手に入れることを諦めた俺と、幸せを失いたくない私。

@kamosan

手に入れることを諦めた俺と、幸せを失いたくない私。

 あなたの夢は何ですか?


 俺には夢がありません。


 子供の頃に憧れたのは、筋肉マンとか、ガンダムで、キャプテン翼の大空翼に憧れて、サッカーボールを蹴ったりしたこともあったけど、ロベルト本郷は現れず、オーバーヘッドキックも出来ず、自分が大空翼になんか、なれっこないと思った時には、もうサッカーボールには見向きもしなくなるような、それは到底夢と呼べるようなものでは無かったし、何かを目指して何かをやり続けるということも無かった。

 

 簡単に言えば飽きっぽい性格だった。


 そう、俺には子供の時から夢なんてなかった。


 俺の名前は下地タカシ、四十歳、独身だ。

 父は島の出身で、母は内地、神奈川の出身だ。


 母がこの島に旅行で来ていた時に、父が、ここパラダイスビーチで声を掛けたのが馴れ初めらしい。


 つまりナンパだな。


 一人っ子だった俺に、父と母は、きっと愛情を注いてくれて、俺の欲しがるものは何でも与えてくれた。


 戦隊モノや仮面ライダーの、1年経てばまた新しいものが売り出されるようなオモチャも、まんまとオモチャ業界の罠にかかったかのように毎年買い与えてくれ、ローラースケート、スケボー、ファミコン、自転車、果てはギターやドラムセットから、オートバイ、パソコン。


 行き当たりばったりに、欲しくなったものを何でも買い与えてくれた。


 でも。


 それでも。


 俺に、夢は与えてくれなかった。


 父が工事現場の事故で死に、母が若年性アルツハイマーから廃人のようになったのは一年前のことで、高校卒業後、なんとなく行った沖縄の大学を中退し、すぐに島に帰った俺は、アルバイトを転々として、いわゆるニートだったわけだけど、そんなわけで今は仕方なく、まぁ、なんとなく介護施設で働いているってわけだ。


 彼女いない歴は、これまでの人生の長さと変わらず、今更そんな期待すら持ちたいとも思っていない。


 俺は一生独身だ。


 自分で、自分に魅力なんてないのは十分分かっている。


 そう、俺はもう人生の全てを諦めたのだ。


 人生に期待をするのは辞めたんだ。


 もともとなりたい自分なんてなかったし、望んだってどうせ何も手に入りゃしない。


 俺にとっては、このパラダイスビーチで海を眺めながら缶チューハイを飲むこの時間だけがリアルであり、生き甲斐であり、人生なんだ。






 あなたの夢は何ですか?


 私の夢は笑顔の絶えない、笑い声の絶えない、そんな幸せな家庭を手にいれること。


 夫には安定した収入があって、子供は3人ぐらいがいいかな、私は専業主婦をして、ずっと子ども達の成長を見守りながら家庭を守るの。


 子供の頃に憧れたのは、シンデレラ、ただただ幸せになりたくて、でも、それがいくら待っていても手には入らないと分かった時、私は貪欲に幸せを、楽しいことを求めるようになったの。


 私の名前は長濱アイカ、二十歳

 

 この島と橋でつながっている離島出身の母は、未婚の母で、生まれた時から父の存在はなかった。


 母は私を身ごもったことで両親に勘当されたから、ずっと親一人子一人だった。


 母は朝から夜まで働きっぱなしで、母とした会話も、家族団欒の記憶もない。


 そんな母は、私が十五歳の時に生活の苦しさから、私を残して自殺した。


 母は、私に何にも残してくれなかった。


 父も、家族の団欒も、兄弟も、笑顔も、お金も、何にも残してくれなかった。


 私はおばぁの家に引き取られ、高校を卒業してすぐに寮のある介護施設に入社した。


 1日も早く、おばぁの家から出たかった。


 私はね、今までの人生を全部否定したいの。


 全部無かったことにしたいの。


 もっと、もっと明るく楽しく生きたいの。


 今はね、少しずつだけど、私が手に入れたかった幸せが、少しずつだけど自分のものになろうとしてる。


 友達が出来て、自分の稼いだお金で朝まで飲み歩いたり、欲しい服やアクセサリーを買って身につけたり。


 安定した収入には程遠いけど、俳優を目指している彼氏だって出来たの。


 だから私の人生は今、確実に幸せに向かっているの!


 そう今だって幸せ!


