第56話 迫られる判断

 レインとサレン達が再会したちょうどその頃、イミテルは魔人の兄弟と共にとある場所へ向けて歩いていた。


「……今はどこへ向かっているんですか」

「貴様が知る必要はない……と言いたい所だが、今は気分が良い。特別に教えてやろう」

「これから向かうのは儀式の場だ」

「儀式?」

「そう。貴様の持つ力を最大限に高めるためのな。幸いなことに今宵はブラッドムーン。我ら魔人の力が最も強くなる日だ。儀式もきっと上手くいくであろうよ」

「……捧げられるのは私の命、というわけですか」

「クハハ! 早とちりするな。この儀式は貴様の持つ力を最大限に高めるためのものだと言っただろう。生贄は東大陸から連れてきてある。貴様はただその儀式を受けるだけでいい」

「…………」


 それはつまりイミテル以外の誰かの命が消えるということ。イミテルは気付かないうちに手を握りしめていた。


「言っておくが、妙なことは考えるなよ。と言っても、貴様にできることなど何もありはしないがな」


 言い返す言葉も無かった。すでにイミテルの力は抑えきれる段階では無くなっていた。こうしている今も平静を装ってはいるが、イミテルの中の罪が激しく蠢いていた。抑えようとして抑えられるものではない。むしろ両親のことを。自身の罪を思い出すたびに痛みと共に罪はその勢いを増していくのだ。


「その様子を見るに、順調に罪が育っているようだな。良いことだ。もっと苦しめ、罪を育てるためにな。質の高い罪が生まれればそれだけ良い魔人が生まれるやもしれん」

「っ……」


 がんじがらめだった。両親を殺した罪を感じないなどできるはずもない。しかし罪を感じれば感じるほどにイミテルの罪は増幅され、それが結果として村の人達を咎人堕ちさせる要因となってしまうのだ。


「その腕輪がある限り我らに逆らうことも、自殺することもできない。貴様はただ道具として行く末を見守ることしかできんのだ」

「フハハハハ! 無様だなぁ」


 高らかに笑う魔人の兄弟。イミテルは胸中に渦巻く様々な激情を押し殺してその後について行く。


(ごめんなさいレインさん……私は、あなたに優しくされる価値のあるような人ではありませんでした。それどころかもっと醜い……最悪の人間、いいえ、人間以下の存在です)


 必死に名を呼ぶレインの顔が一瞬脳裏を過る。しかし今のイミテルにはもう、振り返ることは許されなかった。






□■□■□■□■□■□■□■□■


「んもー! なんなんですかこの魔獣の数は! どこにこれだけ隠してたですか!」


 一方、イミテルを追って移動を始めたレイン達だったが、決して順調にというわけにはいかなかった。なぜなら、魔獣の群れがレイン達に襲い掛かって来ていたからだ。


「サレン様が魔獣の臭いを感じ取れなかったということは、噂にあった影を操る能力を今回の魔人も持っているのでしょうか」

「だとしたらすごく厄介……というより、面倒なのです。あとどれだけ魔獣がいるかわからないのです」

「サレン様対策といった所でしょうか。なかなか考えていますね」

「こんな有象無象に時間を取らされるなんて……ムカつくのです!」


 苛立ちをぶつけるように目の前に現れた魔物を叩き潰すサレン。レイン達の背後にはそうして積み上げられた魔獣の死骸が大量にあった。

 レインが一体魔獣を倒している間に、サレンとロゼは三体、四体と倒してしまうのだ。実力の差を感じずにはいられなかった。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。二人に置いていかれまいと必死に喰らいつく。


「お兄ちゃん大丈夫です? やっぱりまだ本調子じゃないんじゃ……」

「俺のことは気にしないでください。それよりも早くイミテルに追いつかないと」

「必死になる気持ちはわかりますが落ち着いてください。今のあなたは冷静な判断力を欠いている。そんな状態では大事な時に判断を誤ることになりますよ」

「でも!」

「私は落ち着けと言っているんです。急いでいる時こそ頭を冷静にしてください。それができないのであればあなたは足手まといでしかありません」


 ロゼの容赦の無い言葉にレインは押し黙る。ロゼの言っていることはもちろん理解している。しかしそれでも、どんなに心を落ち着けようとしてもイミテルの最後の表情がちらつくのだ。

