権力至上主義世界の会長戦挙

黒川諒一

第1話 友情



”雨が降っている。


ゴミの散乱した悪臭を放つ路地裏に、幼い少年と、制服を着た少女の姿があった。


「お姉ちゃん……なんで……?お姉ちゃんしっかりして!お姉ちゃん!!」


少年が必死に呼びかける。


長い黒髪の少女は、血溜まりの中に不自然に横たわっていた。押さえられた胸部からは、鮮血がじわじわと湧き出している。


「朔ちゃん。もう…お姉ちゃんは、ダメ。血を流し過ぎちゃったから」


「なんで……どうしてこんな……」


「朔ちゃん。お姉ちゃんはね、この世界の競走に負けちゃったの。競走に負けるとね、踏み台として押し潰されるがまま、それに抗う権利も、力も奪われる」


「そんなの、おかしいよ……」


少年が呟くと、少女は愛おしそうに微笑み、幼い頬に手を当てた。


「朔ちゃんが……この世界を変えてね」”






──────────ここは、超権力至上主義国家「セカイ」=世界。


現状の権力至上の発端は、第五次大戦後の混乱にある。


度重なる戦争で次々と政治が変動し、人々の価値観は変わっていった。


いつの間にか世界では、過度に権力が重視される社会システムが構築されていた。


権力の判断基準は、主に家柄や学歴や職、要するに”肩書き”である。


つまりこの世界は、肩書きを取った者勝ちのディストピアなのだ。






─────────4月の麗らかな午後。


私立帝王学園高校では、新しい学年としての最初の授業日が終わろうとしていた。


華々しい日であるはずが、新三年生の顔触れはどこか暗澹としている。

───その理由は、毎年七月に行われる生徒会長選挙。


この世界には高等学校より上位の教育機関が存在しない。


よって、世界公認のS級難関高校で会長の肩書きを得た者には、少なくとも官僚クラスの職が与えられる仕組みになっていた。


私立帝王学園高校もまた、そんなS級高校の一つである。


三年生の人生を左右するこの生徒会長選挙は、毎年怪我人や失踪は勿論、時には死者が出ることもある───文字通り、命懸けの戦いなのだ。




(…………俺は姉貴とは違う。命懸けなんて、ごめんだ)


三年C組の柳 朔也(やなぎさくや)は、校庭の桜を穴があくほど見詰めていた。


別に風情を楽しみたいわけではなく、少しでも会長選挙から思考を遠ざける方法を探している。


「新三年生の諸君、改めて、進級おめでとう!」


C組の新担任となった山内が、下校前のホームルームを聞き飽きた祝辞で切り出した。


「──────早速だが、三ヶ月後には生徒会選挙がある。明後日には立候補した生徒の名を開示する予定だ。

立候補する者は、明日までに必要事項を資料に記入の上、選挙管理委員会に提出すること。以上」


山内は癖のある胴間声で言い終えると、足早に教室を後にする。


途端、教室内が一斉に騒がしくなった。

胸を躍らせる者、絶望する者、恐怖する者、反応は実に様々だ。


「くっ…………」


ふいに、耐え難い頭痛が柳に襲いかかる。

目を瞑り、強かに額を押えた。


(─────まただ)