 だから、今はこの幸せを失うことだけが怖い。


 この幸せは、何があっても失いたくない。


 もう、あんな私には戻りたくないから。






 俺は毎日仕事の後、夜勤の後には、ここパラダイスビーチで缶チューハイを2本飲むのが日課だ。


 いつも決まって2本だ。


 これが、きっと、この先も、ずっと俺の人生の中の一番であり、唯一の楽しく幸せな時間。


 海は穏やかで、波一つ立っていない。


 大きな雲は、夏の始まりを告げていた。


 ただ穏やかな海を見つめ、時折缶チューハイに口をつける。


 いつもは数人の観光客がいるビーチだか、この日は周りに人影はなく、まるで俺だけのプライベートビーチだ。


 足下には小さなヤドカリが歩いている。


 職場では毎日ロクな出来事もなく、見たく無いものは見ないように、聞きたく無いことは聞かないように、そんな風に毎日を過ごしている。


 俺の職場、そう、介護施設は、お世辞にも入所者に対して優しいとは言えず、ハッキリ言えば良い施設ではない。


 それでも、そんなもんだと、ただ目の前のことにだけに集中していた。


 パラダイスビーチを独り占めしているからか、今日はなんだか気分が良い。


 いつもは2本と決めている缶チューハイを飲み終え、俺は近くのコンビニで缶チューハイ二本を買い足した。


 しかも調子に乗ってか500ミリリットルのだ。


 やがて日は落ち、夜の帳が下りると、俺は酔っ払ってきた。


 満天の星空と、天の河を眺めながら、ふと、俺は眠りに落ちていた。




 どれだけの時間が経ったろう。


 「タカシ!タカシ!」


 「ん?」


 ゆっくりと目を開けると、そこには同じ介護施設で働くアイカの顔があった。


 長い黒髪が俺の顔をくすぐった。


 「アイカ…?…あれ?、ヤベー俺寝てたんだ」


 「え?、あんた喋れるわけ?」


 「当たり前だろ、喋れるさ」


 「でも、みんなタカシは喋れないって言ってるよ?」


 「それは、勝手にみんなが言ってるだけだし、ただ喋るのが苦手なだけだよ」


 「すごーい!あんたの声聞いたのアイカだけじゃない?、なんだかラッキー!」


 「なんで、お前がここに居んだよ」


 「飲み会の帰りー」


 ふーん、と俺は緩くなった缶チューハイに口を付けた。


 アイカが続ける。


 「あんたさーここだけの話、職場のみんなから大分嫌われててるよー?キモいって。」


 アイカは酔っ払っているからかズバズバと聞きたくもないことを言い出した。


 「…知ってるよ」


 「知ってるの?」


 「知ってる、でも別にいい」


 「ふーん」


 アイカが続ける。


 「みんなに好かれたいって思わないの?」


 「思わない」


 「そう、じゃあね、アイカはね、あんたの利用者さんに接する態度は好きだよ。しゃべんないけど優しさは伝わる。どう?、残念でした。あんたのこと良く思ってる奴もいるんだからねー」


 そう言ってアイカはアカンベーをした。


 「でもさ、それにしてもあんた暗いよね、まーっくら。アイカさ、本気であんたしゃべれないと思ってたから、誤解されるのも仕方ないなーって思ってたけどさ、なんでしゃべんないわけ?、さっきも言ったけど、あんたの仕事ぶり好きだよ?、いいと思う。他の先輩たちの仕事ぶりって、何だかなーだもん。変なの。」


 「変でいい。」


 「ねぇ、あんたは、彼女もいないんでしょ?、お父さんも居なくて、お母さん施設にいるんでしょ?、幸せになりたくないの?」


 「…何でそんなこと知ってんだよ」


 「先輩たちが言ってるから」


 「諦めてるから」


 「え?」


 「お前が来なけりゃ、ここにいる時間が俺にとって最高に幸せだし、今以上なんて望んでないし…もう俺は諦めてんだよ!、お前には分からないだろ、失っていく辛さを、俺はなぁ、もう何もかも諦めたいんだ、もう何にも期待したくないんだよ!」


