第3話 父と妹に会ったよ
さい先良しと廊下を歩いていると、バッタリとあの男に会った。
が、会ってないことにした。つまり無視した。
が、それがお気に召さなかったらしい。今まで絶対に向こうから声なんかかけてこなかったのに、立ち塞がってきた。
「おい。……いつまでも仮病で寝込んだフリをしているな、みっともない。食事はダイニングでテーブルに着け。でなければ食事は抜きだ」
おおっとぉ。
「……『食事は抜き』という虐待を施し、餓死させる作戦ですか」
「何?」
思わずつぶやいた言葉は老化のため耳が遠くなって聞こえなかったらしい。
胡乱げに見上げたら、嫌悪の顔に驚きを浮かべていた。驚いたらしく口が半開きになっている。
が、気を取り直したらしい。
「……『食卓につけ』、と言っているのが、聞こえなかったか?」
「『食事は抜き』という言葉を聞き取りました。あと……何ですか? 仮病? 病で一週間も目を覚まさなかった人間をなぜ仮病と思うのか、その悪魔ですら思いつかないような悪逆非道な思考に呆れを通り越して賞賛を覚えます」
言い返したらまた驚いた顔をした。
「さらには、病み上がりの人間に同じ食卓につけ、とは……さすが、病人や死者にむち打つのがお得意ですね、スプリンコート伯爵」
ぽかーんと驚いてる、ということは老化した耳にも届いたらしい……と思いきや。
「…………今、何と言った?」
残念、やっぱり聞こえなかったらしい。
「せめて」「食事くらい」「おいしく」「食べたい」「ので」
「部屋で」「食事」「します」
区切ってはっきりと発音してみた。
「……老化で耳が弱ってるとは困りましたね。周りが迷惑するでしょうから引退を考えた方が良いでしょうに。……では、失礼します、スプリンコート伯爵」
後ろに控えている執事まで唖然とする中、礼をして通り過ぎた。
*
――執事とスプリンコート伯爵は、唖然とするあまりそのまま見送ってしまった。
寝込む前までは、陰気で卑屈、顔色をうかがい媚びを売る、ヒステリーを起こさないところだけが唯一マシな母親そっくりの娘、というのが当主の評価だった。
執事はむしろ父親に似てきた、と思った。髪と瞳の色は母親譲りだが、顔立ちや、何よりさきほどの互いを見る表情は鏡を写したかのようにソックリだった。
「アイツは母親ソックリのどうしようもない娘だ」と放言している父親には申し訳ないですが旦那様に似ていますよ、と心の内で伝えた。
伯爵は自失から立ち直ると真っ赤になった。憤怒したのだ。
「……アイツに食事を与えるな」
それを聞いた執事は一拍おいた後、
「虐待されるおつもりですか?」
と聞き、当主はいらだたしげに執事を見た。
「何?」
「お嬢さまに食事を与えず餓死させたとなれば、スプリンコート伯爵家の尊厳に関わります」
執事は珍しく眼光を鋭くして進言した。
「虐待ではない」
語気を荒く当主が言ったが、執事はそれでも鋭く見つめ続ける。
「……当主に従わない娘に、罰を与えるだけだ」
当主は目を逸らし、語気を弱めて言う。
「詭弁でございましょう。――それに、プリムローズ様とお二人でお食事された方が、旦那様も楽しく過ごせるのではないでしょうか」
執事の言葉に渋々うなずいた。
「……それで。あの娘の仮病の病名は、一体なんだったんだ?」
当主は今更聞いてきた。
「精神衰弱及び栄養失調による肉体衰弱の結果、意識不明になられました。このままの状態が続きますと命に危険が及ぶかもしれない、と医師が見立てました、とお伝えしたはずです」
当主は執事の言葉を聞かなかったことにした。
*
あの男が何か仕掛けてくるか、あるいは本当に餓死させるか、と思ったが、意外にも部屋に食事が運ばれてきた。
――最悪餓死でもしかたがない。そもそもこの家で生き残るのは難しい。
別世界の体験が私の目を再び開けさせたが、それがなければ、そのまま死んでいただろう。
生まれてから両親に邪険に扱われ虐待され、とどめとばかりに別の娘かわいがっている様を見せつけられる、なーんてされて普通の幼児に耐えられるわけがない。
もう少し異世界を楽しんで、そして魔術とやらを使えるようになり、チート知識で異世界改革しちゃうぞー! と考えているからこそ今の私は生きていけている。ただ、死んだからいいものの女の方はひどい虐待癖があったし、あの男にもあるようだ。
「……まぁ、なるようにしかならないな。とりあえず、せっけんをなんとかしたいけどなー」
やはりというか、定番というか、この世界、せっけんがない。
洗い物とかどうしてるんだろう? 野菜のゆで汁とかかな?
