第7話バハルス帝国 ①

 帝国屈指の高級宿屋で1階のフロアは丸々全て酒場となっている。とはいえ瀟洒な大人の酒場というよりは、ガヤガヤとしたビアホールという風情がある。


 ビアホールには、高名なワーカーから大商人・豪農、歴戦の騎士、他国の旅人まで多くが集まっており、老若男女全ての人々は壇上に立つ1人の目付きが悪い少女に釘付けとなっていた。


「--この中には、戦争を経験した方も多くいるでしょう。小競り合いの戦争だったはずが、突発的な理由で、多くの犠牲が出た。そんな経験もあるはずです。我が母国、ローブル聖王国にもヤルダバオトという超弩級の厄災の火種が降り注ぎました。現実とは突然に無慈悲となるものです。」


 聴衆たちは神妙な顔で頷き、ざわざわと声を挙げる。最初の諭すような演説は佳境に入り、声に熱が篭もっていく。同時に聴衆の心も大きく振り動かされた。


「平和とは!自然に天から降り注ぐものではありません。平和とは、幾多の犠牲を支払った、幾多の択一の果てに……命の選定という、人の身を超えた業たる所業のもと得られる、血で塗り固められた安寧なのです!それでも一心に!国や家族、大切な人を思う!それを繰り返してきたはずです!その気持ちに城壁や国境なんてありません。わたしは、誰しもが命に値するほど大切なものを持っていると確信しております。皆様が、それを護る為努力してきたことも!国防を担ってきた帝国騎士たるあなた!あなたもそのように思い、そして力になれた事を誇りに感じた事はありませんか?」


 名指しをされた騎士は一同の注目を浴び、タジタジと小声で「そのとおりだ……。」と言った。


「では、こう思ったことはありませんか?自分に絶対の力があれば、自分の大切な存在を護る者が居てくれたら。そうすれば命の選定などせずに、平和を享受出来るのではないかと!」


 小声ながら「そうだ。」といった声や、亡くなった者の名を呟く声が響き始める。


「しかし、自分・そして自分の大切な存在に、一番高い価値を付けられるのは自分だけ……、あなた達だけなのです!あなたの大切な人に、一番の値打ちを付けられるのは、あなただけなのです!今、こうして皆様はビアホールでお酒に興じられている。帝国も平和な状態にある。しかし!それはアインズ様……魔導王陛下のお力があってこそなのです!偉大な国家の恩恵に預かる身でありながら、その恩義を返す努力を誰がされましたか!?」


 聴衆は皆、恥じ入るように静まりかえる。


「こんな他国の小娘が……。とお思いでしょう。しかし言わせて下さい。そして意見を下さい!与えられた平和を貪るだけの所業は、国のために戦った皆様のご先祖様・ご家族様への背信ではありませんか!」


 壇上に立つネイアは、最初向けられていた怪訝さや敵意の目が薄れたと感じ取り、一気に声を張り上げる。


「我々は、偉大なる魔導王陛下のため、強くならねばならないのです!力なき正義とは無力であり、正義無き力は暴力となります!アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、力を正しい方向に使う事が出来る方。それは、今ここで皆様が仕事終わりにお酒を楽しめていることが証明しているでしょう。しかし!それだけでは、いけないのです!」


「わたしたちも、強くならなければいけないのです!強さとは武力だけではありません。知識も情報も力となります。その恩義をアインズ様、魔導王陛下へ献上し、アインズ様……魔導王陛下の繁栄の一助たることが我々の役目ではありませんか!?魔導王陛下は慈悲深く、お優しく、そしてお強い方です。しかし甘んじてはいけないのです!魔導王陛下という正義に報いるため、我々も強くならねばならないのです!!魔導王陛下という絶対の正義が万年続く為に!慈悲深き魔導王陛下の正義のために!」


 ネイアが天を指すように人差し指を上げた拳を振り上げると、ビアホールは熱狂に包まれ、「魔導王陛下万歳!!」という止まない合唱が繰り広げられた。


 その姿を歯を軋ませ見つめるのは、帝国四騎士の1人であり、ネイアの護衛を任された<雷光>バジウッド・ペシュメル。


「こりゃ陛下に報告できねぇな。いや、しないと不味いか?しっかし、また陛下がポーション漬けになるぜ……。」


 バジウッドは壇上のネイアに無表情で拍手を送る美少女……メイド悪魔シズを見て、あの墳墓で見た、人の身で敵わない強者の気配を感じ取り、動くに動けなかった。


 最初はビアホールでの小さな諍いだった。ワーカーの1人が愚かにも魔導王陛下は死のアンデッドだという内容のつまらない冗談を飛ばし、それに帝国の……魔導国の客人であるネイアが聞き捨てならないと論争になり……。そして静かな諭すような論争が小さな火種となり、大火へ化け、やがてビアホール全体を包み込む焔となった。