 「アイカはね!」


 俺の言葉を打ち消すように、少しイライラした調子でアイカはしゃべり始めた。


 「生まれた時から家族は母1人、それだけだった。未婚の母は親から勘当され、アイカはね、毎晩仕事から夜遅く帰ってくるお母さんを待つ、ただそれだけの毎日だったの。私が十五歳の時、そんなお母さんが自殺したの。このパラダイスビーチでね!、何がパラダイスよ、バッカみたい。今日はお母さんの命日、本当は来るつもりじゃなかったから、友達と朝まで飲みまくってやろうと思ってたのに…飲み会早く終わっちゃったし何となく来ちゃった」


 アイカは続けた。


 「アイカはね、幸せになりたいんだ、今までの過去は全部否定したいの、幸せになって、幸せな家庭を作りたいの!、あんたはきっといい人だと思うし、利用者さんに対する態度は良いって思う。でも、ごめん、アイカ、やっぱりあんたのこと嫌いだ!、今嫌いになった!、今はもういなくても、あんたにはお父さんがいたし、今も病気かも知れないけどお母さんもいる。あんたは何もかも持っていたのに自分から手放してんだ!、お父さんは、お母さんは、あんたにどうなって欲しかったと思うの?」


 アイカは小さく「あんた弱虫だ。」と呟き、更に続けた。


 「アイカはね、手に入れたものは絶対に離さない。もうあの頃には戻りたくないから。今あるものを失なうのは怖いから。…アイカ、帰る」


  アイカはそう言って居なくなった。


 俺にとって、名前の通りだったパラダイスビーチは、アイカにとってはパラダイスなんかではなかった。


 パラダイスビーチの空を見上げると、流れ星が大きく尾を引き流れた。


 俺は、何の願い事をすることも出来なかった。


 程なくして、アイカは職場である介護施設のンツナカ荘を退職した。


 何でも彼氏と一緒に沖縄本島に行くらしい。


 アイカは、きっと幸せを手に入れたんだな。


 俺は、そんなことを思った。






 私は、彼と一緒に沖縄に引っ越した。


 彼はコンビニでアルバイトをしながら俳優を目指している。


 私は、沖縄でもまた介護の仕事に就いた。


 アパートは私の名義で借り、彼のスクールの授業料を払うために夜勤も自ら進んでした。


 彼の力になりたいから。


 彼を失いたくないから。


 彼が望むことを精一杯、笑顔で応援したかった。


 だけど、次第に彼は、アパートに帰らない日が多くなっていった。


 認めたくないけど、どうやら他に女がいるようだった。






 俺はと言えば、相変わらず仕事帰りに、パラダイスビーチで缶チューハイを飲むのが唯一の生き甲斐だった。


 でもあの日から、アイカの言葉が頭の中に何度も繰り返されるのだった。


 「あんたは何もかも持っていたのに自分から手放してんだ!、あんた弱虫だ。かぁ…、あれから今日で、ちょうど1年だ。1年?、ってことは、アイカのお母さんの命日?」


 「あったりー♩、よく覚えてたね」


 アイカが俺の後ろから、満面の笑みを浮かべて現れた。


 長い黒髪が風に揺れている。


 「命日だから、帰ってきたわけ?」


 「そうだよ…ってか、あの時の言葉、まだ根に持ってた?。ごめんね」


 そう言ってアイカは俺の隣に座った。


 今まで体験したことのない女の子との距離に俺はドキマギしてしまった。


 「アイカね」


 不意にアイカが話し始めた。


 「一年前、あんたと喋っていたら無性にイラついてきて、迷っていた彼氏との沖縄での同棲を決めたんだよね。正直迷うこといっぱいあったけど、あんたに言ったじゃない?手に入れたものは絶対に離さない。もうあの頃には戻りたくないから、失なうのは怖いからって」


 「うん覚えてる」


 「これは昔の自分を終わりにするチャンスだって、自分に言い聞かせて、彼氏を失うのが怖くて、それで思い切って沖縄に行ったんだけど…」


 「え?」


 「失敗しちゃった」


 そう言ってアイカは照れ笑いした。


 「彼氏を失いたく無い、嫌われたく無いって付いていった沖縄でさ、お金持ち逃げされちゃったの、どうやら他にも女がいたみたいでさ。あーあ、馬鹿だよねぇ。いつも何があっても明るく笑顔でいようと思ってたのに…昔の泣いてばかりいた自分には、もう戻りたくなかったのに」


 そう言ってアイカは泣きだした。


 …しばしの沈黙


 「俺さ。泣いたことないんだよね。いつもさ、傷つかないようにしてるわけさ。自分にも、誰にも、世の中にも何にも期待しないようにしているからさ、だから何があっても傷つかないし、悔しさもないし、涙も出ないんだよね。それで良いと思ってきたんだけど。なんだか、今はアイカが羨ましいよ」


