酸欠改造

エリー.ファー

酸欠改造

 私は雨の日だけ、煙草を買いに行くようにしている。

 何故か。

 単純だ。

 雨の日は頭痛がひどいのである。本当に朝から痛い。食事も満足に取れない程に痛い。

 だから。

 雨の日はニコチンを体の中に入れて、体を落ち着けるようにしている。

 そうやって、自分の時間が質のいいものになるよう努力をしているのである。

 自分のことが少しずつ嫌いになっていく感じがする。

 そんなことを思ったりもする。

 数か月前のことである。

 私の手の中にあった煙草が誰かの腕に当たったのだろう。叫び声を聞いた。小さなものであったし、別に犯人捜しをしているような雰囲気もなかった。

 だから、僕は特に気にも留めなかった。

 けれど。

 もしも、その声の主が子供で、僕の煙草がその子の目に入っていたらと想像してしまう。

 別に、ただ歩きたばこをやめればいい、ということなのだけれど、話はそこで終わらない。たぶんだけれど、私は歩きたばこをやめられない。どんなに注意しても煙草を吸いながら歩いてしまう。

 止められないのだ。

 

 雨が降ると白骨をおもいだす。

 僕の母親は元々、横断歩道の下に住んでいた。ぼくだってそうだ。高架橋から眺める自分の家が大好きだったし、母親のことももちろん好きだった。物心ついたときから僕は一人で、何もかも自分で準備しようとしていた。それはたぶん、母親に迷惑をかけたくない、という思いからだったのだと思う。

 僕は。

 ある日。

 母親が白骨化して横断歩道に引っかかっていた。

 黒の中から白い棒にさらわれた体。

 僕は泣きながらその母親の白骨を手にしようとした。けれど、大人たちには止められた。

「はしたない。」

 その言葉が胸に突き刺さる。

 はしたないような行動でも、しなければ表現できないだろう。

 何が。

 何の話だろう。

 これは。

 僕はそれから劇作家になった。


 雨が降るたびに、僕は雨を思い出す。

 どんな形になったとしても、僕は雨の中にいた時のことや、その雨の中にいなかった時のことを思い出してなんとも言えない気持ちになるのだろう。

 雨が降ればいいのに、などとは思わない。けれど、雨が降れば、その雨粒が視界に映るので、雨を頭の中に思い浮かべやすくなる。だから、雨について思いたい時に、雨が降って来てほしいと思う。雨が降りそうな日は、いつもその前日から雨についてあらかじめ考えておいた方がいいのではないか、とそわそわそしてしまう。でも、結果的に、雨について考えるかどうか、というのはその日になってみなければ分からない。

 少なくとも、僕は雨が好きだ。

 本当に好きだ。

 雨の中にいる時間をないがしろにしないように常に貴重な種運管瞬間の連続なのだと思うようにしている。

 僕はもう、煙草は吸わないだろう。

 白骨した何かに、自分を重ねることもしないだろう。

 ただ、雨の中だと足音も自分の影も消えてしまうので、どこにでも逃げていける気がして非常に愉快だとは思う。

 それだけだ。


 雨が降ると、僕は僕になろうとする。

 いつか。

 僕は僕のことを殺すだろう。

 それからゆっくり、本当に雨に濡れることで丁寧に白骨になる。

 誰も知らない速度と、高い音を出しながら白骨になる。

 止めないでくれ。

 できやしないことなんてない。

 そういうことだ。

 そういう。

 ことなんだから。

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