(3)
気がつけば、六月の頭にある文化祭が間近に迫っていた。
作業も終盤に差し掛かって、クラスのみんなは熱心に盛り上がっている。
わたしはと言えば、かわいげなくハスに構えて「こういう準備が一番楽しいっていう状況はなんなんだろう」などと考えているのであった。
あのCM以来、露出はないものの水面下ではなんやかんやと進行しているのか、忙しそうにしていたハルちゃん。そんなハルちゃんは、あれほど歯抜けに出席していたのがウソのように、大変真面目に登校している。
どうやら学校よりも芸能活動が大切なのはおばさん――と、もしかしたらおじさんも――だけらしく、ハルちゃんは親を説得して文化祭の準備に参加するために登校して来ているようなのだった。
伝聞調なのは、ハルちゃんはあんまりしゃべらないからだ。わたしやヨシくんの聞き役に徹していることが多い。それはチャットアプリ上でも変わらない。
それでもだれかに吐露せずにはおれなかったのか――たぶん――わたしにだけそういう事情をほのめかすことだけはしていた。
常のハルちゃんを思えば、それは大変に珍しいことであった。
わたしはそれにおどろくと同時に、誇らしげな気分になった。優越感、と言い換えてもいいだろう。
とにかくわたしは久々に与えられたお菓子に喜ぶイヌだかネコだかのように、それまで感じていた鬱屈を吹っ飛ばしたのだった。
けれどもわたしの優越感が膨らんでいたのはわずかばかりの間のことだ。
久々に登校の道を同じくしたものの、学校に行けばハルちゃんは学年問わず女子たちに囲まれてしまう。
あのCMの一件以来、校内ではハルちゃんのアイドル化が著しいとはマコちゃんの弁である。
わたしはそれを軽く受け流していたのだが、現実は苛酷であった。
きゃあきゃあと黄色い声に囲まれるハルちゃんのところへ行く気をなくしたわたしは、自分の席でつまらなくスマホをいじる。
きょろきょろとヨシくんの所在を捜してみれば、ヨシくんはハルちゃんではない男友達と楽しげにおしゃべりしている。
そのことにホッとすると同時に、わたしはもやもやとしたものを感じざるを得ないのであった。
理由は至って身勝手で、あんなにハルちゃんに熱心だったのに! という、ヨシくんに対して裏切られたような気持ちになったから。
あるいは、ヨシくんにあの女子たちの壁を破壊して欲しいと思っていたのかもしれない。
それは、わたしにはできない。いや、やっていいのか、わからなかった。
しゃしゃり出て、出しゃばっていいのか、今のわたしにはわからなかった。
けれども内心ではそうしたい、そうして欲しいと思っているわたしがいる。
だから、ヨシくんがそうやって女子たちを吹き飛ばしてくれないかな、と、ありもしない、都合のいい考えをしてしまうのだ。
わたしがすっごい美女だったら、こんなこと考えなかったのかもしれない。
そう思って自分の体を見下ろしてみる。
ひとことで言うと、「貧相」。
出るところも出てないし、腕なんて枝みたいで固そうだ。
周囲がダイエットがどうのこうのという話題で熱くなっていることを考えると、なかなか言い出しにくいこの体質。
唯一ハルちゃんだけが心配してくれる。
……いや、ヨシくんもことあるごとに言っていた。「お前は細すぎる」と。
でもヨシくんに言われると「大きなお世話」と思ってしまうのだ。わたしにとってヨシくんはライバルだから。
けれども今も「ライバル」――そう言えるのだろうか?
なんだかわたしたちはバラバラになってしまった気がする。
ハルちゃんがちょっと話題になった。たった、それだけで。
ハルちゃんを見る。
ハルちゃんは女子たちに囲まれてニコニコしていた。
インターネット全盛の時代じゃ、いつ、どこに、なにを書き込まれるかわかったもんじゃない。
これからも芸能人として生きて行くのならば、きゃあきゃあ言ってくれる女子たちを無碍にできないんだろう。
あるいは単純に、たとえ迷惑だとしても好意を持っているだろう相手には、冷たい態度がとれないのかもしれない。
これは仕方のないことなんだ。
わたしはそう自分を納得させたかった。
でも心の半分はハルちゃんに対するもやもやで埋め尽くされて、それはまったく晴れる気配がないのだった。
そして心の片隅で、わたしはヨシくんに対しても、もやもやとした感情を抱いてしまう。
どれもこれも、身勝手で、八つ当たりだっていうのは、わたしが一番よくわかっている。
わかっている。けれども。
「買い出し行ってくるけど足りないものある人ー!」
ホームルームの時間から放課後までを利用して、文化祭の準備は進む。
クラスの男子が教室に入って来て声をかける。そばには他の男子もいる。ハルちゃんもいた。
わたしは手元のミシンが発するガガガッという音を聞きながら、ちらりとハルちゃんを見たきり作業に没頭する。
わたしたちのクラスの出し物は、文化祭では必須の喫茶店。文化祭担当の委員がじゃんけんで勝ちとってきた出し物である。
念願かなったこともあって、クラスのやる気はじゅうぶん。
放課後に残ってまで作業するなんて面倒くさいとは言えない雰囲気だ。
けれどもミシンで喫茶店の制服に使うエプロンを縫う作業はイヤじゃなかった。
こういう風にあんまり物を考えずに手元を動かせる作業は好きだ。
こうしているあいだは、面倒事を押し付けられもしないし――。
「順調?」
わたしの心臓がちょっと跳ねた。
いつの間にかハルちゃんが近くにいて、わたしの肩の上あたりから話しかけてくる。
「うん。まあね」
わたしはそれにぎこちなく返した。
返したあとで、そっけなさすぎた言葉を後悔する。
けれどもどうしていいかわからなかった。
次に繋がる言葉を必死で探すけれど、全然見つからない。
あれ? ハルちゃんと前はどんな風に話していたっけ?
