第3話 なにはともあれ戦闘訓練

 王城の中にある練兵場。

 大きさは地方都市郊外にある中学校の校庭と同じ位の面積がある。とはいえ、騎士達が訓練すると考えると少々小さいと思える。

 おそらく本格的な訓練は王都の外で行い、ここは日常的な訓練を行う場所なのだろう。

 そんな練兵場に召喚された日本人、東宮寺 伊織は連れてこられていた。

 この国に来てから4日目である。

 2日目と3日目は「詳しい話を聞きたい」とか「まだ混乱していて決心がつかない」などと言い訳して訓練から逃げまくっていたのだが、本日とうとう痺れを切らしたらしい。

 

 そうなると諦めて訓練に励むかと思いきや、

「ふぁ~ぁ、眠ぃ~、しゃーないから適当にやりますか」

 やる気ゼロである。

 まぁ、無理矢理連れてこられた状況でやる気満々になるはずもないが、それにしても明らかにめんどくさそうな態度を欠片も隠す気がないというのは、ある意味かなり豪胆ではある。

 それも周囲を騎士達に囲まれている状況でだ。

 ちなみにその騎士の中には英太と香澄も含まれているのだが、召喚の時と同じく全身甲冑で面帯までしているので判別はつかない。

 

「ほう? 勇者殿は随分と余裕があると見える。何しろ3日間も訓練もせずに遊びほうけているのですからな。いやいや、実に羨ましいですな」

「あ、そう見える? いや~、困っちゃったなぁ、これでも結構小心者なんで痛いのとかは嫌いなんだよねぇ。まぁ、お手柔らかに頼むよ」

 嫌みったらしい口調で声を掛けてきたのは先日伊織に見事な一本背負いをくらったプッツン騎士である。

 どうやら腰はもう治ったらしい。相変わらず派手な甲冑姿だが、兜にあの赤い羽根は着いていない。多少形も違うようなのでイメージチェンジでも試みているらしい。

 そして、嫌味を言われた当人である伊織だが、頭を掻きながらのほほんとした返答をしている。

 これが素の対応ならばとんでもない天然だが、当然そんなわけはなく、わざと煽っているのである。20名を超える騎士に囲まれながらそんなことが出来るのだから、度胸だけは一流であろう。

 

 だが当然プライドだけは高そうな騎士達が流せるはずもない。

「……口だけは達者なようだな。いつまでその余裕が持つか楽しみだ」

「んで? 訓練って何やんの?」

 まるで聞いていない。

 プッツン騎士渾身の脅しもどこ吹く風である。

「っ! ベリタス! この勇者殿に実戦とは何かを教えてやれ!」

「応!」

 居並んだ騎士達の中から、一番手前にいた一際大柄な騎士が前に出る。

 挑発としか思えない態度のせいだろう、その表情は厳しく、目には怒りをありありと映し出している。と同時に伊織に対する侮蔑の色も混ざっていた。

「騎士団長からの命令だ。勇者殿には私と模擬戦闘をしてもらう。武器は訓練用のものを好きに使うが良い」

 そう言って脇に置かれた台に並んだ武器を顎で指す。

 

 億劫そうにそちらに歩き、武器を眺め始める伊織。

 ベリタスと呼ばれた騎士はフンッと鼻を鳴らしながらその様子を横目に見ながら伊織が選ぶのを待つ。

 待つ。待つ。待つ……。

「早くせんかぁ!」

 いつまで経ってもこちらに戻ってこない伊織に怒鳴る騎士。

 怒鳴られた伊織はというと、並んでいた武器の中から取りだしたナイフ4本でジャグリングをして遊んでいた。存外器用な男である。

 結局、伊織が選んだのはいわゆる小剣と呼ばれる刃渡り40センチほどの幅広の剣だった。もちろん訓練用に刃は潰してあるので切れることはない。

 遊んでいたナイフではなく小剣だったことで騎士の青筋は一本追加されたが。

 