 もっと自分に力があれば。あの時魔人に対抗できるだけの力を持っていれば。イミテルを絶望の淵から救える言葉を持っていればと。自責の念ばかりが募っていく。それがレインを焦らせる要因になっていた。


「はぁ、困りましたね。この様子ではついて来るなと言っても無駄でしょうし。魔獣のいるこの状況では無理やり気絶させて放置もできません」

「ロゼ、言ってることが物騒なのです」


 サレンがロゼの言葉に若干引いていると、不意に魔導通信機の音がなる。


「通信? 誰からです……ってユースティアさんなのです!」

「ユースティア様から?」


 慌てて通信を取るサレン。結界の中にいるせいか、最初は上手く繋がらなかったがサレンは無理やり魔力を込めて通信強度を高めた。


『あ、繋がりましたね。サレン、そちらの状況は』

「えっとですね、実は——」


 自分がいたのにイミテルを易々と奪われてしまった後ろめたさから、若干言い難そうにしながらサレンは今の状況を説明する。レインが攫われてからの一連の経緯。そして今イミテルを追っているということを。


『……なるほど、そちらの状況は理解しました。私も今そちらに向かっている最中です。三人はそのままイミテルさんを追ってください』

「あの、ユースティアさん。こんな時に聞くことじゃないかもですけど、結局イミテルさんの力ってなんなのです? どうしてお兄ちゃんが咎人堕ちしそうになってたですか?」

『……そうですね。確証はありませんが、私の推測を話しましょう。おそらくこれで間違いないはずですが』

「はいです」

『端的に言うならば、イミテルさんの力は『罪を吸い取る』ではなく『罪をばら撒く』ものだと思います』

「罪をばら撒く?」

『えぇ。彼女自身の中にある罪を無自覚の内に周囲にばら撒く。もしくは意識的に植え付ける。あるいはその両方かもしれません。とにかく、彼女は罪をばら撒くという目的に魔人に生み出された存在だと私は考えています』

「そんなことして何になるです?」

「……そういうことですか」


 いまいち理解できていないサレンとは違い、ロゼはその短い説明で理解することができたようだ。その力の恐ろしさについても。

 そしてレインもまた、ユースティアの説明を聞いてようやく理解した。なぜイミテルが、もう傍に居られないと言ったのかということを。


『理解しましたか』

「はい。わかりました」

「え? え? どういうことです?」

『レインが咎人堕ちしかけたのは、イミテルさんに植え付けられた罪が大きくなったから。そういう能力を持っているのか……自身の罪を自覚するような何かがあったのか。それはわかりませんが。ともかく、彼女に植え付けられた罪は彼女自身と呼応している』

「魔人が言ってたんだ……あいつに、イミテルに罪の記憶を思い出させたって」

『……なるほど。では推測は間違ってなさそうですね。罪を自覚したイミテルさんは、その罪を膨れ上がらせる。そしてそれは彼女だけではなく、彼女に罪を植え付けられた、他の人々の罪も膨れ上がらせることになる』

「そして体内の罪の許容量を超えた人は咎人堕ちすると……なるほど、醜悪な作戦ですね」

「つまり、いっぱい咎人を……魔人を生むのが目的ってことです?」

『その理解で間違いないですよ。そして状況は考えうる限り最悪でしょう。私達は出遅れてしまっている。もしかすると、もう村の方でも影響が出ているかもしれません』

「それはとってもとってもまずいのです!」

『あなた達は言った通りそのままイミテルさんと魔人を追ってください』

「え、でも……」

『村は私がなんとかします。あなた達は魔人の排除。そしてイミテルさんの確保。もしその力が任意で止められないようであれば——』


 やめてくれ、それ以上言わないでくれ。そう願ったレインだったが、現実は無情だった。

 驚くほど冷たい声音で、ユースティアは告げた。


『イミテルさんを……魔人と同様の存在として排除してください』


 

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