(8)新しい領域
拠点の研究室から勉強部屋に入った伸広は、ふといつもと違う雰囲気を感じ取って一瞬だけ立ち止まった。
だがその違和感は一瞬で消え去ってしまい、内心で首を傾げつつもアリシアと灯がいる机へと歩き出す。
そんな伸広の様子に気付いたアリシアが、声をかける。
「立ち止まっていたみたいだけれど、何かあった?」
「いや~? 一瞬何かあるかと思ったんだけれど、今は何も感じないから気のせい……かな?」
「そう? 私たちは特に何も感じなかったけれど?」
「う~ん。よくわからないな。まあ、いいや」
違和感を感じたといっても一秒にも満たない時間だったので、どういう性質のものだったのかもいまいち判別がつかない。
そもそも拠点は神域内にあるので、悪意のあるようなものは入ってこれないはずだ。
であればそこまで気にするようなこともないかと、伸広は思い直した。
その一方で、伸広の感じ取った違和感が自分たちのせいだと分かっている灯は、それを悟られないようにすぐさま話題を変えることにした。
「それで、わざわざ勉強部屋に来るということは、何か話すことでもありましたか?」
アリシアと灯がいる勉強部屋は、居間を挟んで研究室とは反対側に位置している。
そのため伸広がここに来るということは、灯が言うとおりに何かの用事がなければ来ないはずなのだ。
その灯の問いに、伸広は頷きつつ答えた。
「ああ、それなんだけれどね。折角他の二人が個別に訓練しているんだったら、こっともちょっと新しいことをしようかなと思ってね」
「新しいこと? それは魔法以外ってことかしら?」
「ああ、いやいや。魔法関係であることは間違いないんだけれどね。そろそろ別の系統も追加していいかなって思ってね。特に灯は」
「私ですか。別の系統というと、どういうものになりますか?」
「そうだねえ。直接行ったほうが早いと思うんだけれど……ちゃんと説明してからのほうがいいかな。ええとね――」
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伸広から提案を受けた灯とアリシアは、すぐさまそれに了承をした。
そして三人は、一時の休憩を挟んでからヤマの町――というよりもそこにある神宮へと来ていた。
「――なるほど。それで私たちのところへおいでになったのですか」
伸広から事情を聞いた卑弥呼のアオカは、納得した顔で頷いていた。
「ええ。別の神殿でもいいとは思うのですが、こちらのほうが灯がとっつきやすいかなと思いましてね」
「なるほど。そういうことでしたら喜んで……と言いたいところですが、一つお願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「内容にもよりますが?」
「それは勿論そうでしょう。私どもが望むのは、あなたたちが行う予定ある修行を見せていただけないかということです」
「ああ。そういうことですか。それでしたら特に問題ありません。もとよりそのつもりでしたから」
「それはありがたいことです。――巫女頭、聞いておりましたね?」
「はい。すぐに手配いたします」
アオカから短い指示を受けた巫女頭は、見た目の年齢とは思えないほどの素早さで立ち上がり、一言断ってからその場を退出した。
「こんな急なお願いなのに、申し訳ありません」
「いえいえ。この程度のことでしたらいつでもいらしてください」
急に押しかけてきたのは間違いないことなのできっちりと頭を下げる伸広に対して、アオカはニコリと笑い返してきた。
実際この後行われることを見学できるのであれば、お釣りを返していいほどのメリットがあると考えている。
それくらいに伸広がしてきた提案は、アオカ――というよりも神教全体にとってもありがたいことだったのだ。
アオカがそんなことを考えていると、灯がコソコソと伸広に話しかけていた。
「あ、あの、師匠? 私たち、人に見られながら訓練をするのですか?」
「勿論。というか、そうじゃないと意味がないよね?」
「そうだけれど、そうじゃない…………言いたいです」
「……伸広。灯はともかく、私は初めてなのだけれど?」
「あー………………頑張って」
一瞬考える様子を見せながらもすぐに笑顔になりながら崖下に突き落としてきた伸広に、アリシアは珍しく頬をひきつらせた。
育ち柄人に注目されていることには慣れているアリシアだが、さすがにぶっつけ本番に近い形でアレを人前で見せるのはためらいがある。
とはいえ、伸広が言うように人前でやることに意味があるということもよくわかっているので、何とも言えない感情が生まれていた。
アリシアと灯を同時に困惑させている原因は、勿論これから行おうとしていることに原因がある。
それが何かというと舞――もっと具体的にいうと『神降ろし』の舞の練習をしようとしているのだ。
日本で神降ろしの舞と聞くと儀礼的なものとなるが、こちらの世界ではそれだけではすまなくなる。
限られた上級者が行うと、本当に神の能力の一部が使えるようになったりするのだ。
それ故に、神降ろしの舞を舞うということは、神職――特に巫女系――にとっては最初の一歩であり最後の最後まで目指すべき目標ともいえる。
神教で最高の地位にいるアオカの仕事の一つが舞を舞うことであるということを考えても、その重要性がわかるだろう。
とにかく伸広が拠点で提案したのは、その神降ろしの舞の練習をするということだった。
伸広と会うまで魔法的なことには縁がなかったアリシアは勿論のこと、灯もこちらの世界で舞を舞うのは初めてのことになる。
灯に関しては一応実家が神社だったということもありある程度の手ほどきを受けたことはあるが、本人としてはそこまで本格的にやっていたとは考えていない。
もっとも日本の一般的な常識で考えれば、家で舞を教わったことがあるなんてことは、普通では考えられないことなのだが。
いずれにしてもアリシアと灯はその神降ろしの舞を練習することになったわけだが、それを何故わざわざアオカにお願いをしてまで神宮の施設の一部を借りてまで外で行うことになったか。
それは神降ろしの舞が、基本的には神的な場で行う必要があるとされているためだ。
ただ神的な場という意味ではそれこそ神域は最適だったりするのだが、そもそも神が気まぐれに降りてきたりすることがある神域で舞を舞ってもほとんど意味がない。
だからこそ普段舞を練習している場所――今回は神教の練習場を借りたいとお願いをしに来たのだ。
神教側からすれば、青龍と平然と渡り合えるような魔法使いである伸広の願いはできる限り聞いておきたい。
しかもその願いが自分たちに関係のありそうな舞に関してとなると、期待はさらに高まるのは当然のことだ。
伸広の弟子であるアリシアと灯が、どんな舞を舞うのか直接見れる機会を逃すはずもない。
練習の見学の許可があっさり取れたのでよかったが、できる限り人数を絞って……最悪アオカ一人だけでも見ることができないかと提案することも考えていたほどだ。
ちなみに、わざわざ場所を限定してまで使うような舞を練習することに意味はあるのかという疑問があるのが、これには勿論意味がある。
神降ろしの舞を実戦で使えるのかというと疑問ではあるが、それは冒険者のパーティ単位で考えた場合である。
乱戦や混戦になった場合や大人数に対して術を掛けたい場合などには、舞というのは有効な手段の一つとなってくる。
練習はあくまでも練習であり、場を整えたほうがやりやすいということも理由の一つだ。
というわけで伸広の提案から始まったアリシアと灯の舞の練習は、神教の神職に見守られながら行われることになった。
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