第二十八節 竣工の二人

 朝食を終えて、イシャがそのままの服装で出ようとしているのを見て、王弟は少し渋ったが、イシャが頑として使用人の服を脱ごうとしないので、諦めたようだった。ただ、一緒に歩くのは恥ずかしいと言って、煌びやかな服の上から旅人の様に布を羽織り、少し後ろをそっとついてきた。

 街には手持無沙汰の男や乞食たちが、仕事や施しを待っている。イシャはその中で、一人見当違いな方向に手を差し伸ばしている男を見つけた。

「何をしているのですか。」

「私は生まれつき目の周りに悪魔が張り付いて、目が見えないので仕事がもらえません。なので、誰かが落とした硬貨がないか探しているのです。」

「ふうん…。」

 きょろきょろと辺りを見回すと、周りの乞食たちが、鬱陶しそうに此方を見ている。彼等の考えていることはよく分かった。

「どうするんだ? イシャ。」

「どうするも何も、アンタ、こんな時メシアがどうしていたか知らないの?」

「知ってるけど…。お前に出来るのか?」

「メシアがやっていいって言ったんだもん。出来るわよ。」

「不安だなぁ…。」

「まあ、見てなさいよ。どうにかなるって。」

 イシャは向き直り、盲人と同じ視線までしゃがむと、ふぅぅ、と目に息を吹きかけた。周りの視線が痛い。一体何を馬鹿にしているのかと、今にも石が吹っ飛んできそうだった。だが、息をかけられた本人は、驚いてパチパチと目を瞬かせた。

「どう?」

「美しい…。なんと美しい世界だろう! 私の住んでいるパルティアは、何と素晴らしい国だろうか! 遠く高いあの空、この力強い大地! このパルティアを創った王は、素晴らしい方に違いない!」

 突然盲人が奇声を上げたので、周りの乞食たちは驚いて物陰に隠れた。ただ、顔が半分だけ見えてしまっている。何が起こったのか分からないのだろう。

「貴方は一体誰なのですか? この国の王ですか?」

「私は貴方が今、王と言った方に仕えるしもべの一人です。」

「貴方について行けば、私はこの御恩に報いることが出来るのでしょうか?」

「貴方が付いてきたいと思うなら付いてきなさい。貴方は何も持っていないから、全て与えられる。」

 盲人はすぐさま立ち上がり、イシャの手を握りしめ、涙をこぼしながら何度も頷いた。

「皆さん、私をお遣わしになった方は盲人に光を、聾人に歌を、萎えた手足には骨を、乏しい者に糧を与え、穢された魂を浄化することが出来ます。これを疑うのなら私の前に大いなる災いと悪の全てを持ってきなさい。今私が挙げた物の中で、何か一つでも欲しいものがあるのなら、私の後についてきなさい。私の主が全て用意します。」

 乞食たちは、がやがや騒ぎ出したが、その内の一人がおずおずと手を上げた。

「お…俺は、光も音も骨も持ってるけど、仕事だけがないんだ!」

「仕事をあげます。付いてきなさい。」

「私は家がないの! 子供の分だけでも屋根が欲しいの!」

「全て用意します。」

 おいおい、とイシュが止めにかかった。

「この乞食たち、男だけで四十人はいるぞ!? どうすんだよ、そんな安請け合いして!」

「まあまあ、見てなさいって。」

 イシャが後ろにいる王弟を見ると、王弟の顔は分からなかった。ただ、恥ずかしそうに日陰に小さくなっている。

 何人かの乞食の男達は、仕事が欲しいと言ったので、その男達だけを集めると、子供も含めて十二人いた。これは幸先の良い、と、イシャは頷き、男の中で一番の老人に尋ねた。

「この辺りで一番広い土地はある?」

「それでしたら、此処から東にずっと行ったところに、何も使われていない墓場のような場所があります。」

「ならそこにしよう。ちょっとついてきて。」

 イシャはそう言って、ぞろぞろ十二人を引き連れて、先ず近くの石切り場に向かった。大工をしていたのだから、石を加工する音は嫌でも判別できる。

 石切り場の男は、十二人もの乞食が揃って現れたので、すわ強盗かと思ったようだったが、イシャが余りにも的確に石を測り、注文するので、漸く警戒を解いたようだった。王弟も後ろの方からちゃんとついてきている。