「羨ましいって何よ!、アイカは彼氏に騙されてめっちゃ傷ついてんだよ?」


「ごめん、ごめん」


「アイカはさ、そんなに彼氏のことが好きだったの?」


「どうだろ、よく分かんない。誰かが側にいてくれたら、それで良かったのかも」


「なんだか、俺たち窮屈に生きているみたいだな」


「うん、そうだね」


「俺たち、本当は、どうしたいんだろ」


「どうしたいんだろうね」


 …ブブブ


 アイカのスマホが振動した。


 アイカは俺の顔を見て「彼氏、じゃない元カレから…」と言った。


 アイカは通話のボタンを押してから、スマホを耳に押し当てた。


 「うん、どこって?、島に帰ってる」


 アイカはぶっきら棒に答えた。


 「え?アパートにいないから?うん、事故?、うん、それでお金が必要で?、だから連絡なかったってわけ。」


 アイカはチラッと俺を見てから、すっと息を吸い込むと、「馬鹿にすんじゃねぇよ!、そんな嘘にいつまでも騙されやしねーっつうの!、アイカの人生はな、お前の為にあるんじゃねぇよ、もう二度と電話してくんな!」、そう怒鳴ってスマホのボタンを再び押した。


 「あースッキリした。アイカさ、失敗したくないから、失いたくないから、いつも人の顔色ばっかり見ててさ、そんでノリのいいキャラを演じてたんだよねー。アイツの顔色をさ、気にする程の価値がアイツにあると思う?、ないよね!」


 ふふ、ふははははは!


 俺は思わず大声で笑ってしまった。


 声を出して笑うなんて、何時ぶりだろう。


 「そんなに可笑しい?。あんたが笑うの初めて見た」


 「あぁ、久しぶりに笑ったよ。俺ってさ、1年前アイカに言われて思ったんだよね、俺には何でも揃っていた。父も、母もいたし、住む家もあるし、欲しいものは何でも買ってくれたし。なのに何で、こんなに虚しいんだろうって。俺って、結局何にも自分で決めてこなかったんだよな。こんな年になるまで、何となく生きてきちまった。俺も、今のアイカみたいになれるかな。周りの目なんて気にしないでさ、自由になれるかな。」