「これは訓練だが、あくまで実戦を想定している。だから、戦闘不能になるまで手を緩めることはない。なに、死ぬことはないから安心するがいい」

 そういう騎士の顔には伊織を嬲る喜悦が浮かんでいる。散々挑発的というか、人を馬鹿にするような態度を取られたのだ。その意趣返しが出来るというのともうひとつ。

 召喚された異世界人は、初日に王女であるセイラが言っていたように、確かに膨大な魔力をその身に宿しているといわれる。しかし魔力というのは持っているだけではなんの役にも立たない。

 魔力を使って身体を強化したり、魔法として発動させるためには訓練することが不可欠である。しかし、召喚に伴う魔力の付与を受けているということは、元々持っている力ではないということ。当然その力を使う術など身に着けているはずがないし、実際に前回英太達が召喚された時も魔力を使えるようになるまでそれなりの期間が必要だったのだ。それを知っているが故の余裕である。

 魔力による底上げがないのであれば騎士として厳しい訓練をしている自分達が負けるはずがないのである。ましてや争いなどほとんどないという異世界で暮らしていた人間などなんの脅威にもならないと考えていた。

 

「ひとつ聞きたいんだが、そっちが戦闘不能になったらどうすんだ? 今日の訓練終わりってことで良いんだよな?」

 ビキッ。

 ベリタスの額の青筋が一層凶悪に浮き上がる。今にも切れて血が噴き出しそうだ。頭からも何やら湯気の様なものも立ち上っている。冷静さを失わせるための作戦とかなら見事成功といったところだが、どうにも伊織にはそういった思惑は感じられない。むしろ本気で面倒な事はさっさと終わらせたいと考えているように見える。もっともそれを煽っているというのだが。

「……いいだろう。ベリタスに勝てるものなら勝ってみるがいい」

 プッツン騎士が怒りに肩を振るわせながら低く応じる。

 その言葉が終わらないうちにベリタスはことさらゆっくりと練兵場の中央に向かって歩く。おそらく冷静さを取り戻すべく息を整えているのであろう。

 伊織もまた小剣を肩に担ぐように持ちながら、こちらは飄々とした足取りで後に続いた。

 

 

 

「どう思う? 勝てるかなぁ」

 英太が伊織達のやり取りを見ながら隣の香澄にだけ聞こえるような小さな声でで聞く。

「どうかしらね。初日の背負い投げを見てもそれなりに戦えるのかもしれないけど、口だけ団長と違ってあの千人長は実戦経験もそれなりにある実力上位の騎士だしね。ただ、あれだけ煽っといて実は弱かったなんて事になったら、そっちの方がビックリだけど」

 香澄も小声で応じるが、その声音は多分に呆れを含んだものだった。

「確かに。でも大きな怪我をしなきゃいいけど」

 そう返した英太の声には若干の不安が込められている。

 

 不安の理由は明らかだ。

 英太と香澄もこの世界に召喚された時に自分の中にそれまでなかった力が突然膨れあがったのを感じることが出来た。

 王国側からの説明で、それが召喚されるに際して得られる膨大な魔力であることは理解できたが、理解出来たからといってそれが活用できるかは別の問題だった。

 そもそもその力の引き出し方も使い方も何もわからない。数日練習したことで何とか身体の能力を大幅に強化することは何とか出来たが、今度はそれを使いこなすことがまったく出来なかったのだ。

 英太は自分の運動神経にはそれなりの自信があったのだが、訓練の一環として行われた模擬戦闘では下っ端の騎士にすら手も足も出なかった。

 力もスピードも常人の枠を大きく外れるほどだったが、今度はそれに振り回されて自分のイメージ通りに身体を動かすことが困難になっていた。免許取り立ての初心者がいきなりF1のレーシングマシンでレースに出たようなものだ。

 

