さだめの舞

岩清水

舞を辞めた私


 薄暗く、蝋燭の炎が怪しく部屋を照らす。その中で当時十八歳の私は、複数の和服を着た人達といた。

 神様の前で正座をし、頭を下げている。

 扇子は目前に横で置いている。


「顔を上げよ。」


 神様の隣にいる女性が頭を下げた私に声を掛ける。

 言われた通りに顔を上げると、彼と目が合う。彼は微笑みながら頬杖をついて、口を開く。


「お前の舞、今年も楽しみにしているぞ。」


 他の女性が見れば、その佇まいも微笑みも雰囲気も高貴で惚れ惚れとするものだろう。だが、私にとっては只の気持ちの悪いモノでしかなかった。

 気色が悪い、悪寒しかない。

 初めて舞を奉納した時には起こる筈がないと、高を括っていた。


「はい。」


 馬鹿め。これが最後の舞だ。

 他にも舞を奉納する処女で未成人の女の子はいっぱいいるでしょ。私なんて、そのいっぱいいる未成年の処女の内の一人だ。

 そして、お役目を放棄する気満々の人間だ。

 彼に対する嫌悪を顔に出さない様に、能面の顔をすぐに狐の面で隠す。

 頭の後ろで紐を結び、目の前に置いた扇子を手に持つ。

 さあ、ご覧あれ! これが私めの最後の舞。

 愚かにも神の言葉に夢心地になり、本質を見れていなかった愚かな愚かな私の舞を。

 息を深く吐き、お囃子と詩に合わせ、私は扇子を開く。


――――――


――三年後。


 最後と決めた舞を踊り、辞めてから三年が経った。

 私は成人し、二十一歳となった。だが、処女だ。=年齢で彼氏がいない。今も、これからも彼氏を作りたいとも思わず、出来る気配もない。


紫季シキ!」


 大学で出来た友人に呼ばれ、私は振り向く。

 あの時と全然、私の姿は変わっていない。たった五年だ。それだけで大人の顔つきになる事も無いし、少しの化粧しかしていない。

 大学進学を機に閉鎖的なあの村から上京した。と言っても、東京ではなく、その県の都市部で一人暮らしをしている。


「今日はサークルあるの?」

「日本芸能サークル?」

「そう! もし、今日お休みなら――、」

「紫季。」

「あ、望月君!」


 同じ学科の友人と教室に向っていれば、彼女が口にしたサークルの同期が話し掛けてくる。

 面倒見がよく、何かと私を気に掛けてくる。いつの間にか、下の名前で呼ばれるまでに親交はあった。

 彼は手を振りながら、私達に近づいてくる。


「どうしたの、八瀬ヤセ。」

「先輩が、今日サークルやるって。」

「え、あるの? ないと思ってた……って言うか、その位の連絡、line にでも入れれば良いのに。」

「たまたま僕が先輩とさっき会っただけで、後で紫季とも会うから良いかなって。多分、サークルのline に連絡入れてくれると思うよ。」

「そうなんだ。ありがとう。」


 八瀬は優しげな笑顔で「いいえ!」と言って、彼の友人の元へと駆けて行ってしまった。

 夢で最後に踊った舞の事を見てしまったのか、どうしてもサークルへ行く気分はブルーだった。気分が乗らない。アイツの前で舞うのではないにしても、舞う事が嫌になる。


「望月君って、紫季に良く話し掛けるよね……気が有るのかな?」

「ブフッ!! 何言ってるの!?」

「いや、何かしらの紫季に対しての用事がある時って、些細な……line で済む様な事でも面と向かって話せるのなら話に来るじゃん!」


 でしょ? 自信ありげに言われる事にしばし考えて、思い出すが……確かに、と納得するしかない状況しかなかった。

 今回の様なサークルについての情報や、テストの結果が出ているとか、友人がいない時のお昼を一緒に食べたりとか。兎に角、思い出せば出す程、私について八瀬は構いに来る。

 鬱陶しい事もあるが、彼が気にしてくれる理由は心当たりがある。


「八瀬が私に気にしいなの、私が世間知らずだからだよ。」


 八瀬は何故か私の出身地である村の事を知っていた。

 村の名前は言いたくないから言わないが、兎に角、閉鎖的で来るもの拒まず、去る者は許さん的な村だ。文化的なものは多分、百年以上、二百年も三百年も、千年前からも変わっていないのかもしれない。

