(11)悪意ある噂

 拠点にソフィが来てから一週間ほどが経ったある日。

 この日はアリシアが打ち合わせで王城に出払っており、拠点には伸広とソフィが二人だけでいた。

 最初はソフィも城に行くつもりでいたのだが、彼女が拠点に来てから今まで休みなく働いていたのを気にしてアリシアがほとんど無理やりに休ませることにしたのだ。

 そして、一緒に城に戻ってしまうと何かしらの仕事が押し付けられると考えたアリシアは、自分が戻ってくる間はソフィの転移陣の使用を禁じていた。

 ちなみに転移陣は、カルロスとの話し合いが終わったあとに城と拠点の間で行き来できるように伸広が設置していた。

 

 拠点でソフィと二人きりになるのは初めてのことだったが、伸広は緊張することもなくいつも通りに過ごしていた。

 その理由は単純で、伸広がいつも通りに研究室にこもっていたので、リビングにいたソフィと会話することがなかったのだ。

 そして、魔法の研究に一区切りをつけた伸広がリビングに姿を現すと、珍しくソフィの側から少しためらった様子で話しかけてきた。

「――――あの……少しお時間いただいてもよろしいでしょうか?」

「構わないけれど……」

 多少改まった様子になっているソフィに、伸広は内心で首を傾げる。

 このタイミングで話しかけてくるということは、アリシアがいない時を狙って話してきたということはすぐにわかった。

 

 何となく話が長くなりそうだと考えた伸広は、ソフィに座るように促すことにした。

「とりあえず座って――――うん。それで、何?」

「単刀直入にお伺いいたしますが、ノブヒロ様は姫様のことがお好きなのでしょうか?」

「うわー。本当に直球で聞いてきたねぇ。普段の君を考えればそんな質問はしないだろうから、誰かの指示だろうけれど……まあそれはいいか」

 誰かは大体想像できるしと頭の中で考えた伸広は、わざと少し間を開けてから続けて言った。

「好きか嫌いかでいえば、もちろん好きだよ? でなければ、これだけの期間一緒に住むのを許したりしないよ」

「……なるほど」

 ソフィが拠点に来てからさほど時間が経っているわけではないが、それでも伸広の人付き合いは常にある程度一定の距離を置いて行われていることが分かる。

 ソフィが受けたその印象は、実体験からだけではなくアリシアから聞いた話からも裏付けできる。

 

 そんな伸広に対して、アリシアは簡単に距離を詰めて応対をしている。

 それはアリシアの対応が慣れているからというのもあるだろうが、伸広自身がそれを許しているからというのも間違いなくある。

 今の伸広の言葉からもそれが証明できるのだが、だからこそ周りから見れば不思議に思うこともあるのだ。

「では何故、すぐにでもアリシア様を受け入れなかったのでしょう?」

「受け入れるって、婚約のこと? ……まさか、こっちの人からそんな言葉を聞けるとは思わなかったな」

「どういうことでしょう……?」

「ソフィがどれくらいの期間アリシアに仕えていたかは知らないけれど、それなり以上だということはわかるよ。だからこそ、アリシアが女神の転生体だという事実を忘れがちになるんだろうね。いや、思考が普通の姫様だと思ってしまうというべきか」

 言外にアリシアのことが分かっていないと言われたように感じたソフィは、珍しくむっとしたような感情を表に出した。

 

 そんなソフィに、伸広は右手で押さえるような仕草をしながらさらに続けた。

「常識的に考えて、神様からいきなり求婚されて即答する人間は信用に値すると思う? 神様はそんなことを見抜いたうえで行動に出るということは抜きにして」

「それは…………」

 伸広の言葉に反論しようとしたソフィだったが、すぐに言葉に詰まった様子でわずかに俯いた。

 ソフィは、アリシアがどの女神の転生体かはわからない。

 またそうであるからこそ、伸広の言葉をその通りだと認めてしまったのだ。

「今まで普通の姫様――と言ったら不敬になるのかもしれないけれど、とにかくいきなり神様の転生体だと言われてその事実を忘れがちになるのは仕方ないと思う。けれど、既にその事実を表に出してしまった以上、君たちもそれを認めないといけないんじゃないかな?」

 自分のことを責めるでもなくごく普通の口調でそう言ってきた伸広に、ソフィは何かを噛みしめるように口をキュッと結んだ。

 

 ただしソフィがそんな表情を見せたのはほんの一瞬のことで、すぐにいつも通りの表情に戻った。

「――確かにあなたの言う通り、姫様が女神さまの生まれ変わりであることを見落としがちであることは認めます。……ですが、あなた自身は? 女神からいきなり求婚されるあなたは何者なのでしょうか?」

「その質問はこっちじゃなくて、それこそアリシアや王に聞いたほうがいいと思うけれど、どうせこれも誰かに聞くように言われているんだろうなぁ……」

 面倒になったと誰に聞かせるわけでもなく小さく呟いた伸広に、ソフィは疑問の表情を浮かべた。

「どういうことでしょう? あなた自身のことなのに、答えられないことでもあるということですか?」

「いやだから、そういうことも含めて王とアリシアが何も言わない、聞かないように指示していると思うんだけれど? それとも、直接聞けば簡単に答えるように人間だと思われているってことかな」

 

 伸広自身の情報については、現在でもほとんど広まっていない。

 それは、アリシアの直接の世話をする侍女たちについても同様だ。

 別に伸広は、自分自身のことを意図して隠しているわけではなく、むしろ王やアリシアが隠していると言ったほうがいい。

 そのことを感じ取ったため、伸広は意図的にソフィに自分のことを話さないようにしている。

 

「そういうことではなく……」

 自分の言葉にどこか言いづらそうにそう答えたソフィの顔に、伸広はどこか焦りのようなものを一瞬感じ取った。

「あ~、もしかしなくても、僕の情報がないことをいいことに、悪意ある噂が広まっているとか?」

「………………………………」

 ソフィが黙り込んでいるのを見て、伸広は納得した表情で頷いた。

「あら、正解か。となると、ちょっと不味いかもなあ」

 伸広自身は、自分の悪評が広まったところで大した痛手には感じない。

 何しろどんな噂が広まったところで、これまで通りに今いる拠点に限らずどこかに逃げ込んでしまえばいいだけなのだから。

 問題なのは伸広ではなく、その噂を聞いた時のアリシアのことだ。

 

 正直なところアリシアは、侍女がいなくても一人で生活できるだけの能力を持っている。

 それは、王国との話し合いが終わる前の拠点での二人きりの生活で証明されている。

 もし伸広の悪い噂を聞いたアリシアが変に拗らせてしまえば、侍女全員を首にするなんてことも言いかねない。

 もっとも、一国の王女が住むことになる離宮が普通の一軒家程度の広さであるはずがなく、アリシア一人で管理できるわけではない。

 ただ、そういう極端な行動に出る可能性も全くないわけではないというのが伸広の懸念だ。

 

「――というわけで、その噂は絶対にアリシアの耳には入らないようにしたほうがいいと思うけれど、その辺は大丈夫?」

「そ、そんな、まさか……でも……」

「おーい。――って、耳に入ってないかな、これは」

 

 完全に一人の世界に入ってしまったように見えるソフィに、伸広は復活するまでしばらくその場で待つことにした。

 その結果とその後も色々とあって、彼女がいつも通りに戻るまでに十分ほどの時間を要したことは、何故か当分の間二人だけの秘密となったのである。

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