(5)様々な思惑
アリシアとセレコウスが舌戦を繰り広げている間、学生組は今後の身の振り方についてコソコソと話をしていた。
一応緊迫した話をしているアリシアとセレコウスに気を使って抑えられた声ではあるのだが、普通に考えれば失礼極まりない行為ともとられかねない。
ところが、その学生たちの行為についてこれ見よがしに咎めてくる帝国の者は一人もいなかった。
その理由は単純で、学生組の話し声は帝国の者たちには聞こえないようになっているのだ。
その仕掛けを施したのは当然のように伸広だったが、学生組の中でそのことに気づいているのは残念ながら全員というわけではなかった。
魔法という存在がおとぎ話のような架空の物語やゲームの中でしか出てこないような世界から来ているので、すぐにその事実に気づけないのは致し方ない面もある。
実際に魔法をかけている伸広も、学生組の中で気づいていない者がいることについては特に気にしていない。
あるいは、今後この世界で生きていくにあたって、気づける者も増えてくるだろうと考えているくらいだった。
学生組は普段の生活の中でも行っているように、自然とグループに分かれてコソコソと話をしていた。
こういう場面でいつも通りの範囲内に分かれて行動するのは、むしろ当然のことだろう。
そんな中で、村中灯もまたいつものように友人である渡会忍に話しかけられていた。
ちなみに、いつもよく話す友人はもう一人いるが、彼女は転移してきたときの位置が悪かったのか離れた場所にいる。
「――灯はどうするんだ?」
「どう、とは?」
「……そうか。今は確認することがたくさんあったな。まず聞きたいのはどの道を選ぶのか、ということだ」
「あら。まずは、異世界転移なんて本当なのか、とは聞かないのね?」
「今更そこを疑っても仕方ないだろう。現に今も私たちの話声は帝国とやらの者たちには届いていないみたいだからな」
普通――この場合は地球――の常識では、この程度の距離で話をしていれば、間違いなく相手にまで声は届く。
忍はそのことにきちんと気づいていて、灯がそのことに気づいていることも当然として話をしていた。
勿論それだけで魔法を使っていると断定しているわけではないのだが、少なくとも突然現れた魔法使い風のあの男が自分たちに対して選択肢を増やそうとしてくれていることは信じていた。
たとえそれが、男の属している組織なり国なりの意向であったとしても、だ。
そして忍がこれまでの対応で一応伸広のことを信用しようとしているのとは別に、灯は別の理由で伸広のことを信用しようとしていた。
「そうね。私は…………ちょっと確認したいことがあるから、それを確認してから決めようと思うわ」
「確認したいことか。聞きたいことならいくらでも思いつくが、その全てに答えてもらえるとは限らないと思うぞ?」
「まあね。でも、この質問は、まず間違えなく答ええてくれると思うわ」
そう答えた灯の視線は、まっすぐに伸広に向けられている。
もっといえば、灯は忍から話しかける前から何かを確認するかのように、伸広のことを見ていた。
忍はさすがにそんなに前から灯が伸広のことを注目していたことを知らないが、それでもその視線に何かあると感じ取っていた。
「あの男の人に何か……ふむ。そういえば、○×町の関係者のようなことを言っていたな」
「よく覚えているわね。間違っていないけれど」
「さすがにこれ以上はここでは不用意に話せないか」
少しだけ声を潜めて言った忍に、灯は無言のまま頷いた。
さすがに三年間同じクラス――だけではなく、高校に通う前からの友人なだけはある。
詳しく説明しなくても灯が懸念していることに、忍も気づいたようだった。
学生たちの声は帝国関係者には届いていないが、学生同士は普通に聞こえている。
逆をいえば、同級生たちに聞かせたくない話がある場合は、今ここで話すのは不適切ということになる。
灯が抱いている疑問は、その不適切な場合に当てはまっているのだ。
これは別に灯自身のためだけではなく、伸広のことを気遣ってのことでもある。
帝国の者たちに声が届いていないことが段々と浸透してきたのか、一部の学生たちの話し合う声の量に遠慮がなくなってきていた。
そのこと自体『守られている』という状態なのだが、そのことに気付いている者たちはどれくらいいるのかわからない。
同級生の中には自分たちを守っているという意味を勘違いして、伸広に対して無理難題を押し付ける可能性もある。
灯としてはクラスメートにそこまで愚かな者はいないと信じたいところだが、絶対だといいきれないので不用意な行動は抑えているのだ。
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こうして学生組も様々な思惑で先のことが話し合われている中で、アリシアと皇帝の話し合いも大詰めを迎えていた。
といっても、学生組を迎え入れる先と期間さえ決まってしまえば、ほとんど話し合うようなことはない。
伸広やアリシアとしては、学生たちの受け入れ期間としてセレコウスがひと月を提示してきたことで、かなりの満足だった。
最悪の場合はリンドワーグ王国が慌てて用意した良くて数日程度になる可能性もあると予想していただけに、その点に関しては十分すぎるほどの結果と言える。
伸広たちは最悪を考えて行動していたが、下手をすれば学生組にとっては今後を左右するような決定になるだけに、出来る限りの期間はほしいというのが本音だったのだ。
学生たちにどの程度通じているのかはわからないが、セレコウスとしてはひと月という期間を設けることで帝国の度量の大きさを示したかったというのもあるのだろう。
いずれにしても、方針を決めるまでひと月という期間を帝国が受け入れることは、ほぼ決定事項となった。
そして、話し合うべきこともほとんど終わりこのまま順調にことが進むと思われたその時、事件は起こった。
伸広が掛けている折角の魔法が無駄になりそうなほどの大きさで、学生組の中から悲鳴が聞こえてきたのだ。
帝国の者たちには声が届いていなかったが、その悲鳴を上げた女子たちと彼女たちの傍にいた騎士の様子で一瞬で状況を把握したようだった。
端的に言えば、騎士の一人が悲鳴を上げた女性たちに向かって、剣を抜刀していたのだ。
「――何をしておるか!」
その場の混乱を収めるかのように、セレコウスが一喝した。
その声に、ことを起こした騎士は勿論、他の者たちもその場で直立不動になる。
「敬礼は良い! そんなことよりも、何をしているかと問うたのだ!」
「も、申し訳ございません! この者たちが逃げるそぶりをしたもので……」
「だからといって、剣を抜いたのか」
怒りと呆れがこもったような視線を向けてきた皇帝に、その騎士はそれ以上は何も言わずにただただその場で平服をした。
時折鎧からカチカチと音が聞こえてくるのは、とんでもないことをしたと体が震えているためだ。
「愚か者が。この場に難なく転移してくるこの者が、そんなことを許すはずがないであろう」
この者――といいながら伸広のことを示すセレコウスに、帝国の残りに者たちの一部がハッとした様子になっていた。
それを見るからに、あまりの状況の変化にそんなことすら気づいていなかったようだ。
そして、そんな彼らにとってさらにあり得ないようなことが起こった。
なんと、帝国の皇帝であるセレコウスが、軽くではあるが頭を下げながらこう言ったのだ。
「不安にさせて申し訳ない。だが、これよりそなたたちの身の安全は、余が保証をする。余程のことがない限りは、その身に危害が加えられることはないであろう」
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