「〝凶眼の伝道師〟か……。名前は伊達じゃねぇってやつだな。」


 仄かに自分の心にも響くものを感じ取り、バジウッドに改めて悪寒が走る。ネイアは万雷の拍手を受けながら、壇上から降り、シズの座る卓へ戻ってきた。ビアホールは未だ熱狂に包まれており、自分たちの存在意義・有用性、魔導王陛下の素晴らしさを語り合っている。


「あの……。シズ先輩、やりすぎましたかね?」


「…………そんなことはない。誰しもがアインズ様のために忠義を尽くすべき。何も間違ったことは言っていない。」


「良かったです。えっと、そんな訳で……、すみません。予想以上に盛り上がってしまいました。」


 ネイアがバジウッドへ、申し訳なさげに謝罪するのは、客人であり他国の人間如きが出過ぎた真似をしたという自省からだろう。先程壇上で見た獅子の咆吼を思わせる姿から小動物へ豹変したかのようだ。しかしその目には、自分は一切間違った行動はしていないという確固たる自信が充ち満ちていた。


「いえ、自分もその……魔導王陛下の恩恵に預かる身として、勉強になる話でした。」


「それは良かったです!では帝国のお話、もう少し聞かせて下さい!」


 ネイアの鋭い目がバジウッドを射貫き、身震いさせる。属国となる前の帝国、属国となってから平和となった帝国の話、少しずつアンデッドに慣れてきているが未だ忌避感は抜けない今後の課題など、バジウッドは日付が変わるまで話に付き合わされた。



 ●



 高級宿屋の特別室。1つで3人は寝られそうな柔らかいベッドが2つ並んでおり、深夜でも軽食やドリンクを頼めるそうだ。夕刻頃にシズとネイアは<転移門ゲート>を潜り、そこにはバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが直々に出迎えてくれており、入国を歓迎された上、頭まで下げられた。


 ……帝国の皇帝に頭を下げられるなど、少し前のネイアには考えられないことだ。不敬かもしれないが、カルカ聖王女ですら叶ったか解らない。夕方という時刻でもあり、本日は宿屋で休みをとり、明日以降、本格的に帝都の観光をさせてくれるとのことだった。


 しかしネイアの想像する属国とは全く異なり、女性も子ども達も笑顔であるし、商人の影は多く交易も盛ん、駆け出しの芸術家が絵はがきを売る屋台まであった。他の属国というものをネイアは知らない。ヤルダバオトの収容所は別だとしても、これほど慈悲に溢れた統治があるだろうか。


「やっぱりアインズ様は偉大な御方なんだ。」


 これだけ偉大な御方の恩恵を授かりながらその自覚がない人間とトラブルを起こしてしまったが、最終的に向こうが納得してくれたので問題はないだろう。


「…………そう、アインズ様は偉大な御方。ネイア。やはり味がある。顔以外にも。」


「いや普通に傷つくんですが、シズ先輩。」


「…………わたしはアインズ様を貶されて、何も出来なかった。倒したり、殺すことなら簡単だけれど、ネイアのようには出来なかった。」


 シズの無表情にはネイアだけが感じられる悔しさが見て取れた。


「大丈夫です。わたしにも出来たのですから、シズ先輩にも出来ますよ。」


 嘘偽り無い尊敬の言葉だが、シズは「むっ」としたようだ。相変わらず可愛らしさが先に出る。そしてシズは聖王国で初めて心を交わした時のように、何処からか飲み物を取り出した。以前は茶色の液体だったが、今度は派手なピンク色をしている。


「…………先輩からの奢り。」


 シズは蓋を外しストローを差したモノをネイアに渡す。そして自分にも同じモノをとりだした。最早ネイアに以前のような不安は無い。むしろどんな美味だろうかと期待が募る。


「甘い!果物の味?ちょっと違うけれど。」


「…………ストロベリー味。」


 それは以前飲んだ甘くほろ苦い不思議な甘さではなく、鮮明で思わず一気に飲み干したくなる甘さだ。演説で火照った身体と乾いた喉に染みこむ甘さに、ネイアは満足感から眠気を覚える。ストローを咥えるシズがネイアの横に座り「…………よしよし。」と言いながら背中をさすってきた。


 ネイアは自分よりも小さな身体のシズにもたれ掛かり、そのまま船を漕ぐ。そうして2人の帝国での1日目は終わるのだった。

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