 ”神様”となる人間がいる。その人間が絶対的な存在であり、その人間が起こす事全てが有難いものとして拝んでいる。人殺しでも、強姦でも、盗みでも何でも。

 私がそれを可笑しいと気付いたのはいつからだったのだろうか。彼を嫌悪としての存在になった時からだと思う。

 村の外の事など一切分からない事も、そこで気が付いてしまった。あれ程恐怖な事は無い。

 普通に生きていて、ある程度のお金がある家庭にいれば知っている事を知らない。ファミレスやハンバーガー屋での買い方とか、注文の仕方。ゲームセンターとか流行の漫画、バスの乗り方やタクシーの使い方、電車の使い方とか、色々。

 何の為に生きているのか……心細く、ゾッとする事も無かっただろう。

 只、”神様”なる人間の贄として、目を楽しませる為の娯楽として産まれて育ってたのか。それに気付いた時、村の外に出たくなった。故郷を捨てたいと思った。


「ああ、電車の乗り方とか知らなかったよね~。後は、ファミレスとか。」

「君にも話した事あったでしょ? 私の故郷の話。……知りたくなくて知らなかった訳じゃないの!」


 あれ以上に恥ずかしい事は無い。

 知らなかった。それだけで周りは大笑いしていた。「何時代の子?」とか、「え、大金持ちの子?」とか、怒りと羞恥を滅茶苦茶感じた。笑っている奴、皆殺しにしてやろうか……って殺意も沸いた。

 そんな中で笑いもせずに、親切丁寧に様々な事を教えてくれたのが八瀬だった。

 八瀬は村から出た以降で一番の恩人で、信頼できる人だと思った。


「あの時は悪かったって思ってるよ!」

「大丈夫、今も殺意があるからいつでも君を殺しに行けるよ。」

「え、いや、本当に!! ごめんなさい!!! お昼、奢るから~。」


 そういう事じゃないって。突っ込みたい言葉を押し殺し、友人を置いて私は教室の扉を開けた。


――――――


 自前の扇子を手にして、踊り慣れた舞を踊る。

 練習着のジャージを着ているが、白拍子の衣を着ている風を装い、袖と扇子を気にしながら舞う。

 お囃子と詩が録音がされたCDの再生が終わるのと同時に、私の舞は終わった。

 練習としての舞が終わると、サークルに参加したメンバーが拍手を贈ってくる。


「本当に九条さんの舞って、日本舞踊とかそういうのじゃないのに綺麗で凄いよね……。」

「ねえ……本当に由緒あるお嬢様だからなのかな?」

「ああ! 小さな頃から習っていたとか。」


 そうそう! 外野は盛り上がる。が、私はサークルの塊から抜け、疲れて借りた部屋の端に腰を下ろした。

 本当は飲み会だけのサークルだったのが、私が来てから本格的な活動となった。

 まあ、参加したくない人は出て来ないし、辞めたりしてる。大体いるのは、日本芸能が好きな人やその経験者とかだった。

 私がこのサークルに入ったのは、舞う習慣が抜けなかったからだった。踊らない事が落ち着かない。踊らない日常を知らないから。物心ついた時から舞う事を強制されていたから。

