第9話 魔物との戦い

「久しぶりの大型……せめて少しは楽しませてもらうぞ」


 グラトニーワームに向かって走り出すユースティア。グラトニーワームにあったのは食するという本能だけ。もし知性を持ち合わせることができたならば、ユースティアの脅威に気付き逃げるという選択肢を選ぶことができただろう。もっとも、逃げようとしたところでユースティアは決して逃がさなかっただろうが。


「グラトニーワーム、暴食の魔物か。となるとあの村にいるのは暴食に呑まれた咎人か? いや、まぁそんなことは今はどうでもいい。今は私が遊ぶ時間だ」


 グラトニーワームは近づいて来るユースティアに対して胃液を吐きかける。それは強力な酸性を持った胃液で、もし人に当たれば一瞬で溶けて肉塊になるだろう。


「どうしたグラトニーワーム。お前の実力はそんなものか? それじゃあ逆立ちしても私には勝てないぞ!」


 二度、三度と吐いてくる胃液を軽やかなステップで避け続けるユースティア。そして今度は一気に距離を詰めてグラトニーワームの体に拳を叩きこむ。


「はぁっ!!」

「キシャァアアアアアアアアッッ!!」

「あはははははっ! 痛いか? 苦しいか? もっとだ。もっと苦しめ! お前の悲鳴を私に聞かせろ! もっと抵抗してみせろ!」


 ユースティアは完全に遊んでいた。その気になればグラトニーワームを一撃で仕留めることなど容易であるというのにもかかわらず、ストレスを発散するという目的のために真綿で首を締めるようにじわじわとグラトニーワームのことを追い詰めていた。

 ゴブリンと戦いながらその様子を見ていたレインは呆れるしかない。遠くにいるためにユースティアが何を言っているのかは聞こえていないが、それでもどんなことを言っているか、どんな表情をしているかはわかる。

 ユースティアは今、魔物と戦うことを心底楽しんでいる。魔物との闘争を楽しむ人間などレインはユースティア以外に知らない。力を持つユースティアは、いつだってその力を振るう機会に飢えているのだ。


「まぁ、でもあの様子じゃグラトニーワームは期待外れだったみたいだな。【罪姫アトメント】も使ってないみたいだし」


 聖女には【戦闘聖衣バトルドレス】と同じく【罪姫アトメント】と呼ばれる専用の武器が与えられている。しかし、それを使っていないということはそれほどの相手ではないということ。ユースティアを満たすほどの相手ではないということなのだ。


「その気になれば一瞬で終わらせることができるくせに。っとあぶねぇ」


 ユースティアの方に意識を集中させていると、それを隙と見たゴブリンが手に持った錆びた剣で襲いかかって来る。すんでの所で避けたハルトはユースティアの方を気にしている場合ではないと目の前のゴブリン達に意識を集中する。

 戦う余裕のあるユースティアと違ってレインはゴブリンの相手をするので精一杯だ。魔物を倒すには魔力が必要不可欠だ。魔法や魔力を込めた武器での攻撃でしか魔物は倒せない。だからこそ魔力を持たない一般人にとって魔物は脅威なのだ。

 そして、魔力を使えないレインにとってはゴブリン程度の魔物でも脅威だ。気を抜けば殺されてしまう。カラやフォールは魔力をその身に魔力を薄く纏うことで防御力を上げている。レインはそれができない。だからこそ避けてカウンターを叩きこむ。それがレインの戦い方だった。


「これがゴブリンじゃなかったら俺も本命の武器使えるんだけどな。さすがにゴブリンに使うには燃費が悪すぎる」


 レインの使う武器が燃費が悪い。だからこそ今は剣を使っている。特別な剣ではない普通の剣だが、その剣に魔蓄石に溜められているユースティアの魔力を使うことで魔物を倒すことを可能にしているのだ。