あせりに顔がちょっとだけ熱くなる。
一方で背中はちょっとヒヤッとして、冷や汗でも流れそうな感じだった。
「トーコの班はエプロン作ってるんだっけ?」
「うん。そう。テーブルクロスも」
「そっか」
「うん」
ミシンがガガガッとやかましい音を立てる。
視界の端ではハルちゃんと同じ班の男子が、別の班の女子から足りないもの聞いてスマホにメモをしている。「ついでにアイスでも買ってきてよ」「はー? 先生に怒られるだろ」「いいじゃん。ね」……そんなお気楽な会話が、今はなんだかひどく恨めしい。
わいわいがやがや。
教室はそんな楽しげな喧噪に満ちている。
けれどもわたしとハルちゃんは違った。
お互いに気まずく言葉を探して、ぎこちないキャッチボールを続けている。
やめればいいじゃん。どこかのだれかもわからない幻聴を聞く。
いやだよ。わたしはそれに心の中で返す。
だって、わたしはハルちゃんが好きだから。
……けれども今は、大好きなハルちゃんがそばにいるのに、わたしはちっとも会話できない。
おかしいな、と思うけれど、どうしようもない。
ハルちゃんとはケンカしたことは一度もない。だから、こんな気まずい思いをするのは、初めてのことだった。
「作業、どれくらいで終わりそう?」
「うーん。わかんないけど、まだかかるかな」
「そっか。じゃあ、待ってようか?」
「え?」
「帰り」
あ、そうだった。わたしとハルちゃんは家が向かい合わせなのだった。
そんなことすら気まずいわたしの頭からすっぽ抜けていて、不意を突かれたわたしの手が布から離れそうになる。
危ない危ない。ミシンに集中しなくちゃ、とわたしは手元に視線を落とす。
「ハルちゃんのところは?」
「もう終わったから。だから買い出し行こうって」
「なるほど」
「うん。で、どうする?」
わたしは悩んだ。けれども、悩んでいた時間はごくわずかだった。
どうするべきなのか、どうしたいのか。ハルちゃんから誘われてすぐに、その答えは出た。
「……ううん。先に帰ってよ。待たせるの、悪いし」
言ったあとで、わたしはまたしても「しまった」というような気分に陥った。
ハルちゃん、気を悪くしないかな?
わたしのこと、感じ悪いって思わないかな?
そんな不安が大波のように押し寄せてきて、たちまちわたしの心を支配する。
ごめん、ハルちゃん。
違うんだよ。
そうは思っても、わたしの口は閉じたまま。体が急に重くなったようになって、唇は開かない。
うしろにいるハルちゃんを、わたしは見ることができなかった。
どんな顔をしているのかを見るのが、今のわたしにはひどく恐ろしかった。
「そっか」
ハルちゃんの声は、いつもと同じ調子に聞こえた。
けれどもやっぱり、わたしは振り返ることができなかった。
「じゃあ、遅くなったら気をつけて帰ってね」
「うん。わかってる。だいじょうぶ」
「本当?」
「本当、本当」
気楽な調子で返しながら、わたしの心臓はバクバクと音を立てていた。
その音がハルちゃんに聞こえるのではないかと、ありもしないことをわたしは恐れる。
「茨目ー、買い出し行くぞー」
「わかった。……じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね」
買い出しに行く物をひと通り聞き終わったらしい男子が、ハルちゃんを呼び寄せる。
その声にわたしはホッと内心で安堵のため息を漏らした。
おかしいな。わたしは、ハルちゃんといっしょにいたいと思っていたのに。今のわたしの心はまるで、ハルちゃんといっしょにはいたくないみたいだ。
わたしは、ハルちゃんにすねているのかもしれない。
勝手に遠い人になってしまったハルちゃんに対して、身勝手な感情を抱いているのかもしれない。
つまり、八つ当たり。
その考えに至ると、わたしはわたしがひどく幼稚に思えて、恥ずかしくなった。
そしてそうやって自分の心をひと皮剥いたあとで、わたしは本当はハルちゃんといっしょにいたいのだと気づいた。
けれどもハルちゃんはもう、教室から出て行ったあとだった。
本心はちゅうぶらりん。仕方なくわたしはそれを、心の奥深くに仕舞い込む。
ガガガッとやかましい音を立てていたミシンを止める。
均一かつ端正な縫い目を確認しながら、わたしは無性に泣きたくなった。
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