偽りの太陽は家を飛び出す

「付き合うって? なにしたらいいの」


 モルと名乗る彼女の面倒くさそうな返答に、システィーナは目を瞬かせた。


「あら、意外に素直ね」

「あんたみたいに厄介な相手、りあわずに金くれるってんじゃ、大人しく従ってたほうが楽だからな」

「本当に素直。くれるって信じてくれるのね」


 システィーナは巾着の中をまさぐると、金貨を三枚指で弾き飛ばした。薄暗闇に金色が三つ踊る。モルは危うくも空中で金貨を捕まえて見せた。


「前金よ。貴女の信用に免じて」


 そう言って、残りの額は懐にしまう。

 金貨をそそくさとぼろ服の無事なポケットにしまったモルは、少し不貞腐れた表情をしながら、こちらを窺った。


「それで?」

「そうねぇ……」


 口元に指を当て、考え込む――仕種をする。実は、彼女に交渉したときから、答えはすでに決まっていたのだ。


「貴女の住んでいるところを見せて」


 モルは目を丸くしつつ、眉を顰めた。


「はあ? スラムのど真ん中だけど」

「それでいいのよ」


 あっけらかんと答えると、たちまち少女は気色ばむ。


「良くねぇよ! この国のたった一人の王女様をそんなところに連れ込んだとあっちゃあ、俺がお役人に殺されるだろ!」


 周囲を慮った大きさの怒鳴り声に、またしてもシスティーナは蒼い目をぱちくりとさせた。


「あら、私のことを知っているのね」


 相手はシスティーナをただの貴族の娘と思っていることだろう、と推測していたので、正体を見破られていたことには驚きだ。

 浮浪者の少女はむすっとした表情で頷いた。

 

「……祭んときに顔を見た。国の行事に広場に行くと、おこぼれが貰えるからな」


 この国の唯一の王女、そして次代の後継者。それがシスティーナの身分。例えば建国祭のとき、新年の祝いのとき、王族は城前の広場に顔を見せる機会があるため、そのときのことを言っているのだろう。確かお披露目の場の近くで出店があって、食べ物を配っているなんて話をシスティーナも聴いたことがある。

 なるほど、と頷いたシスティーナに、モルは胡乱げな碧い眼差しを向けてみせた。


「なんで王女様がこんな時間にこんなところに居るんだよ」

「家出よ」

「家出!?」


 金も飯もあるのに贅沢な、と呆然としたモルの口が動く。


「そうね。確かに贅沢かも。でもね、あそこに居ても息が詰まるのよ。真綿で首を絞められるというか」


 飢えたことはない。着るものに困ったこともない。周囲は衛生的で、至れり尽くせり。衣食住に不満を思ったことなど一度もなかった。贅沢させてもらっているとも思う。

 だけど。


 くるり、と踵を返したシスティーナは、気の向くまま街灯が連なる道の先を歩いていく。浮浪者の少女は大人しくその後を付いてきた。

 この辺りは商店が並ぶ一角であるらしく、暗がりの中に色とりどりの看板や灯りが落とされたショウウィンドウがうっすらと見えた。日中はさぞかし賑やかなことだろう。だが、今はシスティーナたち以外に誰もいない。それを堪能できないのが残念なようでもあり、逆に探検じみていて楽しくもある。


 一つ一つ、看板やショウウィンドウを眺めやって石畳の道を歩いていると、ふんわりしたレモン色のワンピースを着たマネキンが立っているのが目に入った。その淡く明るい趣味でない色に、システィーナは思わず足を止める。


「陛下とね、妃殿下が口うるさいのよ。ドレスの色が好みでないと言えば、『私のシスティーナはそんなことは言わないでしょう?』。剣の訓練がしたいと言えば、『私のシスティーナはそんな野蛮なことはしないはず』。馬鹿馬鹿しい政策に反対してみたら、『私の娘なら余計な口出しをしないはずだ』」


〝私の娘〟。〝私のシスティーナ〟。何かにつけてそう言うのだ、と忌々しそうに溢す。


「……馬鹿みたい。赤ん坊のときしか知らないくせに、どうしてあなたたちの娘のことが解るのかしら」


 システィーナはショウウィンドウから視線を逸らすと、意味が分からない、と呆れる同じ金髪に青い眼の少女の前で嗤ってみせた。


「私は本物のシスティーナ王女じゃないのよ。本当はとある貴族の娘。赤ん坊の頃に行方知れずになった本物の身代わりとして王に捧げられたの」


 は、と表情を固まらせるモル。そんな彼女を知ってか知らずか、システィーナは皮肉げな表情のままさらに続けた。


「噂くらい知ってるはずよ。城にいる王女が偽物だって」

「そりゃ、知っているけど……」


 それは、十六年前のこと。

 産まれたばかりの赤ん坊である王女が、城内から誘拐されるという事件が起きた。城は国中に御触れを出して捜索に当たったのだという。

 しかし、後にそれは、王妹の娘の誤報であったと民衆に報告がされ、同時に子の死亡が発表された。王女の無事に安堵し、被害にあった子を悼む一方、この一連の出来事は国民にある邪推をさせた。


 それが、現王女システィーナは本物の王女ではない、という噂。

 十六年経った今でも、ひそかに囁き続けられるほど、信憑性のある噂として市井に広まっている。


 実のところ、これは真である。誘拐された王女は、結局王と王妃のもとに帰ってこなかった。そしてなお悪いことに、王妃は王女を産んだ後、子供の産めない身体になってしまった。

 よって、身代わりという方法を取ることに至ったわけだ。

 本来なら妾腹に頼るところであろうが、王妃が大国の姫君であったこと、政治中枢の権力争いが激化していたこと、城内に容易く誘拐犯を招き入れた醜聞等々が考慮され、王女の誘拐はなかったことにしようという結論がなされた。そして、同時期に子を為した王妹の娘を引き取り、王女として据えた。

 それがシスティーナだ。


 その事実は、システィーナ本人にも隠されていた訳だけれど。

 小さな頃から噂を耳にしていれば真偽は気になるし、調べもする。

 そして調べれば、案外容易に事ははっきりとする。


「いいのかよ。そんなこと、俺に言って」


 この国の根底を揺るがしかねない発言に、国など関係ないと思っていた浮浪者の少女もさすがに眉を顰めずにはいられなかった。余計なことを知って面倒ごとに関わりたくないというのもある。


「貴女だから言ったのよ」


 だが、とうのお姫様はそんなことは知ったことではないとばかりに笑う。モルの迷惑は全く省みられない。

 そしてまた、楽しそうに自分勝手な要望を言うのだ。


「スラムは駄目。それじゃあ仕方ないわね。貴女が役人に捕まるのはよろしくないし。じゃあ、何処か見晴らしの良いところに連れていってもらいましょうか。日が昇るのをみたいわ」

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