柳の脳裏に、胸を血に染めた少女の残像がチラついた。






「─────────柳くん、大丈夫?」


透き通った小鳥のような声と共に、真っ赤な幻覚が霧消する。


突然、視界に仄かな桃色の髪が映ったかと思うと、クラスメイトの小川 長閑(おがわ のどか)が柳の顔を覗き込んだ。


「え、何が!?」


驚きを隠す暇もなく、柳は滑稽な声を上げてしまう。


「なんか柳くん、元気無い。辛そうだよ。最近は特に」


「そうかな」


「うん、二年の三学期から元気無い」


「……そうかな」


「そうだよ。いつも一緒に居るからわかる」


小川は躊躇うように続けた。


「…………会長選挙の、こと?」


「……」


図星である。


「約束しちゃったんだよね、お姉さんと」


「ああ」と、柳が絞り出した声は酷く掠れていた。


「柳くんの人生だから。大事なのは、柳くんがどうしたいかだよ」


柳は小川の顔を見上げた。

澄んだ綺麗な瞳が、真っ直ぐこちらを見詰めている。


「──────────柳くんがどんな選択をしても、私は柳くんの味方だから」


小川は、そう言ってふわりと微笑んだ。


彼女の言葉はありきたりかもしれない。

しかし、どうやら言葉の力とは、それに乗せられた思いの丈によるようだった。


実際、柳は肩に重くのしかかっていた鉛が、小川のおかげで軽くなったように思った。


────それほどまでに柳は、会長選挙の存在に追い込まれてしまってた。




「おーい、お前ら帰らねぇの?」


色褪せたお下がりの制服と、癖のある明るめの茶髪─────同じクラスの音岸 達樹(おとぎしたつき)が、廊下で柳と小川を呼んだ。


「待って、今行く!」


小川が廊下に向かって叫ぶ。


「帰ろ、柳くん」


俯く柳に、小川は優しく手を差し伸べた。




──────横断歩道も信号もない帰り道。


「今年も同じクラスで良かったね」などと、他愛のない会話が弾む。


柳、小川、音岸の三人は、寂寞としたボロアパートと空き家だらけの街を歩いていた。


どこもかしこも薄汚く、ゴミと落書きに溢れている。


そうかと思えば、遠目には煌びやかに気取ったマンションや高層ビル、カジノやハイブランドを専門としたショッピングモールなどが、電飾を纏って立ち並ぶのが見えていた。


─────この小さな風景が、そのまま格差に歪んだこの世界を表しているのだった。


ギュルルルル………


ふいに音岸の腹が鳴った。


「正直な子は手を挙げようねー」


極めて自然にボケる音岸に、透かさず柳が「お前だよ」と突っ込む。


「バレた?」


「口も腹もうるさいからなお前」


「まぁ二枚舌なんで」


「誰が上手いこと言えと」


いつもと変わらない雰囲気だが、小川だけは心配そうに音岸の様子を見守っていた。


音岸が最近、「忘れた」と言って弁当を持参していないことを気にしているのだった。


「どうした小川?俺の顔が眩し過ぎた?」


小川の視線から気持ちを察した上で、音岸は敢えて巫山戯てみせる。


「それを言うなら『何か付いてる?』とかでしょ!」


「他人の腹事情気にする前にさ、自分に栄養付けた方がいいんじゃない?」


「え?」


音岸は横目に小川の胸を見た。

主と同じく、自己主張に乏しい。


「あるべきところに肉付いてねぇもん」


「ピッピーッ!セクハラ発言でーす!厳重注意でーす!次やったら大人しく、小川特性チョコクッキーを試食するように!」


音岸の家は貧しいが、彼は憐れみから何かしてもらうことをあまり喜ばない。

小川はそれを知っているからこそ、このような言い方をしたのだった。


「んじゃ、今日はお言葉に甘えちゃおっかなー」


「あ、ダメだよ!まだ材料が……じゃなくて、まだイエローカードなんだから!」


「何?それってもう一回言って欲しいってことなの?」


音岸は何でもない顔で平然とそんなことを言う。

小川は自分の発言の致命的なミスに気付き、真っ赤になって噴火した。


「はい、レッドカード」


立ち止まる二人を置いて、柳がしれっと通り過ぎる。


「無理すんなよ」


二人に背を向けたまま、柳は音岸に対して言った。


「…………俺、最近ずっと野菜食ってなくてさ。久々に外食してみたい気分なんだよな。進級祝いってことで、今日は三人でレストラン行こうぜ」


それを聞き、小川がぱぁっと笑顔になった。柳が自分と同じ気持ちで、音岸を気にしていることが嬉しかったのだ。


「うん!!お祝いしよ!!みんな頑張ってる!頑張って生きてる!」


小川は柄になく、興奮気味に賛成した。


数十年前ならば、高校生が友人と外食に行くことは日常茶飯事だったらしい。


また、毎日野菜を食べ、バランスの良い食事を摂ることも、一般家庭で当たり前に行われていたそうだ。


しかし今の世界で、日常的に野菜を食べ、外食にあり付けるのは、ほんの一握りの権力者を有する家庭である。


音岸はもちろん、柳や小川にとっても外食はかなり珍しいことであった。

パーティだと言ってはしゃぎ出す柳と小川に、音岸も思いがけず口元が緩む。


「バッカだなぁ……お前らだって、そんなに余裕無い癖に」


笑い混じりに独り言を呟く音岸の瞳は、微かに濡れていた。


「ジュース代は私ね」


「え!?他は全部俺?」


「そんなわけないよ、デザート代も出す!」


「デザート食べるのかよ。ていうか、割り勘ではないんだね……まぁ俺が言い出したから全部出すけど」


いつの間にか柳と小川に前を歩かれていた音岸は、二人を追いかけ、間に入って肩を組んだ。


そこには普段の音岸のヘラヘラした笑いではなく、自然と湧き出た笑顔があった。


この時、音岸が感じた友情という幸福を、柳と小川もまた、ひしひしと感じていた。

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