「あぁくそ。遊んでないで早く終わらせてくれよティア!」


 そう叫ぶレインの言葉はユースティアに届いていたわけではなかった。しかし、レインの考えていることなどユースティアにはお見通しだった。


「早く終わらせろーとかどうせ考えてるんだろうが。まだもう少しは遊ばせてもらうぞ」

「キシャァアアアアアアアアッッ!!」

「はは、そうか。お前も私に遊んで欲しいか。だったら遊んでやるさ。私の玩具としてな。退屈させるなよ? 私は飽き性なんだ」


 そんなユースティアの言葉の意味を理解したわけではないが、グラトニーワームはユースティアへの攻撃の仕方を変化させる。それまではただ放出しているだけだった胃液を凝縮させ狙いを定めて撃つようになったのだ。その速さも威力も先ほどまでの比ではない。


「なんだ。やればできるじゃないか。そうだ。それでいい。もっと力を出せ、私のことを殺そうとしろ。でないと死ぬぞ!」


 マシンガンのように放たれる胃液の弾丸を完全に見切っているユースティア。飛んで避ける、魔法で防ぐ。やがてグラトニーワームはどれだけ攻撃しても全くユースティアの姿を捉えられないことに怒りを感じ始めていた。

 胃液では捉えられないと判断したグラトニーワームは直接ユースティアのことを喰らおうと突進する。大口を開き、地面ごと抉りながらユースティアに向かって猛烈な速度で突進する。それはユースティア達が乗ってきた列車にも匹敵しようかというほどの速度だった。


「なんだ。もう胃液は終わりか? 丁度いい運動だったというのに。というか、胃液で無理だからって突進か。本当に芸が無いなお前は。まぁ、グラトニーワームに芸を求めるだけ無駄か」


 ユースティアを丸呑みにせんと大口を開き列車並みの速度で迫って来るグラトニーワームを前にしてもユースティアに焦りは微塵もなかった。むしろ感じていたのは落胆。直接攻撃に打って出るということはこれ以上グラトニーワームに望めるものは何も無いということだからだ。


「というか貴様、目の前で見ると本当に気持ち悪いな。その気持ち悪い体で私に近づくな」


 口の中で蠢いている無数の触手を間近で見て嫌悪感にまみれた表情をするユースティア。もちろん、そんなことを言ったところでグラトニーワームが突進を止めるはずがない。

 突進してくるグラトニーワームに対してユースティアは指を向けて詠唱を始める。


「——この世は無限の地獄。輪廻は巡り逃れられず。魂はこの世に縛られる。あぁ、この世こそが地獄というのであれば我は地獄の救いとなろう。救いを与え、新たな地獄への門を開こう。さぁ赦しを乞え、願いを唱えろ。願わくば汝の地獄に幸多からんことを」


 詠唱を進めると同時にユースティアの体からどす黒い魔力があふれ出す。それは本能的恐怖を呼び起こす力の塊。グラトニーワームも死という原始的恐怖に襲われたが、すでに止まれない場所まで来てしまっていた。止まったところで時すでに遅しなのだが。

 

「触手には触手で対抗してやろう——『獄門殺』」


 ユースティアの体からあふれ出した魔力が形を成し始める。それは巨大な門だった。夜の闇よりもなお暗い漆黒の門。その扉が少しずつ開かれる。

 グラトニーワームは突如目の前に現れた門を溶かしてやろうと胃酸を吐きかけるが、胃酸は門に触れた途端に消えて無くなる。


「無駄だ。お前の攻撃ではこの門をどうにもできない。終わらせるぞ」


 ユースティアの言葉と同時にバンッと勢いよく開いた門。その門の先にはただただ暗い空間が広がっていた。その中から現れるのは無数の漆黒の腕。その腕は救いを求めるように蠢いていた。

 そして腕が見つけたのはグラトニーワームの姿。救いを求めるように、仲間を作ろうとするかのように腕はグラトニーワームに襲いかかる。

 胃酸を吐きかけて攻撃するグラトニーワームだが、漆黒の腕は胃酸をすり抜けてグラトニーワームの体を掴む。


「キシャァアアアアアアアアッッ!!」


 グンッと門の方へ引き寄せられるグラトニーワームの体。必死に抵抗しても逃れることはできずジリジリと引きずられていく。ジタバタと暴れても、地中に逃れようとしても結果は変わらなかった。


