(6)灯への試練

 三人の中で最後にオーブに触れた灯は、最初に飛び込んできた光景を見て目を丸くして驚いていた。

 こちらの世界に来てから初めて見る景色でありながら懐かしい光景が自らの目の前に現れれば、誰であっても驚くだろう。

 オーブに触れて移動してきた灯の目の前には、新しい世界に転移してくる前によく見ていた赤く塗られた鳥居があったのだ。

 しかもその鳥居、というよりも周囲の木々がある風景をよく見ると、その鳥居以外にも見慣れた光景になっていた。

 まさかと思いつつきちんと礼をしてから鳥居から続いている参道を進めば進むほど、その疑念は確信へと変わっていった。

 今、灯が歩いているこの参道は、紛れもなく灯が新しい世界に来る前によく通っていた道だったのだ。

 そして階段になっている参道を進み続けた結果、ついに目の前にこれまた見慣れた神社が建っていたのである。

 この光景が現実だとは思っていない灯だが、懐かしさのあまりに心の中が穏やかではいられなくなったとしても責める者は誰もいないだろう。

 

 きちんとした作法に則って手水舎で手と口を清めてから拝殿へと向かって歩き始める。

 既にこの時点で灯の視界には、賽銭箱の前に人影が映っていた。

 その人物(?)が誰であるのかも予想はできていたが、敢えてそれをはっきりとした形で考えることはせずにいた。

 そして、完全にその人物の目の前に来てから改めて確認すれば、その者がアリシア姫と全く同じ姿かたちをしているということが分かった。

 

 だがしかし、微笑みを浮かべながらしっかりと灯を見つめているその存在は確かにアリシア姫のものだったが、その人物から放たれている存在感は格段にこちらが上だった。

 もはやその人物が誰であるかは敢えて問いかけて聞くまでもない。

 転生体であるアリシア姫ではなく、アルスリア神そのものが顕現しているという事実に、灯はどう対応するべきかを悩んでいた。

 それに加えて、とある疑問が灯の頭の中で渦巻いている。

 

 ここで、神よりも先に自分から問いかけていいものかと悩む灯に配慮してか、灯が歩みを止めたのを確認したアルスリアが口を開いた。

「良く来ましたね、灯。――聞かれる前に答えてしまいますが、私が神社ここにいるのは不思議なことではありませんよ。今でこそこちらで最高神をやっていますが、そもそもはあちらの神の一柱だったのですから」

 初めて聞くその事実に、灯は驚きで目を丸くする。

「――別に隠しているわけではないのですが、伸広も敢えてそのことには触れないようにしているようですね。もっともその事実を話しても信じてもらえないから話していないのでしょう」

 もともと日本で神様をやっていた存在が、別世界で新たな神として認められているなど簡単に信じられないのも無理はない。

 伸広は、自身の志望から異世界への転移と、事実として認めざるを得ない立場になっていたからこそ信じることができていた。

 灯自身も、実際に目の前で起こっている情況があるからこそ、辛うじて納得できているのだ。

 

 どうにかこの状況に理解が追い付いてきていた灯は、ようやく初めての疑問(というか願い?)を口にした。

「あの……神様であるあなたに敬語を使われるのは……」

「ああ。これが私の地だから気にしないで頂戴。私の場合、言葉が砕けてくるのはよほど慣れてきた場合ですから」

「そうですか……」

 灯としてはそういう問題ではないと言いたいところだが、アルスリア自身に言われた以上は拒絶することもできない。

 

 心なしか肩を落としているように見える灯に、アルスリアは相変わらずの笑顔のまま言った。

「そんなことよりも、今は試練についてです。といっても灯であれば、この『場』を用意した時点で何をすればいいのかはわかっていると思います」

「推測になりますが『神降ろし』の修練……でしょうか?」

「当たりです。ただし、神降ろしはこの場で成功させなくても大丈夫です。何かきっかけになるようなものでもつかんでもらえれば」

「あの……そのように答えになるようなことを仰っても大丈夫なのですか?」

「構いませんよ。どのような試練にするのかは、あくまでもこちら側の匙加減ですから」

「そうですか……」

 見方によっては緩い取り決めに、灯は安堵とそれでいいのかという気持ちが混ざった状態でもやもやしたまま頷く。

 

「あとはそれに加えて、とある問いについて考えてもらいます。こちらも時間をかけて考えたほうがいいでしょうね」

「問い……ですか」

「ええ。それは『あなたにとっての伸広とは?』です。こちらは、特に答えをこの場で言ってもらわなくても構いません。あくまでも考えることの方が重要ですから」

 答えよりも思考のほうが重要といわれた灯は、なんとなく目の前にいる女神アルスリアの目的を理解した。

 

 そもそも日本で暮らしていた時の灯は、伸広に対して憧れのような感情を抱いていた。

 だが、こちらの世界に来て自分とさほど年齢が変わらない伸広を見た時に、その気持ちに変化が起こっていることは自覚している。

 それが明確に恋と言えるかどうかは、今のところ当人には分かっていない。

 いや、もしかするとそう思っているのは自分だけで、周りから見ればすでにはっきりしていると捉えられているのかもしれない。

 これまで敢えてそこを深く考えてこなかったのは、アリシアという存在がいるからだ。

 そしてアリシアは、今目の前にいる女神の転生体である。

 さらに、この場で灯に伸広とのことを考えるように言われたということは――――。

 

 体感で一瞬にしてそこまで思い至った灯に、アルスリアは微笑から苦笑に表情を変えた。

「こらこら灯。変に結論を急いではいけませんよ。そもそもあなたの思いを封じてほしいだけであれば、こんな場で問いかけたりはしません。転生体アリシアに言わせればいいだけでるから。――そうですね。一つ言えるとすれば、私はこの世界を管理している神の一柱だということです。それから、修練のほうが疎かになっていますよ?」

「え? あ……はい」

 変に自分を追い込みそうになっていた灯は、アルスリアからの指摘に思わず気の抜けた答えを返してしまった。

 灯は自分をけん制するつもりでアルスリアが問いかけてきたのかと考えたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 

 どうにも思考が一方向にしか向いていないと感じた灯は、一度大きく深呼吸をしてからその場で正座をしてから目をつむった。

 灯が考え事をしている間に、屋外にいたはずが屋内に周囲の風景が変わっていたのは、目の前にいるアルスリアの仕業だ。

 そして灯が体勢を正座に変えたのは、アルスリアに言われたとおりに纏まらない思考を落ち着けるために、神降ろしの修練を始めようと考えたからだ。

 目を閉じて正座をしながら呼吸を整えていくと、騒めいていた心の中が落ち着けることができた。

 

 さらに、神降ろしについて思考を巡らせていくうちに、ふと気づくことがあった。

 神降ろしと言われた灯の思考は、地球――というか日本の神を降ろすことについて考えていた。

 ところが今灯がいるのは、地球がある世界ではなく全く別の次元にある世界だ。

 その世界を管理している神々は、目の前にいるアルスリアをはじめとした別の神話体系に基づいた存在なのだ。

 そうなると、神降ろしについても日本のそれとはまた違ったアプローチが必要になるはずだ。

 

 そこまで考えた灯は、伸広や拠点にあった書物から得た知識にあるグロスターという世界の神々について考えはじめる。

 この世界の成り立ちや神々の在り方、世界にあふれている生物へ理解が及んだ時にふと思い浮かんだことがあった。

 そもそも何故アルスリアは、神降ろしの修練とあの問いを一緒の試練にまとめたのかということだ。

 その考えに行きついた灯は、ここでようやくある結論にたどり着くのであった。

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