2-7 罠
ブロード、ジャルジュ、ワリュランス。ハルは名前の増えたそうめんういろう胸に押し抱いた。
「それで、私、何しますか、お手伝い!」
「うん、君はいつも通りセドをしてくれるかな」
やる気と期待に満ち満ちたハルに、タラシネ皇子は「いつも通り」を強調する。ハルは眉を下げ、首を捻った。
「いつもどーり。いしょけんめーセドします?」
「うん、それでよいよ。その代わりにブロード殿を貸してくれるかい?」
「ブタ貸す?ブタ私のもの違います。ブタはブタで、ブタが……」
「うん、そうだね。ブロード殿に話をしてもよいかな?」
何を言うのか見失ったハルは首を傾いだハルだったが、タラシネ皇子の言葉にそれは分かった、と頷き場所を譲った。
「では改めて」
タラシネ皇子はブロードとジャルジュに向き直った。
「二日後の謁見までに、ラオスキー侯爵の領地の様子を探ってもらいたい」
一気にきな臭くなった話に、ブロードは眉を顰めた。
「理由は?」
「昨夜ラオスキー侯爵の館をニリュシード殿が訪れた。今日はラオスキー侯爵がゾニウス卿の元を訪れている。おそらく、このセドの後の相談だろうね。それに加えニリュシード殿が、塩の輸入に乗じて武器を大量に仕入れているという情報がある。それを押さえてほしい。現物があれば、証拠になる」
「やけに具体的だな。情報は王からか。場所は分かっているのか?」
「ヘンダーレ領のラオスキー侯爵の屋敷か、国境のサワーウィン砦だと考えている。サワーウィン砦には近衛隊が向かっている。ブロード殿にはラオスキー侯爵の屋敷を調べてもらいたい」
「近衛? 国境には警備兵がいるだろう?そっちを動かせばいいだろう」
「ヘンダーレ領にいる人間がどこまで取り込まれているのか王も分からないらしくてね。王城も敵が多い。近衛を動かせば王の守りが手薄にはなるが、信じられる人間が分からない以上、仕方ないと判断されたのだろう。だが、ラオスキー侯爵の屋敷を探るのは普段王城勤めの人間にはいささか畑違いだからね」
「それで、俺たちをご指名か」
ブロードは鼻を鳴らした。これ以上なくうさんくさい依頼だった。
各領地は領主に権限がある。王とはいえその自治を侵すことはできない。砦は王の直轄だが、領主の屋敷はその範囲にない。ラオスキー侯爵の屋敷を調べるということは、斥候をしてこいということだ。しかも現物を押さえろということは量によってはなかなか大規模な泥棒の依頼だ。
ラオスキー侯爵の領地ヘンダーレ領は早馬でも二日はかかる。それを短縮するには、連絡網を持つ商会を使うしかない。鳩を飛ばすにしろ、馬を乗り継ぐにしろそれができる商会は多くはない。ニリュシードのトルレタリアン商会が敵であるのなら、協力してくれるところは皆無といっていい。味方が少ないなか取る選択肢としては自然なものだ。
「君の力はセドで見せてもらった、いざというときの反応も謁見の間で見た。安全な話ではない。君たちにしてみれば、権力争いなど関係ない、そういうだろう。それでもどうか協力してほしい」
タラシネ皇子はティーカップを脇に寄せた。机に手をつき頭を下げた。大きな音を立てて額が机にぶつかった。
「どうしてあの王のためにそこまでする」
国を出たといってもタラシネ皇子は他国の皇子だ。友だ、といってもそこまでする理由はない。
ブロードは一向に頭を上げようとしないタラシネ皇子の旋毛を見下ろした。手入れされた髪は艶を放ち、ぱさついたブロードの髪とは別物だった。
「まだ、王が国境の領主だったころ、僕は何度か国の命令で攻めようとしたことがあってね」
タラシネ皇子は顔を上げ、窓から見える王城に目をやった。
「そんな話は聞いたことがないです」
ジャルジュが口を挟むと、タラシネ皇子は「だろうね」と頷いた。
「いつも、小競り合いにすらならなかった。先見の兵が国境に近づくとね、領主だった王とその右腕がのんびりと釣りをしていたよ。面食らった先見の兵は引き返してきたよ。絶対に情報は洩れていないはずだった。そのときの僕らの気持ちが分かるかい?そのあと、僕は国境の警備兵のふりをして近づいた。王はなんて言ったと思う?『魚食うか?』だよ。武装した兵士だった僕に、だ。器が違う、そう思ったね。後で分かったことだけど、彼らは兵を隠していた。僕は命拾いしたのだよ」
タラシネ皇子は懐かしそうに微笑んだ。
「王はきっとその兵士が僕だったとは知らないよ。だけどね、僕はそこに確かにあるべき王の姿を見たと思ったのだよ。そんな人と偶然でも友となり、その人が命を狙われていれば力になりたいと思ってもいいだろう?」
「王を殺そうとしているというのか?宰相が!」
ブロードはがたりと席を立った。顔色を変えたブロードをタラシネ皇子は見上げた。
「夕べも僕と一緒のところを襲われたよ」
「なんだと?」
