(9)舞開始

 場所を借りて普段着から巫女服へと着替えた灯は、神教の修練場と呼ばれている場所に案内された。

 そこでは年ごろの巫女たちが、思い思いに『舞』を練習している姿が見られた。

 だがその『場』に入――ろうとした灯は、濃密な神の気配を感じて思わず立ち止まってしまった。

「これは、凄いですね」

「仮にもホウライでは国教とされている神教の中心にある修練場だからね。これくらいは普通にありえるよ」

 伸広がそう言うと、隣にいたアリシアも頷きながら補足した。

「ここは神域みたいに神の力が集まっているような場所ではないけれど、長い間巫女たちが神降ろしの舞を練習してきたところだからね。塵も積もれば山となる、といったところかしらね」

「降ろされた神の力は、散らずに残るのですか?」

「うーん。何と言ったらいいかな? ああ、あれだ。ダムみたいなものだと思えばいいよ。放水する量を超えて雨が降れば、どんどんダムの中に水は貯まるよね?」

「ダムって……もう少し言い方はなかったの?」

「アハハ、いや。とっさに思いついたのがそれだった」

 アリシアの突っ込みに、伸広は笑いながら誤魔化した。

 ただし神の力の説明をするための例えとしてはアレだったが、伸広やアリシアが言いたいことはしっかりと灯には通じている。

 

 そして三人の会話を後ろで聞いていたアオカは、別の意味で驚いていた。

「――皆さま、ここにある神の気配を感じ取れるのですね?」

 アオカのその問いに、灯が目を丸くした。

「勿論ですが、ここにいる皆は感じ取れないのですか?」

「勿論感じ取れます……と言いたいところですが、正直なところ少しだけ感じ取れるものが半分といったところでしょうか。はっきりとわかる者は、ここに常駐している中では両手で数えるほどです」

「そんなものなんですか」

 そう返した灯にはここにどれくらいの巫女が常駐しているのかはわからないが、アオカやさらに後ろに控えている巫女頭を見る限りでは百名を超えることは無いだろうと予想した。

 その中から十名が多いのか少ないのかは灯にはよくわからないが、少なくともアオカや巫女頭の反応を見る限りでは少ないのだろうと考えていた。

 

 

 修練場の入口でそんなやり取りをしていれば、当然のように中で訓練(修行)をしている他の巫女たちに注目されることになる。

 しかも会話をしている者の一部に、巫女頭と当代卑弥呼がいるのだから見られないはずがない。

 修練場の中にいた巫女や監督役の巫女は、揃って入口に向かって歩いてきた。

 普段から厳しい修行を積んでいる彼女たちにしてみれば、神教で最高とされる地位にいる卑弥呼が来ているのに挨拶しないわけにはいかないといったところだろう。

 

 ただいくら広めにできている修練場とはいえ、二十人近い人数が一気に入口に集まれば移動したくても移動が難しくなる。

 流石に無理やり押し通るわけにもいかないので、灯が困った顔で巫女頭とアオカを見た。

 当たり前だが巫女頭にもその状況はわかっているので、灯から視線を受けた巫女頭がすぐさま両手を合わせるようにした。

「皆さま、少し離れて入口を空けなさい。そのままでは我々が通れませんよ?」

 巫女頭のその言葉で、古い映画の海が割れるシーンのように入口にたまっていた巫女たちが見事に二分された。

 先ほどまで二手に分かれて練習をしていたようなので、そのチーム(?)がそのまま左右に別れたのだろう。

 

 流石にそんな中を堂々と歩いていく勇気はなかった灯が戸惑っていると、その様子に気付いたアオカがすぐに先に立って歩き始めた。

 その堂々とした様子はさすがだとぼーっとしていた灯だったが、すぐ隣にいたアリシアにポンと背中を押されて慌てて歩き始める。

 考えてみればアリシアも王族なので、人から注目されているのは慣れている。

 では何故先に歩き始めなかったのかといえば、こういう場では知らない者が先に歩くよりもアオカや巫女頭に先に行かせた方がいいと経験上分かっていたからである。

 

 そんなちょっとした騒ぎ(?)に巻き込まれつつも、灯たちは修練場に設置された祭壇の前にまで来た。

 この祭壇には神々の像が設置されていて、練習時にはそれらの神々に向かって舞を奉納するといった感じになる。

 その修練を始める前にあいさつを行うということだけは先に言われていたので、灯たちも戸惑うことなくそれらの神像に向かって挨拶をした。

 一応神教での決まった挨拶はあるが、そもそもこちらの世界の神々は複数の宗教で祀られているので、全く同じ出なくても構わないと事前に言われている。

 そこも厳しい宗教はあるが、神教に関してはそこまで厳しい取り決めはない。

 

 というわけで神道式の挨拶を行った灯だったが、当然のように注目していた他の巫女たちからはどこのものかと小さい騒めきが起きた。

 どことなく前にアオカや巫女頭が行ったものと似ているような雰囲気もあったが、完全に同じようには見えなかったのだ。

 とはいえ神前の挨拶について深く聞けば失礼に当たることもあるので、直接何かを聞こうとするものはいなかった。

 灯の隣で挨拶していたアリシアや伸広のものが、大陸ないではごく一般的に行われていたものだったので見逃した者もそれなりにいたことも大きいだろう。

 

 

 そんなこんなで神前での挨拶も終わって、次はいよいよ灯の訓練から――ということになったわけだが、さすがに予想以上の人数の多さに当人が顔を引きつらせていた。

 見学者がいることは聞いていたが、さすがにここまでの人数がいるところで舞を舞ったことなどない。

 いくら何でもこれは……と思わなくもないが、自分自身で事前に了承しているので今更止めてくださいとも言えない。

 何よりも期待するような視線を伸広から感じているので、ここで拒否してしまえばその期待を裏切ってしまうことになる。

 そこまで考えた灯は、一度大きく深呼吸をしてから覚悟を決めた。

 

 この場で舞を行うことについて伸広からされているアドバイスは、『神の気配を忘れないこと』のたった一つだけだ。

 日本で言われれば何を言っているのだと突っ込むだろうが、さすがにこの場に来てその言葉を疑うようなことはしない。

 二十人近い巫女たちの見学者もいるが、本来舞を奉納すべき相手である神が実際に見ている可能性も高い。

 そのことを考えれば、いくら練習とはいえ手を抜くような真似は許されない。

 

 一度の深呼吸でどうにか落ち着きを取り戻した灯は、正座をしてから殊更にゆっくりと舞をスタートさせた。

 音は全くないが、それは特に問題ではない。

 あとは決して焦らず、ぶれることなく最後まで舞い切ることができればいい。

 子供のころから何となく練習させられてきた効果はこの場で見事に発揮して、灯自身でもそこそこ納得できるだけの舞を舞うことができていた。

 

 舞を踊りながら伸広から言われた神々の気配を忘れないように、神々への感謝の気持ちを込めてゆっくりと舞を踊り続ける。

 そして舞を踊ることに集中している灯は、気付いていなかった。

 舞を踊り始めるまでは懐疑的な雰囲気だった巫女たちの視線が、驚きへと変わっていったことに。

 さらに巫女たちだけではなく、巫女頭やアオカにも真剣な表情をさせていることにも全くと言っていいほど気が付いていない。

 

 今はただ用意された場で、自分ができる限りの最高の舞を舞うこと。

 それが自分にできることだと信じて、ただただ一心不乱に踊り続けるのであった。

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