 対して、騎士達は元々魔力を常人よりも多く保有している者が多い。そしてそれを使いこなす訓練も戦うための訓練も充分に積んでいる。少々力が強い程度で敵うはずがないのである。

 今では英太も香澄も過酷な訓練を経てそれなりに魔力を使いこなすことが出来るようになり、騎士団の連中を相手にしても圧倒できる能力を持つにいたったが、それまでは幾度となく騎士達に嬲られた上に羈束きそくの首輪まで着けられる羽目になったのだ。

 女性である香澄が性的な意味で無事であったのは、折角の異世界人を追い詰めすぎて自暴自棄になられては困るからに過ぎない。

 それを分かっているだけに2人は伊織がこれだけの騎士の前で傍若無人な態度を取ることがかなり危険なことだと思っているのだ。

 伊織の態度からしてそれなりの実力があるのかもしれないとは思っているが、所詮は平和な日本で暮らしていた人間だ。日常的に命のやり取りを前提とした訓練を積んでいる騎士達に勝てるはずもない。

 折角味方になってくれそうな同郷の人物である。せめて心が折れるような目に遭わないことを祈るしかできなかった。

 

 

 

「異世界人、覚悟は良いか? あれだけの口を利いたんだ、ただで終われると思うなよ。まぁ、頭を地面に擦りつけて謝るなら少しは考えてやるが」

 多少は気持ちが落ち着いたのか、ことさら激高することもなくベリタスが言う。といっても手加減するつもりはほんの一欠片もなさそうだが。呼び方も勇者から異世界人にランクダウンしているし。

 そのベリタスと対峙した伊織は聞いているのかいないのか、手にした小剣をブンブンと振り回して感触を確かめている。が、さすがに何度も繰り返しているので今度はベリタスが感情的になることはなかった。

 伊織が身体の前に小剣を構えるのを待って、ベリタスも盾と長剣を翳す。

 開始の合図はない。両者が構えた時点で模擬戦は始まっている。

 

 スッ。

 伊織が片手の青眼から身体を半身にして低くする。見た感じフェンシングの構えに近いが、後ろ足はそれほど引いていない。

「ぬ?!」

 ベリタスから見るとかなり的が小さくなった印象である。

(ふん。多少は頭を使うか。だが矢じゃあるまいし、身を屈めた程度でどうにかなるとでも思っているのか)

 伊織にそれ以上の動きがないのを見てベリタスが動く。

 大柄な体躯に甲冑という鈍重になりそうに思える身体にもかかわらず、一瞬で間合いを詰めて長剣を左から右へ横薙ぎに振るう。

 伊織はそれを受け止めようと小剣を立てる。

「甘いわ!」

 長剣が小剣に当たる瞬間、ベリタスは軌道を変えて伊織の持つ小剣の鍔近くを打ち、上に跳ね上げる。

 キィン!

 

 速度と重さを兼ね備えた一撃は、伊織の手から小剣を弾き飛ばす。

 ベリタスがその勢いのまま長剣を振り上げ、打ち下ろそうとした瞬間、伊織の姿が消えていた。

「な?! ど、どこに」

 慌てて視線を巡らすも、いない。

 ガッ。

「よいっしょぉ!」

 緊張感の感じられないかけ声と同時に、混乱するベリタスの背後から胴体に腕が回されたかと思うと、反応する間も与えずに引っこ抜くかのように持ち上げられ、そのまま後ろ側に投げられる。

 ズガンッ!