「これくらいなら、皆で運べるかな?」

「十分です。これをどうすれば良いのですか?」

 子供にはなるべく小さい石を背負わせて、自分も大きな石を背負い、イシャはそのまま老人が言っていた東へ歩を進めた。


 随分歩いたような気がする。途中、子供が何度かへばったからだろう。石を代えようかというと、仕事とは辛いものだからと歯を食いしばって運んだ。仕事がなくても、仕事に関する知識はあるらしい。

 石を並べて、イシャは定規を取り出した。すると男たちは、何か不気味なものでも見るかのように、じりじりと後ずさった。

「定規を見るのは初めて?」

「じょーぎ?」

「教えてあげるから、こっちに来なさい。」

 仕事に使う物だと理解すると、男たちは疎らに近寄ってきて、イシャが石を測るのを覗き込んだ。とはいえ、イシャとて職人。文字も算術も無く、感覚で培ってきた技術を教えるのは至難の業だった。その様子を見て、イシュは溜息を吐きながら言った。

「だから無理だって。それだったらシリアの時みたく、ぼくが一から造った方がいいよ。」

「それじゃ意味がないわ。彼等に仕事を与えなくちゃ、わたし達がいなくなった後、彼等は食べていけないのよ。」

「っていうかお前、食べていけないとか言う前に、給金はどうすんだ? 仕事やるって言ったんだから、給金がなきゃいけないんだぞ。」

「あら、昨日もらったじゃない。」

「……………え。」

 イシュの表情が固まる。イシャは何でもないように答えた。

「わたし達は、『この世の何よりも尊く美しく高貴な宮殿』を建てるのよ?」

「この大馬鹿野郎!」

 バシッとイシュはイシャの頭を引っ叩いた。

「お前、それは地上の話だろ!? なんでそうなる!?」

「至極真面目な話よ。だって地上の宮殿なんて、国王の言っていた通り、朽ち果てていくものだわ。でもこの宮殿なら、ずっと朽ちずに、寧ろ時が経つにつれ美しくなるわ。」

「だ・か・ら! そりゃ思想の話だろ!? 国王が言っていたのは物理的な話で―――。」

「これがメシアの御意志なのよ。だって、わたし思いついちゃったんだもん。」

「な、な、な………。」

 イシュは真っ青になって卒倒しそうになった。イシャは構わず、男達に石の測り方を続けて教えた。子供は特に呑み込みが早い。あっという間に覚えて、面白そうに定規を振り回し、この石は、あの石は、と、関係のない石も測りだす。今に立派な大工になるだろう。

「この石は格別だから、隅の親石にしよう。」

「スミノオヤイシ? 何?」

「イスラエルの家造りで一番重要な石のこと。角っ子に置く、四つの石のことだよ。この石がないと、家は簡単に崩れる。」

「じゃあ、一番真剣に選ぶ石?」

「そうだね。しっかりした石じゃないと。」

「ボクが決めたい! ボクに決め方教えて!」

「はいはい、そんなに慌てなくてもいいから、順番。」

 始めたばかりの仕事の魅力に取りつかれた男たちは、そいやそいやと石を運び、夕暮れ時には、雨風を凌ぐだけしか出来ないようなあばら屋が出来た。この分なら、七日もすれば立派な家が一見建てられるだろう。イシャは先ほどの子供を呼び出して言った。

「さっき、家がないと叫んでいた女の人を呼んでおいで。その時に、子供達も連れてくるように言いなさい。残った男たちは、こっちに来なさい。」

 そう言って、イシャは懐から昨日もらった給金の一部を取り出し、男達に分け与えた。男たちは初めて見た高価な硬貨を見て仰天していたが、イシャが余りにもひょいひょいと配るので、目を白黒させてイシャを見つめた。

「今日はそのお金で夕飯を買って、もう休みなさい。明日になったら、またここに来なさい。同じように給金を支払います。」

「そのようなお金が、一体どこから出てくるのですか。」

 先程の盲人が言ったので、イシャは答えた。

「貴方が始め、王と言った方が下さるのです。」

 ざわ、と背筋が凍り付いた。振り向くと、物陰から凄まじい殺気が放出されている。素人でも分かるくらいには分かりやすい。乞食たちもそれに気づいたらしく、おどおどと硬貨を懐に仕舞い込んだ。奪われると思ったのだろう。

