは嫌です。私だって、何か手伝える事があるはずです。不老不死、しかも不死は神様お墨付きの幸運値の賜物ですから。巻き込まれたり足を引っ張る事は無いでしょう。


「貴方が危険な目に遭うかもしれない時に、一人温泉で呆けているような女が貴方は好きなのですか?」


 ぐっと腕を掴んで見上げます。金色の目が驚きに見開かれ、やがて笑いに綻びます。


「それもそうだ。マリー、だが、近くで見ているだけだ。これは我の因縁だ」


「心得ています」


「ならば良い。行くぞ」


 ドラゴンに姿を変えたイグニスさんの背に乗り込み(今日は毛布はお留守番です)、空高く舞い上がると、騒音の元はすぐに分かりました。


 キマイラが暴れています。あれは……もしかしたら、イグニスさんが毒を喰らったキマイラでしょうか?


「やはりか……縄張りからは追い出して痛み分けとしていたが、その首噛み砕かねば分からぬようだな」


「あ、あれと戦うんですか?!」


「そうだ。お前に危害は加えさせぬ。だから……見ていてくれ」


 イグニスさんはそう告げると一目散にキマイラに向かって飛んで行きました。


 まずは私を背から下ろし、それを庇うようにキマイラと私の間に立ち塞がります。


 暴れるキマイラに向かってイグニスさんが吠えました。キマイラがイグニスさんを睨みます。いえ、頭が獅子と山羊と蛇の三つがあるので睨んでいるのは獅子の頭ですが。


 大きさはイグニスさんより少し小さい位でしょうか。これが暴れて周りの木々が大変なことになっていました。ほとんど平地と言っていい場所で睨み合う二頭の幻獣種……圧巻としかいいようがありません。


 何かできるかも、なんて烏滸がましい話でした。見ているだけで精一杯です。


 キマイラがイグニスさんに飛びかかるのを、イグニスさんが飛び上がって躱します。そのまま直下に降りて背中の山羊の頭に食いつき、喉笛を噛みちぎりました。


 キマイラの尾の蛇が、イグニスさんの脚に絡みつきます。そのまま引き倒すかと思われましたが、イグニスさんは自分の脚に向かって青い炎のブレスを吐きます。


 蛇の黒焦げがバラバラと地面に落ちます。残るは前脚と頭を持った獅子です。反転する獅子に素早く飛び上がり爪を避けたイグニスさんへ、獅子は前脚を伸ばして爪を掛けようとします。無論届きませんが。


 再び私とキマイラの間へと戻ったイグニスさんは、地上戦で片をつけるつもりなのか四つ這いになります。


 キマイラの後ろ足は山羊のものです。前足の膂力だけでキマイラは距離を詰めます。


 確かあの毒爪にやられて悶え苦しんでいたんですよね。今なら私が即座に調薬と回復魔法で癒してやりますとも!


 スピードが落ちたキマイラの一撃などすぐに躱すかと思ったのですが、イグニスさんは動きません。よく見たら、先ほど蛇を焼いた脚が焦げてしまっています。


 ……ダメだ、と思いました。そしてその瞬間、私は駆け出しました。自らの魔力を全て体力に変換して、一刻でも早く駆けつけなければと。


 そしてキマイラの振りかぶった爪がイグニスさんに当たる直前、私は爪の前に腕を開いて立ち塞がりました。


 パリン、と何かが砕ける音がして、私の目の前に障壁が現れてキマイラの爪を弾きました。


 バランスを崩したキマイラが倒れ込んだところを狙って、イグニスさんは猛然と距離を詰め獅子の喉を噛み砕きました。


 これでイグニスさんの勝利です。ドサリと落ちた獅子の首から顔を上げたイグニスさんの目が、まだ爛爛と怒りに煌めいているのを見て、私は尻込みしました。


 人型をとって私にのしのしと近付き。


「この阿呆が! お主がやられたらどうするつもりだ!」


 一喝されました。


 涙目になった私が尻餅をつくと、その怒気を収めて深呼吸し、目の前にしゃがみ頭を撫でます。


「……イグニスさんが、脚を怪我されてるのを見て……もう毒で苦しまれるのは見たくなくて……ごめんなさい」


 泣きながら謝ると、仕方ない、とばかりにため息を吐いて、イグニスさんは笑ってくれました。


「マリーの気持ちはよく分かった。だが、あまり無茶はしてくれるな。腕輪が無かったら我が泣くところだったぞ」


「腕輪……あ」


 そうです、私はイグニスさんからもらった身代わりの腕輪を肌身離さず身につけていたのでした。それが粉微塵に砕けてなくなっています。


「忘れて飛び込んだのか。本当に度胸のある女じゃのう」


 あんまり褒められている気がしません。


 いてて、と呟いてイグニスさんがその場に座り込みました。見れば片足が酷いやけどです。


 私は即座にその足に回復魔法をかけました。


「……やっぱり、ついてきてよかったでしょう?」


 怒られたので自信なさげに訊ねると、イグニスさんはかかと笑って頭を撫でました。


「そうじゃの、マリーが一緒で助かった」


「応急処置くらいの魔法しかできませんけど……温泉に戻ったら調薬しますから」


「あぁ、頼む」


 こうしてイグニスさんと因縁のキマイラとの決着はつきました。


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