「ぐぁ!」

 兜の後部が固い地面にめり込むほどの勢いで叩き付けられ、ベリタスは一瞬の呻き声を上げた後はヘンテコな土下座のような姿勢でぐったりと伸びてしまった。時折ピクピクと動くので死んではいないらしい。

 そして、投げた張本人である伊織は美しいブリッジ姿である。

 

 ジャーマンスープレックスホールド。

 プロレスの神様と呼ばれた、故カール・ゴッチのフィニッシュホールドである。

 元がレスリングの実戦的な投げ技とはいえ、剣を持った騎士を相手にプロレス技。舐めているとしか思えない所行だが、この場所は木板とウレタンで作られたリングではなく、踏み固められた土の地面である。受けるダメージはシャレにならないだろう。というか、普通は死ぬ。

 幸い、甲冑の兜と鍛えられた肉体、魔力による強化がされていることによって何とか助かったといえる。伸びてるけど。

 

 静まりかえった練兵場。

 伊織がベリタスから手を放し、立ち上がっても異様なほどの沈黙が辺りを包んでいる。

 立ち会いを見ていた騎士達のほとんどがあんぐりと口を開けて呆然としている。

 色んな意味で予想外過ぎる展開に脳が拒否反応を起こしているらしい。

 ベリタスは騎士団の中でも指折りの実力者だ。所詮素人の異世界人と甘く見ていたのは確かだし、場合によってはそれなりの勝負になるのかもしれないとは思っていても、ろくに剣を打ち合わせる事すらなく倒されるとは思ってもみなかった。まして武器を失ってからの素手の投げ技である。

 地球の古代から近世までのヨーロッパを見ても、素手による格闘術は存在している。しかし戦いに武器の使用が前提となっているためにそれほど発達しているとは言えないし、武器を取る時間を稼ぐための崩し技や打撃技が中心である。庶民の武器の所持が許されなかった中国などの一部アジア地域では素手の格闘術が発達したがそれでも打撃系が中心なのだ。

 それは戦う場所が堅く不安定な地面であり、戦闘となれば多対多が当たり前の環境のため投げ技や組技を使う余地がほとんどないためだ。迂闊に使えば無防備になった瞬間に他から攻撃を受ける。

 

「っと、KOって事で良いよな? んじゃ今日はこれで」

 皆が呆然としているうちにスチャっと片手をあげて退散しようとする伊織。

「っ! 待て! まだだ! サムソン!」

 プッツン団長が我に返る。

 そしてその指名を受けた騎士も慌てて前に出る。

 ベリタスよりは小柄だがそれでも十分な威圧感を持つ騎士だ。

「うっわ、汚ぇ! そのデカブツ戦闘不能にしたら終わりで良いって言ったじゃん」

「だ、黙れ! 油断した騎士を1人倒しただけでいい気になるな!」

 ツッコむ伊織に顔を真っ赤にした団長が怒鳴る。

 まぁ、誰がどう考えてもアレで終わりになるわけがない。能力も使いこなせないはずの異世界人に、それも能力とは無関係な形で騎士団が倒されたとなれば面目は丸つぶれである。

 

「フン! 俺はベリタス殿とは違い油断などしない。なるほど異世界人にしてはなかなかやるようだが、今度こそ実戦というものを教えてやる」

「お~! 典型的な負けフラグ。って、狙ってるのか?」

「何を言っているのか分からんが、どちらにせよ無事に終われると思うな!」

 フラグとか、言っている内容そのものは理解できなくても、煽ってるのだけは分かるらしい。

 サムソンは険しい顔で連を見据える。

 伊織はというとヤレヤレと肩をすくめながら面倒そうにゆっくりと歩いて、弾き飛ばされた小剣を拾いに行く。

 拾ってからももの凄い時間を掛けて戻ってくる。

 ……牛歩戦術か?