 その時、先ほど使いに出した子供がぞろぞろと大人数を連れて戻ってきた。女の子供だけで、十人はいるだろうか。この女の職業が手に取るように分かった。

「まだ小さいけれど、子供達を入れるだけのスペースはあるから、とりあえずここを家にしなさい。明日はもっと人を使って、貴方も入れる家を造るから。」

「私には家をお借りするお金が…。」

「それは貴方が心配する事じゃない。大切なのは、貴方がこの家を住処とすること。貴方はそれだけを考えればいい。…とりあえず日も暮れるし、家のある者や寝床のある者はそこに帰りなさい。それすらも無い者は、もう少し待っていて。この分だと、七日もあれば一軒建てられるから、とりあえずこの近くに屯していて。日の出から日没まで、キリキリ働く事になるからね!」

 イシャがそう言うと、男たちは嬉しそうに笑った。労働の喜びなど知らなかったのだろう。一枚しかない硬貨を大事に握りしめ、食べ物を買いに市場へ走って行った。女が子供達をあばら屋の中に入れて、仕事に行こうとするので、そのようなことが無いように、女にも一枚硬貨をあげた。女は大通りではなく、市場の方へ走って行った。それを確認して、イシャは王弟のすぐそばまで戻る。子供達は風のない狭い寝床で、ペタペタと石を触っている。まだ現状が夢の様に思えているのだろう。

「王弟殿下、これにて宮殿の竣工を始めます。」

「………。あの者達は新しい宮殿の下男下女か?」

 ひくひく、と王弟の顔が引きっている。本当のことを言えば腰の剣が光りそうだった。そこで本当の事を素直に言うのも愚直というものだ。イシャは黙って市場に行った。王弟が今にも斬りかかりそうな殺気を出しながら、あとをついてくる。


 市場まで行くと、商人たちと先ほどの乞食たちが、何やら揉めていた。

「だからこいつは、俺達が働いてもらった金だ!」

「こんな高い給金のくれるなんて詐欺に決まってる。贋金を扱ったことがバレたら、国王陛下に打ち首だ!」

「何遍も言ってるだろ! そんなに心配なら東の土地に行ってみろ、俺達が建てたあばら屋があるから!」

「その間に店の物掻っさらってくんだろ!」

「金があるのにそんなことする訳ねーだろ! いいから残ってる食いもんくれよ!」

「その金は偽物だ!」

「だからこいつは―――。」

 一通り会話が巡ったのだと思って、イシャが仲裁に入った。

「この国では、どんな硬貨を使っているのですか?」

「何だアンタ、今取り込み中だ。」

「私が彼等に給金を支払ったのです。その硬貨が偽物なら、本物はどのような硬貨なのですか?」

 すると、商人はジロジロとイシャを見た。

「アンタ、ユダヤ人か?」

「良くお分かりで。」

「あそこから来る貿易船に乗ってる奴らと同じ鼻してら。アンタ、何者だ? こいつら全員にこんな高い給金を支払えるなんて、ローマの傀儡か?」

「私はローマにもユダヤにもパルティアにもお仕えしていません。今は私のお仕えする方が、この国で貧しい者達の面倒を見るように仰せになったので、パルティア国王陛下にこの国の予算を頂きました。その予算から、彼等の給金を支払ったのです。…それで、その硬貨が偽物だというのなら、本物はどのような硬貨なのですか?」

 商人は男の一人から硬貨を一枚ひったくり、ずいっとイシャの顔の前に突きつけた。

「残念だけど、暗くて誰が掘られているか分からないね!」

「その硬貨は確かに国王陛下から頂いたものですが。」

「その証拠はどこにある!」

われだ。」

 それまでずっと黙っていた王弟が進み出て、布を頭から取った。暗がりの中でも、王弟の首飾りが月明かりを反射して光る。乞食たちは王弟が誰か貴族の一人だという事は解ったようだったが、誰なのかは分からないようで、後退してひそひそ囁き合っている。

 しかし商人は、まじまじと王弟を見つめ、ハッと顔色を変えた。

「お、お、お、王弟殿下ァー!? な、な、何故このような場所に!?」

 周りが津波の様にうごめいた。

「その硬貨に掘られているのは国王陛下、が兄上だ。商人よ、何か不服か。われが、敬愛する兄上の御尊顔を見間違えるとでもいうつもりか。」

「め、め、滅相もございません! 私はこの乞食共が王宮からくすねた物だとばかり…。」

「では商人よ、貴様は国王陛下とその臣下による慈悲を疑い、あまつさえそれを侮辱するのか。」

「お、お慈悲を、王弟殿下、私は何も知らず―――。」

「問答無用。」

 元々苛ついていたらしい王弟は、自分でも触ったことがない国庫の硬貨を疑われて怒髪天を突いたようだ。イシャが止めるよりも早く剣を抜き、商人の首から腰にかけて一刀両断した。斬られたことを理解していない心臓が、勢いよく血を身体の外へ押し出す。乞食も商人も、悲鳴をあげてその場から逃げようとしたが、余りにも王弟が怒り狂い間を詰めるので、全員が全員、もみくちゃになって腰を抜かした。

