(2)

 ハルちゃんを美しいと思っているのは、なにもわたしだけではない。


 クラスメイトたちだってそう思っているし、おばさん――ハルちゃんのお母さんだってそう思っている。


 芯の通った小さい鼻と気の強そうなアーモンドアイは、間違いなくおばさんからの遺伝だ。


 おばさんは昔は読者モデルというやつをやっていて、一時期はドラマなんかにも女優として出ていたらしい。


 ……というのはわたしのお母さんからの情報だ。


 わたしはそれを聞いて「なるほど」と思ったものである。


 おばさんは実際に垢抜けていたし、ごく普通の「おばさん」ってやつであるわたしのお母さんと比べても、どこかスマートな印象があった。


 同時に、「私はあなたたちとは住む世界が違いますのよ」って感じの意識が透けて見えて、おばさんの態度は鼻につく。


 そんな風だから鼻つまみ者とまではいかないにせよ、おばさんは近所では浮いていた。


 おじさん――ハルちゃんのお父さん――は姿を見たことがないが、いることにはいる。


 なんでも有名な脚本家らしく、わたしも観たことのあるドラマを手がけたことがある――とは、これまたわたしのお母さんからの情報だった。


 ハルちゃんの家は、言ってしまえば「芸能一家」ってやつなんだろう。


 つまりは、一般人とは違う。わたしたちのような庶民とは別の世界を生きている。


 おばさんとおじさんは、たぶんハルちゃんにもそういう生き方をして欲しいと思っているに違いない。


 だからハルちゃんを芸能事務所に所属させて、細々とした活動をさせているのだ。


 ハルちゃんは美しいが、芸能活動には熱心ではなかった。目立つことがあんまり好きではないのだ。


 だからやっぱり活動は細々としていて、学校でもハルちゃんがそういうことをしていると知っている人は少ない。


 ごくたまに雑誌なんかでファッションモデルを務めているハルちゃんを見る――そしてわたしはその雑誌を買う――けれど、ハルちゃんは見られることを内心ではイヤがっているようなので、決してわたしは雑誌で見たなどとは言わない。


 わたしはそうやっていつか、大人になるころにはハルちゃんはそういうことをやめてしまうんだろうな、と思っていた。


 ハルちゃんの美しさを思うと、ちょっともったいないなという気もする。


 けれども当のハルちゃんがそれを望んでいないのだから仕方ないと、わたしは自分を納得させていた。


 ……させていたのだが。


「ねえねえ、茨目くんてどの子?」


 ちょうど廊下側、出入り口のすぐそばに席があるわたしは、登校してきてこの方、上記のセリフを何度も聞かされてうんざりしていた。


「今はいないよ」

「えー」

「なんだー残念」


 だから、ちょっとくらいウソをつくのだって、大目に見てもらえるだろう。だれにかと問われれば……神様とか、だろうか。


 わいわいがやがやとした昼休みの喧噪の中で、先ほどハルちゃんを探し求めていた女子――たぶん先輩だ――の背中を見送ると、机を並べていっしょに昼食を取っていたマコちゃんたちが、からかいの目でわたしを見る。


「「小姑」」

「……って言いたいんでしょ?」


 マコちゃんの声にかぶせて、わたしは同じ言葉を発する。


 するとマコちゃんは「なーんだ」と言って、またニヤニヤとした笑みを浮かべるのだった。


「わかってるじゃん」

「わかってないわけないじゃん」

「それにしても朝から大変だねー」

「私も別のクラスの友達に茨目くんのこと聞かれちゃった」

「え? マジで?」

「まあ、別学年まで拡散してるみたいだからしゃーない」

「茨目くんもいなくなるし……」

「蔦原くんといっしょにいるのかな?」

「やめてよー、トーコがジト目で見てるよ!」

「キャハハ」


 わたしの心中など露知らずというわけではないというのに、薄情な友人たちは、わたしたちの話題をオカズに昼ご飯を食べ進めているようだった。


 朝から続く、この喧噪の理由はハッキリとわかっている。


 ハルちゃんが出演したとあるCMが、昨日から流れ始めたからだ。


 ローカル枠ではなく、全国ネットで流れているらしい。


 それがどういうわけかあるSNSで「このCMに出てる子、美しすぎる」などという文言と共に違法アップロードされた動画がバズって――つまり大きな反響となって――たちまちのうちに我が高校にまで波及した。そういうワケ。