「断言されたわけではないけどね」
タラシネ皇子は静かに付け加えた。
ブロードはがしがしと頭をかいた。ジャルジュは静かに一点を見つめていた。
「お話し中失礼します」
扉をたたく音と、イリーの硬い声がした。来客中に声をかけるなど無作法なことをイリーはしない。火急の何かがあったのだ。
「どうしました」
ジャルジュは素早く声をかけた。返事が終わるより早く扉を開けたイリーは、タラシネ皇子に頭を下げ、ジャルジュの元に駆け寄り、小さな紙片を差し出した。
ジャルジュは紙片に目を通し、黙ってそれをブロードに渡す。一読したブロードは紙片を握りつぶし、タラシネ皇子をぎりりと睨んだ。
「あんた、知っていたのか?」
「何がだい?」
タラシネ皇子問いに含みはない。
ブロードはジャルジュを見た。ジャルジュは頷いた。
「うちの仕入れを頼んでいた隊商が積荷ごと行方不明になった。行方不明になったのはヘンダーレ領だ」
定期的に外国を廻る隊商に仕入れを頼むのは商会を持っているものなら珍しいことではない。その途中で荷が賊に奪われることもないことではない。
「まさかそれを私が仕組んだとでも?」
「そうは言っていない。だが知っていて俺にヘンダーレへ行く依頼をしたのかとは疑っている」
ブロードは唸った。
「誓って仕組んではいない。ただ、知っていたのかと言われれば、その可能性も考えてはいたのは事実だね」
「なんだと」
「落ち着いてよ。武器を仕入れたとして、都までどうやったら大量の武器を怪しまれず持ち込めるか……」
「隊商の積荷を入れ替えたと言いたいのですか!ブラッデンサ商会の紋をつけた隊商が、ニリュシードの手配した武器を運んでいると?!」
ジャルジュは目を見開いた。
「ブラッデンサ商会の商会紋をつけたいつもと同じ隊商が運ぶ荷物、これ以上疑われないものもない。仮に見つかったとしても、運んでいるのはブラッデンサ商会。その責めがどこに向かうかは分かっている。あわよくば商売敵を潰そうというのは、ニリュシード・ラオロンというのはなかなかすごい男だね」
「そんな!」
「待て、ジャルジュ。そうと決まったわけじゃない」
「ですが!」
ジャルジュは辛うじて絶叫を抑え込んだ。その目に焦りが滲む。
常には誰よりも冷静な統括の姿に、ブロードは肯いた。
「分かっているジャルジュ。嘘であれ本当であれ、どうしたって都に入る前に確認しなくちゃいかんってことだろ」
仮に真実なら、無実の罪でブラッデンサ商会はおとり潰しだ。ブラッデンサ商会として放っておくわけにはいかなかった。
「ですが!」
「分かっている、ジャルジュ。だがこの場合ヘンダーレまで飛ばして商隊の現状を確認し、戻ってくる。そして何かあったら力づくで解決してくるのに、俺以上に向いた人間はいるか」
ブロードはジャルジュと目を合わせた。
「……ですが」
「いるか?」
「――いません」
「そういうことだ」
ジャルジュは項垂れた。
「ではそのついでにこちらの依頼も受けてもらえるかな」
タラシネ皇子はさらりと口にした。ブロードは獰猛に笑った。
「あーひとつ、聞いときたいんだが。俺がラオスキー侯爵のところに行って、捕まった場合はどうなるんだ?」
タラシネ皇子は「それは考えていなかった」と目を見張り、涼やかに笑った。
「ブロード・タヒュウズが捕まることなどないと信じているよ」
「言ってくれるねえ」
ブロードは口笛を鳴らした。
手助けはない、そういうことだ。
「ま、いいだろう。あんたの望み通り探ってきてやるよ。その代わり、俺のいない間そいつの後見を頼むぜ」
ブロードはそうめんういろうをワリュランスに見せているハルを指さした。
「ハル・ヨッカーのかい?」
タラシネ皇子は目を丸くした。
「そりゃそうだろう。本来俺が後見だが、一番大事な時に動けないんだ。俺に依頼したあんたが責任を持つのが筋ってもんだろう。それともあんたが国境に行くかい?」
タラシネ皇子はそうめんういろうを書こうと奇怪な文字を繰り広げているハルを見つめ肯いた。
「いいだろう。君が戻ってくるまで、彼女の身の安全については気を配ろう」
「それだけじゃない。そいつが変なことしないようにも見張っといてくれ」
「変なこと、とは。僕にとっては彼女は変なことだらけなのだけれど」
タラシネ皇子は心底困ったように言った。それはブロードたちにとっても同じことだったが、
「私のハルは変ではありません」
ワリュランスの抗議を受け、タラシネ皇子は即座に謝罪した。
「では頼んだよ」
ブロードは肩をすくめることで返事にかえた。
一度決まればジャルジュの指示のもと、すぐ動くが信条のブラッデンサ商会。ブロードの準備はすぐに整い、ブロードは王都を発った。
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