「この乞食共の労働を疑った全ての商人共よ、われが刃の錆としてくれようぞ。」

「お、王弟殿下、どうぞお慈悲を、お慈悲を!」

 先程までの乞食たちへの扱いが嘘のように、商人たちはひざまずいて泣きながら命乞いをする。何だか既視感を感じた。

 これは、そうだ。

 エルサレムの宮殿で、長血が治らない娘に横柄な態度を取っていた商人と、メシアというカモを見つけた時のような。

 保身に走る輩は今も昔も嫌いだ。だが、だからと言って宮殿に住まわせる予定の王弟の手を穢す事もあるまい。イシャは王弟の前に飛び出し、殺された商人を抱き起こした。奇妙な行動に、王弟の手が止まる。

「そのような不埒者に触れるでない。」

「この者は不埒者ではございません、王弟殿下。ただ賢明でなかっただけの憐れな商人にございます。」

「おいおいおい、ここで王弟を懐柔する前に殺されても知らないぞ。」

「うっさいわね。今からメシアの御名を使うんだからちょっと黙ってなさいよ。」

「お前、メシアと同じことが出来るなんて、思い上がりもいいところだぞ。」

「だから黙らっしゃいな。わたしが思いついたんだから出来るのよ。」

 どんな理屈だ、とイシュは呆れ返っていたが、イシャは商人の薄開きの両目を手で覆い、囁く様に、しかし響く様に言った。

「我が神、貴方の神、メシアの名において命じます。起きなさい。」

 イシャが手を取り払うと、薄開きだった両目は、ぱっちりと開いていた。王弟は思わずぎょっとして息を呑む。商人たちは、まるで悪魔でも見たかのように悲鳴をあげて離れていった。

「う…む。」

 斬られた商人は、イシャの腕の中から起き上がると、ぱんぱんと倒れたときに着いた土を払い落とした。そして自分の着物が裂けているのを見て、きょとんとして言った。

「これは、王弟殿下。お見苦しいものをお見せしたようで、申し訳ございません。」

「………お前。」

「はい?」

「あ…いや、なんでもない。それより、商売はいいのか。」

「はい? ああ、この者達ですね。しかし、もう余り物しかありませんし、このような高価なお金を持ってこられても釣りがありません。この硬貨一枚で、この店の余り物は全て買い取れますので、私は一枚だけ頂ければ良いです。」

「魔術師だ!」

 起き上がった商人がにこやかに乞食たちに品物を渡すのを見て、商人の一人が叫んだ。

「こいつは魔術師です、王弟殿下! 今こいつは、悪神の力を借りてこの男の魂を大魔王の懐から呼び戻したのです! こいつは、大自然に還るべき魂と肉体を摂理に反して奪い返したのです! 処罰するべきです! この者はパルティアを悪神の加護の下に我々を導こうとしています!」

「………。」

 王弟はじっと商人とイシャを見比べた。暫く考えると、尚も喚きたてる商人に、血の滴る刃を向けて、冷たく言い放った。

「今この者は、この者の神とわれらの善神の名においてこの商人を蘇らせた。拝火教の教えに乗っ取れば、この行いは善以外の何ものでもない。故にわれは処罰しない。われの臣下のかけた情けが納得できぬのならば、貴様ら商人同士が殺し合え。だがその場合、われと臣下の慈悲を蹂躙することであることも憶えおけ。」

 商人たちは押し黙った。乞食たちはというと、起き上がった商人から食べ物を分けてもらい、嬉々として早速それらにありついていた。しかしそれでも、硬貨一枚の金額に足りないと言って、商人は乞食たちを引き連れ、家に帰って行った。

「今日は積もる話がある。もう離宮に戻るぞ。」

「はい、王弟殿下。」

「………。」

 踵を返した王弟に従い、イシャは商人たちに軽い挨拶をして、後をついて行った。王弟は何か考えて、ふと思いついたように言った。

「もうわれの事を、王弟殿下とは呼ぶな。」

「ではなんと?」

「殿下、だけで良い。」

「承知いたしました、殿下。」

 黒々とした二人の運命に情けをかけるように、星が瞬いていた。

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