 ネット上では父親が有名な脚本家で、母親が元女優ということも大きな話題になっているようだ。突然大口のCMに出られたのもコネじゃないかとかなんとか、そういう方向でも話題になっている。実際のところは知らない。


 朝からハルちゃんはクラスメイトに囲まれて、それがひと段落すると今度は別のクラスや別の学年の生徒たちに囲まれて……。そういうわけで昼休みが始まると同時に、ハルちゃんは行方をくらませていた。


 ヨシくんもいないということは、もしかしたらハルちゃんといっしょにいるのかもしれない。


 放っておいてやれよ、ヨシくん。と思いつつ、こういうときは友人がいた方が心強いかもしれないとも思う。


 わたしがハルちゃんを追いかけなかったのは、単純に昼休みはいっしょにいるわけではないから。


 わたしにはハルちゃん以外の友人がいるし、ハルちゃんだってそうだ。多くはないけれど、だからこそそういう友人は大切にしなければならないと思う。だから、昼休みはわたしはハルちゃんといっしょにはいない。


 わたしはパックに入ったアイスティーを飲み込みながら、だからハルちゃんのそばにいられないのは仕方ないと、だれに向かってかもわからない言い訳じみた言葉を繰り返す。


「テキトーなまとめサイトができてるの見るとバズったなあって思うよね」

「え? そんなのもうできてるんだ?」

「すっかり有名人だねー茨目くん」

「元々学校じゃ結構知られてたけどね。あの顔だし」

「あんまり言ってやるなよー。トーコがブーたれてんじゃん」

「ブサイクになるぞ! トーコ!」


 そう言ってマコちゃんがわたしの頬をつつく。


 わたしはことさら頬の裏側に空気をためてやった。


 それを見て友人たちは弾けたように笑い出す。


 どうせわたしは道化ピエロだよと、拗ねてみる。


 そうだ、色々な事故みたいな偶然が重なって、ハルちゃんの隣にいるだけの……。


 そんな風にひねくれたことを考えつつも、わたしはこの騒ぎは熱病のようなものだと思っていた。


 つまり、のど元過ぎれば熱さ忘れる。大衆はハルちゃんという存在を一時的に、一瞬のあいだだけ消費するのみで、その熱は長くは続かないのだと。


 わたしは、たぶん、そう思いたかった。


 けれども事態はわたしの思い通りには動いてくれない。人生なんてそんなもんだよとばかりに、行って欲しくない方向へと進んで行く。


 恐らくはハルちゃんを有名にしたいらしいおばさんの意向もあったんだろう。


 ネット上でプチブレイクした好機をそんなおばさんが逃すはずもなく、ハルちゃんの周囲はにわかに騒がしくなって行くばかりだった。


 そしてハルちゃんは徐々に学校を遅刻してきたり、欠席することが多くなった。


 もちろんそういうワケだから、家の近いわたしといっしょに登下校……なんてことも、どんどん少なくなって行った。


 ヨシくんと三人でアレコレとおしゃべりすることもなくなった。


 自然、わたしはヨシくんともしゃべることがなくなった。


 もともと、ハルちゃんを巡ってやりあっていた仲なのだ。当のハルちゃんがいないとなると、わたしたちにはてんで接点がない。クラスメイトだからと言って、男と女ではしゃべることもない。


 なんとなく、いつもいっしょにいるような感覚だったから、わたしはその事実に直面して静かにショックを受けていた。


 けれども、そんなことはだれにも話せなかった。きっと茶化されて終わってしまうだろうから。


 唯一話せるだろう友人であるハルちゃんは、ずっと忙しそうにしている。


 チャットアプリでやり取りしてはいるけれど、ハルちゃんはあからさまに言葉少なになって行ってるようだった。


 そのことにわたしはもやもやしたものを感じてしまう。


 近い感情は、「さみしい」だろうか。


 けれどもそんな感情をハルちゃんにぶつけても、どうしようもない。


 ただ、忙しいハルちゃんを困らせてしまうだけだ。そう思うと、わたしは黙ってしまうしかない。


 マコちゃんたちもいるというのに、なんとなくわたしは、急にひとりぼっちになってしまったような感覚に陥った。


 ハルちゃんはどう思っているんだろう?


 ヨシくんはどう思っているんだろう?


 そう思っても、だれにも言えない。


 そもそもヨシくんとは個別の連絡先を交換してすらいない関係なのだと、こういうことになって、初めて気づいた。


 けれどもどうしようもなくて、どうしようもできなくて。


 ただひたすら時間だけが過ぎ去って行くばかりだった。

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