2-2 伴侶な同居人

 ハルの同居人であるワリュランス・ビュナウゼルは、その際立った美貌から緑の麗人とも呼ばれるサイタリ族だ。伴侶と決めた相手の性別に合わせて性別を分化させるほど伴侶至上主義で、伴侶と目した相手は何がなんでも口説き落とす。分化しているのなら男のはずだが、ワリュランスは品のいい淡い色のスカートに長い緑の髪をさらりと流していた。


「約束の時間も守れぬとは、ハル・ヨッカーの躾をしっかりして頂きたいものですね。同じ家に住んでいる伴侶なのでしょう?一緒に来なかったのですか?」

「あら、私のハルは自由なところがとても魅力的なのですよ。まあ、あなたのような怒りっぽい方に理解されないほうがよいから、よろしいのですけど」


 ジャルジュがわざとらしく懐中時計を取り出すと、ジャルジュの正面に座ったワリュランスはティーカップを上品に持ち上げた。 

 個人差はあれど、伴侶と目した人間への溺愛具合は凄まじく、伴侶への悪口など場合によっては血を見ると言われるほどだ。今も春の穏やかな花畑にいるような幸せそうな微笑みを浮かべながら、深い緑の目は全く笑っていない。

 調度部屋に入ってきたブロードは、おい、と割って入りかけたものの口をつぐむ。大きな体を小さくし、気配を消し、そっと部屋の隅の長椅子に寝転がった。 


「そうですか。国売りのセドなどに手を出しておきながらその重要性が理解できていないのだとしたら、サイタリ族というのは相当色ボケしているのですね」


 ジャルジュはそんなブロードを一瞥すると、すぐにワリュランスに視線を戻した。

 伴侶と目した者以外塵芥に等しいと言われるサイタリ族相手になかなか勇気のある発言だった。

 ワリュランスは緑の巻き毛に手をやり、くるりと指に巻き付けた。


「色ボケ。いい言葉ですね。早くそんな風になりたいものです。なにせ、ハルときたら私のことをセドで買った従者か何かだと思っているのですよ。誇り高いサイタリ族が膝を折るというのがどういうことかというのを分かっていないのですから。本当に困った人で。それなのに生活費を稼ぐにはセドをしないと、と言って私を守ってくれようとするのですから、本当かわいいですよね」


 ですからね、ワリュランスは目を細めた。


「私を怒らせないでください。私はただ、ハルと幸せに過ごしたいだけなのです。セドなどどうでもよいのです。ハルと二人生活するためだけにやっているのですから」

「どうでも、いいと?」

「ええ、本当はハルと二人日がな一日のんびりと暮らしたいのです。それなのにハルときたら働かないとご飯が食べられないとか堅いことを言うのです。しかも今回は国売りのセドだなんて」


 ワリュランスは優雅に頬に手を当て、ほうっとため息をついた。

「ブロード」

 ジャルジュは長椅子の陰になったブロードを見た。


「まあ、な。もう少し――」


 さすがにもう隠れられない。ブロードは足を振子のように振って、起き上がり、肩をすくめた。

 ジャルジュが何事かを言おうと息を吸い込んだ。

 コンコン。

「ハル・ヨッカーどのがいらっしゃいました」


 扉の向こう、イリーのかたい声がした。


「通せ」

「それが……」


 イリーは扉の向こう、言い淀んだ。

 ブロードはジャルジュと顔を見合わせ、席を立った。扉を開ける。

「ブロード様」

 イリーはブロードの顔を見ると、何度も廊下の向こうを見て、口ごもった。


「どうした?」


 一体何があるのか。ブロードは廊下の向こうを見て目を疑った。そう、それはもうなぜに、それと一緒にやってくるのだ、とハルの肩を捕まえ揺さぶりたいくらいには動揺した。

 不審に思ったジャルジュが腰を上げるより早く、男女二人分の声が応接室内に届いた。


「タコワサは何才ですか」

「今年で二十六です」


 ワリュランスが勢いよく立ちあがった。


「私のハルが浮気?」

 愕然と呟いた。

 ほのぼのした会話は続く。

「つまり?」

「二十六」

「タコワサはどこから来ましたか」

「僕はマルドミから来ました」


 ワリュランスはブロードを押しのけ扉口に立った。その腕が小刻みに震え、静かな殺気が漂いだす。サイタリ族は伴侶至上主義であると同時にその身体能力の高さも抜きんでている。伴侶をめぐって争うと死すら厭わない。浮気など論外な種族である。