「あはははははっ! 惨めだなぁ。無様だなぁ。もっと足掻け。もっと踊って私を楽しませろ!」


 もがき続けるグラトニーワームを見てユースティアは高らかに笑う。そうしている間にもグラトニーワームは少しずつ門へと引きずられる。そしていよいよ門の前へとやって来た時、グラトニーワームの体に変化が訪れる。漆黒の腕の触れていた部分がボロボロと体が崩れ始めたのだ。


「シャアアアアアアアアアアッッ!!」


 断末魔の叫び声を上げるグラトニーワーム。それでも腕は止まらず、やがてグラトニーワームの体は完全に崩れ去り門の中へと消え去った。グラトニーワームを喰らった門はゆっくりと閉じ、溶けるように消え去っていった。


「ごちそうさまでした」


 門が完全に消え去った後、ユースティアは手を合わせてそう言った。





□■□■□■□■□■□■□■□■□


「あぁもう、数が多い!」


 近づいて来るゴブリンやコボルドの群れを斬り払いながらレインは苛立たし気に叫ぶ。ユースティアがグラトニーワームを倒したことは遠目に確認したレインだが、だからといってレイン達の戦っている魔物がいなくなるわけではない。

 一体一体の戦闘力は低いが、なにせ数が多い。それがゴブリン達の戦い方だ。数で押し切る。単純だが強い戦術なのだ。

 チラリと後ろのフォールとカラに視線を向けるレイン。初めてにしては上手く戦えていると言える二人だったが、倒しても倒してもいなくならないゴブリンやコボルドに焦りと疲労が隠し切れなくなりはじめていた。


(無理もないか。初めてでこの数はな。俺が初めて魔物と戦った時は……もっと大変だったな)


 孤立無援、助けの望めない状況での戦い。それがレインの初めての魔物との戦闘だった。それに比べればマシと言えるかもしれないが、大変なことに違いは無い。


「早く助けに行かないと。あいつらこれ以上もたないぞ。邪魔だお前ら!」


 レインがいよいよ自分の武器を使うことを真剣に検討矢先のことだった。レインの視界の先でカラが持っていた剣を落としてしまう。疲労か緊張か。はたまたその両方が原因か。ともあれカラが魔物に対して決定的な隙を晒してしまったことには違いは無い。命のやりとりをしている中で、それは致命的な隙だった。


「あっ……」

「カラッ!!」


 ゴブリンが剣を振り上げる。その先にいるのはカラだ。慌てて叫ぶフォールだが、別のゴブリンが間に割って入ったせいで助けることができない。剣を持たないカラにゴブリンの一撃を防ぐすべはない。


「ちっ!」


 なりふり構わず近くにいたゴブリンを押しのけ、レインが懐に手を入れたその時だった。


「後輩の面倒くらいちゃんと見ろレイン」


 一陣の風と共にレインの横を通り抜ける影。それが誰かなど考えるまでもなかった。


「っ!!」


 ギュッと目を瞑り、現実から目を逸らそうとするカラ。しかしゴブリンの一撃がカラを襲うことはなかった。


「戦いの最中に目を瞑ってはいけませんよ。それは全ての可能性を閉ざしてしまう行為です」

「あ……」

「諦めなければ生き残る可能性というのは残っているものなのですから」

「ユースティア様!」

「ですが、よく頑張りました。こうして生き残ることができたのは紛れもなくあなた達の力。それは誇れることですよ」


 カラの目の前にいたゴブリンは消え去り、その代わりに目の前に現れたのはユースティアだった。ユースティアは優しい笑顔でカラとフォールの頑張りを労う。


「後は私が終わらせます」


 そこからは一瞬だった。風が吹くと同時に周囲にいたゴブリンやコボルドの姿が消え去る。言うまでもなくユースティアの魔法の力だった。

 風が過ぎ去ったあと、そこに魔物の姿は残っておらず。レイン達の戦いは終わりを告げたのだった。

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