 決して故郷の村を懐かしく思ったからじゃない。寧ろ、あんな村は放火して燃やしてやりたい気持ちしかない。あんな村は存在してはいけない。世界の為に滅ぼしたいわ……。


「お疲れ様! 今日も、キレッキレだったね。」


 意外と流れてくる汗を拭っていると、隣に八瀬が座った。彼の手にはお茶の入ったペットボトル。私に差し入れてくれた。

 お礼を言いながら、私は受け取った。


「ありがとう。」

「いえいえ! なあ、来年の正月はどうするの?」

「今年も父さんと母さんが来て、ここで年越し。いつも通りだよ!」

「”神様”、大丈夫なのか? 親御さん達が村の外に出るのを、村の人達は良くは思ってないだろ。」

「そうだけどね……。あれだよ、母親の実家に行きます! って感じで抜け出してるとは思うけど。」

「ガバガバだね。案外。」

「いいや、母さんが村の外の人間だから。村出身で、村しか知らない”神様”の為の女は絶対に出さない様にするから。」


 私の様な、ね。貰ったお茶の栓を開け、緑茶を口に入れる。

 本当は、私は外には出る事など出来ない筈だった。出れない存在だった。母親の様に村の外出身じゃなくて、村の中で産まれて、育った純粋な村の人間。

 ”神様”の嫁の候補に挙げられる女の一人だ。

 村を出る際に、村の重鎮と呼ばれるジジイ共に詰め寄られた。


『村を出るなど、役目を放棄する気か!?』

『 ”神様”の前で舞える栄誉を辞めるのか!』

『村に戻って来れなくても良いのか!!』


 只、山を越えるだけの事。それだけの事に目くじらを立て、外に出たいという要望を罵詈雑言でねじ伏せやがった。

 一時の感情はそこにあった。憎悪と出てしまいたいという感情だけの発言ではあった。両親と会えなくなると言われて、村を出る決意が揺らいだりもした。でも、 そんな私の望みを後押ししてくれたのは父親だった。


『掟通りに紫季は村に戻る事は一切叶わない。でも――、会えないのであれば父さんも母さんも体が動ける間はお前に会いに行く。連絡だって、時々でもとる。だから、行ってこい。』


 父さんも母さんも、お前の選択を責めたりしない。重鎮たちがいない時に言ってくれた言葉だ。二人とも、私の思った通りの行動を尊重してくれた。

 そもそも、村の内容が父親には気に食わなかったらしい。だから母さんと結婚して村を出ようとしたが、父さんの両親――村にいる祖父母が村から出るのを阻止した。

 母さんをこんな可笑しな村に嫁がせてしまった負い目が父さんにあった。だから私にはそんな想いをして欲しくなくて、後押しをしてくれた。

 村の若い娘が全て”神様”と寝た中で、唯一寝る事が無かった私を逃がしたかったからだった。それは母さんの願いだった。

 本当に好きな人と過ごして欲しい。幼い頃からの洗脳に近い汚染で、刷り込まれた状態で自分をぞんざいに扱って欲しくない。同じ性別である母親の望みだった。

 父親が説得してくれて、私は最後の舞を踊り終えた。


 だから、私は村を出れた。もう二度と故郷の土地を踏み入れない事を誓って。私にとっては不名誉ではない神様の嫁になれなかった女というレッテル付きで。


 実際は世間知らずの女だけど。


「祖母ちゃんも紫季と同じだったのかな……。」


 八瀬はボソッと呟く。

 八瀬が村の存在を良く知っていたのは、八瀬の祖母が同じ村の出身者であったからだった。小さな頃から昔話の様に語られていたらしく、


『もし、普通の子が知っていそうな事が知らない女の子がいたら、笑わずに優しくしてあげなさい。きっとその女の子はお祖母ちゃんと同じ、ヘンテコ村の出身者だから。』


 と、口癖の様に八瀬に話していたらしい。

 初めてのサークルの飲み会の時、八瀬の祖母が語っていた通りの存在である私が現れて、思い出したらしい。そうしたら体が動いてた。彼は笑って話してくれた。

 私にとっては凄く救いだった。事情を知っている存在がいる事が、凄く心強かった。

 八瀬のお祖母ちゃんには、感謝しかない。


「ねえ、来年の話だけどさ……一緒に初詣行かない?」

「初詣?」

「うん。」


 両親と行く以外は多分ない。そんな存在は八瀬位で、誘ってくれる人も八瀬と友人だけだ。

 断る理由はない。だから、「行こう!」と答えるつもりだった。

 私の声を遮る様にline の通知音が鳴る。一回だけでなく、複数。

 きっと、フォローした公式アカウントの通知だろう。一応は確認の為にスマホの画面を起こした。

 電源を押して、明るくなる画面。

 通知には村の唯一繋がっている同性の友人の名前が映されている。


「え、珍しい。」


 内容が見れる様にしているが、送られてきたのは文章では無くて写真だった。だからline を開けるまで内容が分からない。

 訝しげにline を開けると、私は送られてきた写真の所為でスマホを落としてしまった。


「紫季、スマホ――」


 嘘だ。そうに違いない。

 八瀬が拾ってくれたスマホを受け取り、もう一度確認しようとした。だが、嘘だと思いたい写真を八瀬も目に入れたらしい。

 驚きと困惑の顔が八瀬の顔に浮かんでいる。


「これって……。」


 故郷だった村の唯一の友人から送られた写真は、縄で縛られ猿轡をされた両親の姿だった。

 涙を浮かべている母親、普段見せる事がない恐怖の顔を滲ませている父親。


――背後のうなじに斧を立てられて。

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