 廊下の向こうのハルは楽しそうに笑っている。ブロードの呆れを含んだ視線に気づく様子も、ワリュランスの嫉妬と殺気に溢れた視線に気づく様子もない。


「ですです、タコワサ」

 ハルの明るい声に、ワリュランスの殺気が一段と高まる。イリーは飛び退った。

「タラシネ皇子もご一緒です」


 早口で自分の任務を果たすと、逃げるように階段を駆け下りていった。

「あれ、ワラビ?」

 顔を上げたハルは首を傾げた。

「ハル!」

 ワリュランスは廊下を駆け、タラシネ皇子の隣にいたハルを勢いよく抱き寄せた。

「ワラビ、いたい、いたい」

 ハルはもがいた。ワリュランスはさらにきつくハルを抱きしめ、ハルの肩に顎をのせると、殺しかねない形相でタラシネ皇子を睨みつけた。


「ハルが浮気」


 その殺気とは正反対に、ハルの耳元で囁く声は縋るように細く甘い。ハル以外の三人はぎょっと身を引いた。

 唯一ワリュランスの顔が見えないハルは、ワリュランスの背中をぽんぽんと叩いた。


「違います。ウワキは恋人どーし、ます。ワラビはどーきょにん。恋人違います」


 え?

 ハル以外の三人は呆気にとられた。サイタリ族が同居するのは伴侶とみなしたものだけだ。ワリュランスとハルが一緒に暮らしているのならそれは厳然たる伴侶なのだ。


「あの、ハル。ハルにとって私は……。好きといってくれたではありませんか」

 ワリュランスは茫然とハルを見つめた。

「? ワラビはワラビ。ワラビ変、です。だいじょぶ?」

 ハルは首を傾げ、ワリュランスの前髪を撫でた。ワリュランスは甘えるようにハルに額を押し付けた。 

「ブロード」

「聞くな」


 ジャルジュの問いに、ブロードは天を仰いだ。愁嘆場なのか痴話喧嘩なのか、そうでないのかすらも分からなかった。

 残酷な一撃でワリュランスを絶望の淵に沈めたハルだけが通常営業、ワリュランスの背中を叩きながら元気に言った。


「ブタ! おはよーござ! おはなし、します。おねげーしま!」

「ブロード、な。それより、そちらさんはどういうことだ?」

 ブロードはタラシネ皇子へと顎をしゃくった。

 ハルはタラシネ皇子を振り返ると、ああと頷き、ワラビの腕から抜け出した。タラシネ皇子の手を引っ張り、ブロードとジャルジュの前に連れてきた。


「タコワサ、ワラビとジジイです」

「ほう? ジジイ」


 ジャルジュは酷薄で背筋に怖気が走る、と商会内で恐れられる笑みを浮かべた。ブロードはすかさずハルの口を押さえ、ジャルジュの側からハルを引き離す。そのまま「変、変」と呆然自失になっているワリュランスに押し付けた。

 ワリュランスは腕の中のハルを不思議そうに見つめ、ぎゅっと抱きしめ、長椅子に引き籠った。


「すごいものだね。サイタリ族というのは……」

「失礼いたしました。それで今日はどのようなご用件でしょうか。昨日のセドでしたら無事にリドゥナをお納めしたかと思いますが」


 タラシネ皇子の声に、ジャルジュは抜きかけた剣から手を放し、目下の問題――目立つのが目的かと思うほど派手な色彩の服に身を包んだタラシネ皇子――に礼をとった。


「うん、少し話をしようと思って。だけど、どうにもハル・ヨッカーの言葉は僕には難しくてね。お互いに困っていたら彼女にここへ連れて来られたのだけど……」

 タラシネ皇子はワリュランスの腕の中でもがくはるに目をやった。

「おい、セド参加者同士の談合は禁止だぞ。何を考えているんだ、あいつは」

 ブロードはジャルジュに耳打ちした。

「その厳然たる事実をあなたの被後見人が理解していてくれたらいいのですけどね」

 ジャルジュは投げやりに答え、タラシネ皇子に向き直った。


「タラシネ皇子。ご存じないようですから申し上げますと、セドではセド参加者同士の談合は禁止されております。このように買主同士が接触することはあらぬ疑いを招きかねませんので」


 下手をすると、関わった人間まとめてセド資格を喪失しかねない。とはいえ、実際は隠れて取引するものもいるので微妙なところではある。


「大丈夫そんな話はしないよ。それで、後見人とご家族のいるところで話すということでよいのかな? 座っても?」

 ブロードとジャルジュは、顔を見合わせた。


「後見、だからな」

 ブロードは天井を仰ぐと、タラシネ皇子に席をすすめた。


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