 

 それでも流石にベリタスの醜態を見ていただけに内心はともかく見た感じ変化はない。注意深く伊織の挙動を見ている。

 伊織のあからさまな時間稼ぎに文句を言うこともなく、しかも視界が狭まるのを嫌ってか兜まで脱ぎ捨てている。

 ベリタスのように油断している様子は欠片も見られなかった。

 その様子を見て諦めたのか、のっそりのっそりと歩いていた伊織も無駄なことは止めて途中から普通の歩きに改めていた。効果がないのなら引き延ばすだけ時間の無駄だからだろう。

 サムソンから5メートルほど離れた位置に立つと、伊織が先程と同じく半身で身体を低く屈めた構えを取る。

 

 どうやらサムソンは伊織の出方を見るようだ。

 やや大きめの丸盾を低めに突き出し、長剣はやや上側に構え、すぐには動こうとしない。

 双方が構えてから十数秒はどちらも動かず、後に伊織が牽制するように小剣を上下に動かしつつゆっくりと近寄ったり離れたりを繰り返す。

 時折、サムソンが動くと見せかけたり、伊織が突っ込む仕草を見せたりするがどちらも大きな動きはなかった。

「何をしている! さっさと片付けんか!!」

 いいかげん焦れたプッツン団長の怒声が響く。が、サムソンは動かない。というか、内心で大いに戸惑っていた。

 

(なんだ? 隙だらけに見える。いや、そうとしか見えない。だが、ベリタスがあれほどあっさりと倒されたのだ。何かある、はずだ)

 サムソンとて騎士としては上位の実力者だ。相手の力量を読むことがある程度はできる。だが、その目から見ても伊織がそれほどの力量を持っているとは思えなかった。

 構えも中途半端だし動きも足捌きも素人にしか見えない。これで本当は実力者だというのなら相当な技量を隠しているとしか考えられないが、聞くところによると異世界人は戦いとは無縁の国から来たという。そんな人間がそれほどの技量を磨くことなどできるはずがない。

 しかし一方で、自分達の見ている前で実力者揃いの騎士団において中級指揮官の地位にあるベリタスを秒殺している。

 受ける印象があまりにちぐはぐで伊織をどう評価すべきか決めかねていた。

 故にどのような攻撃をしてきても対処できるように距離を取って慎重な動きになってしまっていたのだ。

 が、そろそろ仕掛けなければ後で叱責される。

 

(団長殿が短気を起こす前に、様子を見つつ仕掛けるか)

 サムソンがそう考えて一歩前に踏み出した瞬間、伊織が右手に持った小剣を左下に構えて突っ込んできた。

 直後、まだ剣が届く間合いではないのに伊織が小剣を逆袈裟に振り上げ、そして、投げた。

(ぬ?!)

 一瞬虚を突かれたもののすぐに応戦の体勢を整えていたサムソンが丸盾で顔面目掛けて投擲された小剣を弾く。と同時に牽制のために長剣を大きく横に薙ぐ。

 が、それは伊織を遠ざける効果はなく、伊織は突っ込んだ勢いのままスライディングでサムソンのすぐ脇を滑り抜け、すれ違い様に足を抱える。同時にもう一方の足に自分の足を絡ませて引き倒した。


「ぐ! この!」

 さすがに無様に転ぶのではなく受け身を取ったような姿勢で横に倒れたサムソンが起き上がろうとするが、伊織は素早くサムソンの両足をクロスさせてから腕を絡ませ、巧みな体重移動でサムソンを俯せにさせると逆側に反らせる。

 長州力が得意としていたスコーピオンデスロック、別名サソリ固めである。

 サムソンが苦痛に呻く。

 足首、膝、腰を隈無く極める関節技である。そりゃ痛い。

 プロレス技は見せかけだけのものも多いが中には本当に効くものもそれなりにあるのだ。現にこの技を遊びでやって相手を死亡させたなんて事故まである。

「ぐわぁ! く、この!」

 とはいえ、実戦経験のある鍛錬した騎士。苦痛をものともせず長剣を腰に乗っている伊織に向けて振るう。

 

「うぉっとぉ!」

 伊織はわざとらしく驚いたような声を上げながら瞬時に極めていた足を放し、振られた剣を躱すと今度はその手を掴んで後ろ手に捻り上げてロックし、空いている腕をサムソンの首に回すと両手をクラッチする。

