第18話 肉球スタンプ

 私は簡単に片付きそうな謝罪は後回しにして、アオイさんを祈りの間にご案内しました。


 そこにはシェルさんがやったらしく、洋梨のタルトと冷めても美味しいハーブティーがお供えされてました。さすが執事。有能です。


「このお方はこの世界の神様のクリス神様です。まずはこの方にお手伝いしてもらおうと思うので、お祈りしましょう」


「神……? 祈り……? お前は魔女だろう、魔法でどうにかするんじゃないのか」


「魔法なんて限界があります。困ったことがあったら、私ならまずはお友達に相談しますね」


「神と……友達? お前は何者なんだ」


「ちょっとツテがあるだけの、不老不死の魔女ですよ」


 私はお茶目に片目を瞑って(18歳の身体なら許されるはずです)告げると、膝をついてお祈りを捧げました。


 アオイさんも不審そうにしていましたが、私に倣って片膝をついて祈りを捧げました。


(クリス神様、お願いです、ちょっとだけお手伝いしてください)


「貴女の頼みなら喜んで」


 声が聞こえた、と思って目を開けると、そこには生きた石像がいました。いえ、本物のクリス神様です。


「少しお久しぶりですね、クリス神様。今日はちょっとお願いがあるんです」


 豪奢な装飾品を纏ったクリス神様に立ち上がって礼をします。


 アオイさんがポカーンとしてクリス神様を眺めていました。まさか本当に神様が降りてくるとは思わなかったのでしょうね。


「あ、これお供物なので食べながら聞いてください。椅子を持って来ましょうか?」


 台座の上のケーキとお茶を指し示すと、いえ結構ですよ、と言ってクリス神様は自分で椅子を作り出して腰掛け、お皿を膝に置いて丁寧に食べ始めました。


「それで、こちらフェンリルのアオイさんです。クズハさんという、以前のこの屋敷の持ち主のお嬢さんを探していらっしゃいます。あ、いや、今はもう多分ご婦人なんですけど」


「この家にいらしていたクズハさん……、あぁ、この方ですね」


 ケーキを持ったまま目を伏せた神様は何かを探すように沈黙すると、あっという間に彼女の居場所を探し出してくださいました。さすが神様です。


 クリス神様はサービス精神旺盛に水鏡を掌の上に広げると、そこに今のクズハさんを映し出しました。


 黒い髪には白いものが混ざり始めていますが、それを品良く結い上げ、ゆったりとしたドレスを纏っています。


 小さい子がそのスカートにしがみ付いて、あれやこれやと話しかけていて、それを緑の優しそうな目を細めてうんうんと聞いていらっしゃいます。


「クズハ!」


「残念ですが、声は届きませんよ」


 アオイさんの悲痛な叫びに、神様は痛ましそうに声を掛けました。


「これはちょっと世界のルールに干渉して見せている、ズルのようなもの。実際に会うならば、他の手段を使うしかありません」


 クリス神様のお言葉に、私は少し考えました。


「例えば、そのズルをちょっとだけ融通をきかせてもらう事は出来たりしますか? 住所を教えていただくとか」


「その位ならば」


 水鏡を横に広げて、クリス神様はこの国の地図を広げ、クズハさんの所在地にポツンと灯りを灯しました。


「少しそのまま待っててください! アオイさんも! できれば狼くらいの大きさの元の姿で!」


 私は慌てて祈りの間を出ました。私はこの国の地理には不案内です。ですが、いつもこの国を飛び回っているだろう全ての元凶なら知っています。


 外に飛び出し、思い切り息を吸い込み……。


「イグニスさーーーーん!!」


 思いっきり叫びました。


 それはもう、村まで届くんじゃないかと思う声で。


 たまたま近くに居たのか、何かの魔法が働いたのか、少しするとドラゴンのイグニスさんが庭先にふわりと降り立って来ました。


「どうした、マリー」


「どうしたもこうしたもありません。貴方にはやる義務があります。ちょっとここでお座りしててください」


 私は腰に片手をあて、据わった目でイグニスさんを指差して命令します。今日の私は少しお冠ですよ。……昨日の夜からのもやもやの八つ当たりをしている気もしますが。


 走って自室に戻った私はなるべく丁寧にノートを破り『わんわんと過ごした別荘においでください』とだけ書き、インク壺を持って祈りの間に降りました。


「アオイさん、お手!」


 不思議そうにしている狼ほどの大きさの狼の手を片手に取ると、そこにインク壺からインクを垂らして肉球に塗りたくり、手紙の端にペタリとスタンプさせます。


「クリス神様、地図を持ってこちらへ!」


 私は紙をひらひらと振って乾かしながら、神様を外へと案内します。何でちょっと楽しそうなんでしょう。こき使ってすみません。


 私はインクが乾いたのを確認すると、それを丁寧に……高校生の時に折った手紙折りをして、イグニスさんに渡しました。歯に噛ませて、絶対飲み込まないように注意しました。


 クリス神様の水鏡の地図を見せて、光っている所を指差します。


「いいですか、ここの家のポストにその手紙を入れて来てください。なるべく早く、早急に、迅速に、そして絶対目立たないように」


 何か言いたげでしたが、手紙を噛んでいるのでイグニスさんは反論できません。


 不承不承の様子でこくんと頷くと、空高く飛び上がって行きました。


 それをいつの間にか玄関まで出て来ていた人形のアオイさんが、呆然と眺めています。前足をインクだらけにしたので床を汚さないためだと思われます。紳士ですね。


「今のは……」


「後でちゃーーんと謝らせますので、この世界でたぶん一番早い郵便屋さんとして手紙を届けてもらうという事で、許してあげてくれますか?」


 私の少し困ったようなお願いに、アオイさんはずっと驚愕の表情を浮かべたまま、水鏡をしまったクリス神様に目配せします。


「こういう方なんですよ」


 仕方ないです、とばかりの声音に私は少しムスッとしてしまいました。なんだか、昨日の夜のもやもやから自分の機嫌が悪い事が分かります。深呼吸をして、深々と神様に頭を下げました。


「ありがとうございました。すごく助かりました」


「私はちょっとお手伝いをしただけです、友達のね」


 優しく言われて、私の心が少し凪ぎました。笑って顔を上げ、クリス神様と笑い合います。


「魔女……そして、神よ。俺は……どう報いればいい?」


 アオイさんがまだ信じられないという様子で、たどたどしく尋ねてきました。


「私は結構です。お友達のお手伝いをしただけですから」


「何言ってるんですか! ここはクリス神様の信者4号になってもらう所ですよ!」


「では、そうしましょうか」


「私もそれでいいです、クリス神様を信じてください!」


 そんなことでいいのなら、と言わんばかりの表情でアオイさんはクリス神様に跪きます。


「分かった。俺が生きる悠久の時、貴方を神と崇めよう」


 これで信者ゲットです! 私の草の根活動もなかなか順調ですね。


「では、私はこれで。今度は普通に遊びにきますから、一緒にケーキを食べましょうね」


 そう言ってクリス神様は消えられました。

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