第17話 それは数十年前のお話

 アオイさんが訪ねてきたのはお昼を少し過ぎたくらいの時間です。常識的なお時間の訪問で助かります。


 私はお菓子作りなんて前世でも今世でもした事がなかったので、予めシェルさんに来客の予定を伝えてお願いしてみた所、美味しそうな洋梨のタルトを作ってくれました。


 家の裏手には果物の木も豊富だそうです。知りませんでした。畑もまだ修繕してないのでそろそろ手を付けなければいけませんね。


 と、思いながらアオイさんをリビングにお通しして、手製のハーブティとタルトをシェルさんが目の前に並べて下がっていきました。執事、しっかり馴染んでますね。二人きりだと手ずからお野菜を食べてくれたりと甘えたりもしてくださるんですけど。


 不思議なんですよねー、どう見ても人間の口なのに一度に食む量は馬のそれなんですよね。あんまり面白いんで積極的にお野菜をあげてるんですけど、すごい嬉しそうにされるのでwin_winという事で。


「……話を始めてもいいか?」


「あ、はい。すみません。私は魔女のマルグリート、マリーと呼んでください、アオイさん」


「アオイさん、か……ふ、クズハが俺をそう呼ぶようになったのは、出会って5年程経った頃だった」


 そうしてアオイさんが語ったお話はこうです。


 数十年前、この屋敷はやはり貴族の別荘として今のような綺麗な状態だったといいます。家主が居ない間は村の方が管理してくださっていたとか。


 裏の畑なんかもいつ貴族の滞在があってもいいように季節ごとに違う野菜が植えてあり、先触れが無ければ好きに収穫して食べていいとか。


 そんな貴族の別荘は4年ほど誰もやってこない時期があったそうです。アオイさんは元から裏の広大な森に住んでいたので、静かでいい、なんて思っていたとか。


 そしたら、次に貴族の家族がやってきた時、小さな女の子を連れていたそうです。それがクズハさんでした。


 まだ言葉も覚束ない、当時3歳の女の子は、ご両親や使用人がちょっと目を離した隙に森に入ってしまったそうで。


 アオイさんは大きい体であの岩の上から、なんだかちまちましたものが森を歩いているのを見つけたそうです。両手で木の根を掴んで乗り越え、仕立ての良い服も顔も泥だらけにして歩く子供。


 そして、それを狙う野犬の群れも。


 アオイさんは見殺しにするのも後味が悪く、仕方なしにちまちましたものと野犬の間に駆け付けました。そしてひと唸りで野犬の群れを散らすと、大きな後ろ足にぎゅっと抱き着く感触がしたとか。


 見下ろしたアオイさんに、ちまちまとしたクズハさんは、泥で汚れたまっかなほっぺをいっぱいに持ち上げて嬉しそうに言ったそうです。


「わんわん! だったな、最初にクズハが俺を呼んだのは」


「わんわん……、小さい子ってすごいですね。あの昨日の大きさのアオイさんに向かって」


「俺もそう思う」


 まだ言葉が覚束ないようだったので、アオイさんはクズハさんの服を咥えて背に乗せ、森を駆け抜け、家の前まで送り届けたそうです。


 その時クズハさんを探していたご両親の前に姿を晒してしまったものの、ご両親は感謝こそすれアオイさんを邪険にはしなかったそうで。出来たご両親ですね。


 よかったらまた来て欲しい、お礼をしたい、と言われ、アオイさんは無視しようかと思ったそうですが、クズハさんが足元によちよちと近寄ってきて前足にしがみつき「わんわん、明日もくる?」と聞かれて……絆されたそうで。


 それからいつも、別荘に貴族が来るたびにクズハさんの遊び相手になりに来ていたそうです。大きさは庭を走り回れるくらいの大きさで。可変自由はいい事ですね。


 やがて走り回るより本を読んだり庭で花を植えるのを楽しむようになったクズハさんは、アオイさん、と彼を呼ぶようになり、綺麗なお嬢さんに成長したそうです。黒髪で緑の瞳、と言われると私と似てなくは無いですね。


 しかし、ある時を境に貴族はやってこなくなりました。


 そう、森向こうの山からドラゴンが昼夜問わず咆哮をあげるようになったからです。


 別荘は売り払われ、挨拶もできないまま、思い出の家はどんどん荒れて行き、いつしかクズハさんに届くかもしれないと、晴れた満月の夜に遠吠えをしていたとか。


 ……なーにしてんだあのドラゴン。慢性的な不眠症どころか少女とフェンリルの美しい思い出を打ち壊しじゃないですか。


「手負いのドラゴンは凶暴だ。俺でも手を出して勝てる目算は五分五分といった所だろう。それに……ドラゴンを倒した所でクズハが帰ってくるはずの家があれでは、な。それでも諦めきれずに、以来ずっとクズハを呼んでいた。いつか戻ってくるかもしれない、ちょっとだけでも顔が見れるかもしれないと……以来、数十年だ」


「そうでしたか……、うん、お話は分かりました。でも、クズハさんは人間です。お話の通りならもうお孫さんがいる位の年齢かと思いますよ」


 私の言葉にアオイさんは苦笑いを溢しました。そんな事は分かっている、とばかりに。


「きっとクズハがここに来ることはもうない。だが……この家がこうして、また人が住む家になったのは喜ばしいことだ」


 そう告げるとアオイさんは洋梨のタルトを手掴みで三口程で食べきり、すっかり冷めたお茶を飲み干して立ち上がりました。


「約束は果たした。これでいいな、魔女マリー」


「いいえ」


 私は毅然とした態度で首を横に振ります。


「いいえ、ダメです。貴方はクズハさんに会わなければいけません。あと、私は貴方に謝らせなければいけない存在がいます。私は魔女のマルグリート、暫くお付き合いしてもらいますよ」


 きっと睨むようにアオイさんを見上げると、アオイさんは驚いたような顔をし、暫く口元に手を当て考えていました。


「もし……もし本当にクズハにもう一度会えるのなら、お前のために何でもしよう」


 私は立ち上がって笑うと、ドンと胸を叩きました。


「お任せください!」

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