 今やお笑い芸人と思われてしまっている髙田 延彦たかだ のぶひこが現役プロレスラーだった頃に得意としていたチキンウィングフェイスロック。

 この男はとことんまで真面目に戦うつもりはないらしい。確かにプロレス技といえど極まれば相応のダメージを与えることができる。しかし基本的にプロレス技というのは相手と協力して”技を魅せる”事が主眼となっている。だから実戦では試みることすらできない技が大半を占める。

 それを実際に騎士相手に極めるのだからその技量は半端なものではないのは確かだが、逆に言えば、それくらいならば普通にやっても充分戦えるはずなのである。

 

「な、何をやっているサムソン! さっさと立たんか!」

「ぐっ! くぉぉぉ!!………………」

 首が絞まらないように喉に当たっている腕を引きはがそうとサムソンは指を差し入れ力を込める。だが、完全に極まった技からはそう簡単に抜けることはできない。ましてやサソリ固めもチキンウィングフェイスロックもこの世界の騎士達が見たことのない技だ。逃れる方法など知るはずがない。

 サムソンが藻掻くことわずか数秒、抵抗はぱったりと止み全身が弛緩したことでようやく伊織は技を解いた。

 と、数秒遅れて周囲に微妙な臭いが。

 見るとサムソンの腰を覆っている甲冑の隙間から見えているズボンが変色し、周囲の地面までそれが広がっている。

 頸動脈を圧迫されて失神すると、前述したように全身が弛緩する。すると当然下半身も弛緩するわけで、絞め技で”落ちる”と高い確率で失禁してしまうのである。

 なので柔道の選手は試合前は水分の摂取を控えて必ず直前にトイレに行く。それでも時折そういった”事故”は起こるらしいが。

 

 

 ザワザワザワ……。

「あ~あ、やっちゃったよ」

「やっちゃった、じゃないわよ。なんで騎士相手にあんな事できるわけ? それに、別にそれほどスピードが速いわけじゃないのに」

 ざわつく騎士達の後ろの方で英太と香澄が小声で話す。

「うん。速さは確かに普通の人レベルでしかないね。けど、千人長もサムソンも完全に動きが見切られてた。その上で最小の動きで最短距離を移動した。無駄な動きが一切ないから2人ともろくに反応することもできなかったみたいだ」

 解説の佐々木さ~ん、というわけでもないだろうに解説を始める英太。

 とはいえ、香澄は戦闘力という部分においては精々実力上位の騎士と同等レベルといったところだ。得意としているのは魔法による支援と元々備わっている知識を活用した戦術面でのサポートである。

 対して英太は知識面では普通の高校生といったところだが、こちらの世界に来てから香澄を守ろうと死にものぐるいで戦闘的な実力を身に着けた。召喚に伴って得られた並外れた魔力の扱い方も習熟し、今では戦闘力だけでいえば国内でトップクラスだ。

 なので、香澄や他の騎士達が理解出来ない先程の伊織の動きもしっかり”見えて”いた。

 

「あの人、伊織さんは相当な実力者だよ。それに多分、かなりの戦闘経験もある。わざと素人っぽい挙動で油断させて詰め将棋みたいに完全に相手の動きを掴んでた。っていうより、誘導してた、かな?」

「本当に何者なの? あの人」

 伊織が英太達と同じ日本から召喚された人間であることは、まず間違いない。しかし、だとしたらどうやってそれだけの格闘技術を身につけることができたのか。

「実力は確かだけど、でも」

「ええ、このままじゃ済まないわね」

 その通りである。

 

 英太も香澄も召喚された当初はともかく、今では相当な実力を持っている。だが、たとえ羈束きそくの首輪がなかったとしてもこの国を叩き潰す事ができると思うほどおめでたい思考はしていない。

 どれほど戦闘力があろうが個人が国家を相手に戦うなど無謀も良いところだ。千でも万でも人を投じることのできる国家という怪物を敵に回せば、どれほど周到に準備をしていようが逃げることくらいしかできないだろう。普通はそれすらも難しい。

 最初に会った日に渡された無線機で毎日やり取りをしているが、どうも伊織には何か考えがあるらしくアレコレと動き回っているらしい。しかし、それが何かは教えてもらっていない。

 頼りになりそうな予感がする反面、騎士達の前でこれだけの事をやらかせば当然警戒もされるし押さえ込もうと圧力も強くなるだろう。それが2人には不安に思える。

 何よりもまず、この場をどう切り抜けるつもりなのか。

 

 

 

 シュッ、ボッ!