夜、部屋で筋トレしているとノックされ、返事をする前にドアが開いた。
うん、そんなことする人間はこの屋敷ではただ一人。愛人の娘であるプリムローズ・スプリンコート。
私を見て驚き、だが勝手に部屋に入ってきた。ノックをするようになっただけマシだけどな。
ここに来た当初は、ノック無しでガンガンどこにでも入っていったからな!
それに唖然としていたら、まず執事とメイド長が彼女に苦言を呈し、その結果、私があの男に怒られた。ノックをするマナーを教えなかった、という理由で。
閑話休題。
「姉様、元気になりました……よね?」
まぁね、腕立て伏せしてるの見たらそう思うよね。
「残念だろうけど、死ななかったな」
プリムローズは絶句した。
「そ……そんな……! そんなひどいこと……!」
「冗談だ」
わめかないでほしい。私の部屋に乗り込んできてるのに、私が乗り込んでいじめてる、っていうことにされるからさ。
「で?何の用? ……それ以前に返事を待たずにドアを開けて許可なく勝手に入るのはかなりの失礼なんだけどな。お前の父親に私を叱らせたいのならば、有効な手段ではあるけれども」
また絶句。
「……ごめんなさい。私……」
「私に謝っても意味がない。……それで? もう一度聞くけれども、何の用?」
プリムローズは呆然としている。
「……姉様が元気になられたと聞いて……。あの……最近食堂にいらっしゃらないでしょう? だからお誘いに来たの! 明日はお迎えに来ますから、一緒に食堂で食べましょ……」
「断る」
少し食い気味に返答してしまった。いけないいけない、マナー違反。てへ。
「もう一度言おう、『お断りします』」
プリムローズはしばし
「……どうして? 姉様お一人で、お部屋で食べるなんてとっても寂しいことだわ。一緒に食べた方が一人よりずっとおいしいしにぎやかで楽しいじゃない!」
――何を言ってるんだコイツ?
「……私は、寝込む前のことをあまり覚えてないのだけども、一緒に食べる食事がにぎやかだったことは一度もなかった気がするのだが?」
「……」
私は冷たい目をプリムローズに向けた。。
「それで、一人より、お前たちと食べた方が、おいしい? ……と、聞き間違えたかな? お前、お前の父親が私に言った言葉を覚えていないのか?」
今まで罵倒された言葉を指折り数えてやった。
『うつむいて食べるな、陰気臭い』
『この子にまだマナーを教えていなかったのか、なにをやってるんだ』
『まったくこれだからぐずは』
『母親に似て偏屈な女だな』
いったん止めて、首をかしげてプリムローズを見る。
「……あとなんだったけな? まぁ、これだけ罵倒されて、見下されて、それって私のせい? みたいなことを責められながらする食事は、見てるお前と罵倒してるお前の父親はさぞかし楽しくておいしく感じられるのだろうけど、されている私は味もわからないくらい、ほとんど何も食べていない日々が続いても、まったく食欲が湧かなくなるくらいまずく感じられるんだよ。それで倒れて何日も目を覚まさなくなるくらいに」
「…………」
プリムローズは反論しようとして、黙った。そしてうつむく。
しばらく黙った後、つぶやいた。
「……私、姉様と仲良くしたくて」
「あら、うれしい」
私、ニッコリ。釣られて彼女もはじけるようにニッコリ。
これは好都合の展開だな。言いくるめてやる。
「じゃあ、私のお願いを聞いてくれるかな?」
「ええ! 何でも言って! お姉様!」
「お前の父親とお前、二人とも、私に近寄らないようにしてほしい。あと、私のやることの邪魔もしないようにしてほしいな」
笑顔で伝えると、プリムローズの顔がこわ張った。
「それは非常に助かるな。――お前の父親には虐待癖があるから、あれだけ私に『お前を見ると食事がまずくなる』って散々言っておきながら、私と同じ食卓につきたがるので困っていたんだ。近くに居ないと虐待できないとわかってしまったみたいでな。同じ食卓につかなければ、それを理由にして食事を与えず餓死させようともしているし」
プリムローズが
「でも、かわいいまな娘が『お父様と二人きりで食事がしたい』と言うなら二度とそんな
またニッコリ笑う。
プリムローズの目がウロウロと動く。そんなお願いは期待してなかった、みたいな? いや結構簡単じゃん、二言言うだけじゃん。
「……それとも、お前ももしかして、虐待癖があるのかな? 虐待されているところを見るのが好きとか……」
「そんなわけ……!」
プリムローズが憤ったので、もう一度とどめにニッコリ。
「じゃあ、お願いね?」
プリムローズは渋々うなずいた。よし、用済みになったので追い出した。
さーて、明日からどうなるかな?
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