 伊織はサムソンから数メートル、おそらくばっちくて臭いものから逃げるために離れ、懐からタバコを取り出し、マッチで火を着ける。

「ふぅ~~~~!」

 めいっぱい吸い込んだ紫煙を吐き出す。

 日本では喫煙者の肩身が狭すぎて家でも職場でも隅っこに小さくなって吸っているというのに、実に美味そうに煙草をくゆらす。

 仕草も手慣れたものだし、今時マッチを使ってタバコに火を付ける人はかなり珍しい。このこだわり様から見て、おそらくこの男は10代の頃から吸っているに違いない。

 

「…………」

 プッツン団長は口をあんぐりと開けたまま再び呆然としていた。

 油断のあったベリタスはともかく、サムソンまであっさりと失神させられたのが信じられないのだろう。それも実質的に素手で、である。

 今回の訓練は単純に伊織を鍛えるためのものなどではない。

 召喚で得られた魔力を使いこなすことができないうちに徹底的に痛めつけ、異世界人の心に「国に逆らうことは許されない」と思い知らせることが第一の目的である。

 だからこそ実力者に相手をさせて一対一で完膚無きまでに叩きのめす必要がある。そうでなければ実際に実力が付いたときに騎士を侮らせることになりかねないのだ。

 当然、心配する必要すらなくあっさりとその目的を達成できる、はずであった。

 ところが、蓋を開けてみれば騎士団でも上位の実力者が立て続けに敗れ、異世界人は掠り傷一つ負っていない。あまりに予想外の展開に理解が追いつかなかった。

 

 家柄が高いから今の地位にあるものの実力はからっきしである団長だけでなく、周囲の騎士達も目の前で起こった出来事が信じられないのは同じである。

 中途半端に実力がある分、余計に伊織の動きが、技が、理解出来ない。

 動きは見えている。いや、騎士達と比較しても決して早いわけではない。であるのに、まったく読めないのだ。異世界の、知らない技であることを考慮しても、である。

「ゼ、ゼビウス様」

 プッツン団長に掛けられた声で我に返る。

「っ! こ、こうなったら、総員、奴を捕らえろ! このままでは騎士団の面目は丸つぶれだぞ!!」

 結局考えの足りないプッツン団長の頭では力押ししか思いつかなかったらしい。

 一対一で勝てないからと20名近い騎士でリンチするなど、その時点で面目も何もないのだがそれは考えられないようだ。

 

「やっべ!」

 プッツンされた伊織はといえば、その言葉を聞いて動き出した騎士達を見るなり脱兎の如く走り出した。その口に煙草を咥えたまま。

「に、逃がすな! 追え!!」

 団長の命令に騎士達も伊織を追って走り出す。

 追われる伊織はいきなり方向転換して騎士に向かったかと思えば衝突寸前に身を翻して翻弄したり、騎士の横をすり抜け様に火が着いたままの煙草を顔面にとばしたりしながら逃げ回る。

 片や人数が多いとはいえ重い甲冑を身につけたままの騎士達。片やたった1人とはいえ身軽な服だけを身につけた男。

 傍から見てる分には相当に滑稽な追いかけっこは、伊織を捕まえきれずに英太と香澄を除いた騎士達が全員精根尽き果てて倒れ込むまで小一時間続き、その光景を見たプッツン団長があまりの結果に意識を飛ばしたことで終了した。

 

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