 「あんた周りの目なんて気にしていたわけ?」


 「気にしてるよ、気にしないようにしているし、気にしていないように振る舞ってるだけさ」


 「アイツらのことをさ、気にする程の価値が、アイツらあると思う?」、とアイカが悪戯っぽく言った。


 「ない!」、と俺。


 俺とアイカは声を上げて笑った。


 …ブブブ


 今度は俺のポケットの中でスマホが振動した。


 「覚えてる?ミユキさんからラインだ」


 「ってことは夜勤の交代?、交代とか言って結局ミユキさんは夜勤しないんだけどね。」


 「当たりだ、夜勤代わってくれってさ」


 俺は少し考えてから言葉を続けた。


 「あのさ、アイカ、俺、今からでも、手に入れられるかな。」


 「何を手に入れたいの?」


 「…自分」


 アイカはニヤッと微笑んでから、こう言った。


 「大丈夫、欲しいと心から強く思えば手に入るよ」


 「彼氏に騙されたアイカには言われたくないな」


 「彼氏は欲しかったけど、あの男は欲しい彼氏じゃなかったの!」


 「そうだな。」


 俺はスマホのラインからミユキさんに電話した。


 「ミユキさん?タカシです。え?、本当ですよ。悪いんですけど明日の夜勤は代われません。え?」


 俺はアイカを見た、アイカも俺を見ている。


 「明日、大事なデートがあるんで、他の人をあたってください」


 俺は直ぐにライン通話を切った。


 「誰とデートなのかなぁ?」


 「アイカ、心から強く思えば、手に入るんだよな?」


 「思わないよりかはね」


 「アイカ、明日デートしよう?」


 「やだねー」


 「なんでだよ、頼むよ」


 「本気さが足りなーい」


 「え?本気で?」


 うんっと咳払いをしてから俺は意を決して「明日!デート!お願いします!」そう言って祈るように頭を下げて頼み込んだ。


 「オッケーいいよ!」


 アイカは軽く返事した。


 「朝まで付き合ってもらうけど大丈夫ー?」


 「んー中年には、ちょっと辛いけど、頑張るさ、夢のためだ」


 「あれ?、夢なんて無いんじゃなかったの?」


 「今出来た」


 「何?」


 「夢を持つこと、それが俺の夢だ」


 「へーなんかカッコいいんじゃない?」


 「本気?惚れてもいいんだぜ?」


 「無理無理、おじさんなのにー」


 「俺、アイカと一緒にいると、自分を変えられそうな気がするんだ」






 俺にとっての、今まで体験したことの無いような楽しい時間は終わり、アイカはオバァの家に帰っていった。


 次の日、アイカはラインで、約束破るけどごめんね?と、告げ、沖縄に帰っていった。


 ガッカリしたけど、アイカは絶対、いつか島に帰ってくる。


 今まで一切の期待を持たないようにしていた俺は、不思議とそう確信し、期待していた。






 あのままタカシとずっと笑い合っていたかった。


 でも久しぶりに会うオバァとの約束を破るわけにもいかず、日が変わる前には、オバァの家に着いた。


 タカシとのデートの約束は本気だったけど、あの後も何度も電話をかけてくる、あの男との決着をつけるべく、私は次の日の一便で沖縄に渡った。


 あの男は泣きながら謝ってきた。


 どうやら女に捨てられたのだろう、考えてみれば、薄っぺらい男だ。


 私は、俳優を目指しているという、そこそこ整ったその顔に一発ビンタを喰らわした。


 なんでこんな男を繋ぎ止めたかったんだろう。


 この男は、生きることにぜんぜん真剣じゃない。


 まだ必死に、自分にも、世の中にも期待しないように、そう思い込もうと生きてきたタカシの方が、真剣に生きているように感じていた。


 私は、失うことが怖かった。


 でも。


 今は思える、失ったなら、またやり直せばいい!


 また手に入れればいい。


 自分を偽るくらいなら、失うことなんて怖くない。


 私は、何時でも、何度でもやり直せる!






 それから、何度かの台風が来て、パラダイスビーチにも秋の気配が漂っていた。


 渡り鳥が空を舞い、朝夕は大分涼しく、冷たい風が吹き始めていた。


 半ズボンだけど、ジャンパーを一枚羽織った俺は、今日もパラダイスビーチで缶チューハイを飲んでいる。


 俺は、あの日から、アイカとデートの約束をした次の日から、夢を持った自分を手に入れる為に、職場でまず挨拶をすることから始めた。


 あの時のみんなの驚きようといったら忘れられない。


 アイカにも見せてやりたかったな。


 自分の意見を言うことにもした。


 何だろう、自分を変えてみて初めて分かったのは、自分が変わると、周りまで変わってくるということだ。


 少しずつ自分に笑顔が戻り、自分に自信がついてきたように感じられる。


 それでも、このパラダイスビーチでの時間は、俺にとって変わらず大事な時間だった。






 「タカシ!」


 あの日のように、俺の後ろから突然アイカの声がした。


 アイカは長かった黒髪をバッサリと短く切り、まるで少年のようだった。


 今日はアイカのお母さんの命日ではない。


 「アイカ!…久しぶりだな、元気か?」


 「うん、元気。元彼とキッパリ分かれて、職場も退職して、今日、やっと島に帰ってきたよ。」


 「何だよ、そういうことは前もって教えてくれよ」


 「え?、期待してくれていたワケ?、何ににも期待しないタカシが?」


 「うん、期待していたよ、アイカが帰ってくること」


 「うわっ、キモっ、素直すぎ。で、欲しかった自分は手に入りそう?、夢は出来たの?」


 「そんな簡単には手に入らないよ、でも、いつか手に入るような気がする」


 「いつかって、あんた何歳よ?」


 「死ぬまでに見つかればいいよ」


 「いいんじゃない、そんな考え方も」


 「アイカは幸せな家庭は手に入りそうか?」


 「だから、やっと元彼と分かれたばっかりだって!、でも、それは幸せになるための一歩かな?」


 「デートの約束は生きてる?」


 「んー、うん、有効!」


 「よし!、じゃ、いまから行くか?」


 「今からー?」


 「また逃げられるかも知れないだろ?」


 「そうきたか…オッケーよし行こう!、でも朝まで付き合ってもらうからねっ!」




 「あなたの夢は何ですか?」


 「俺には夢ができた」


 「私には夢がある」


 「それは、いつか自分の夢を持つこと」


 「それは、いつか自分の夢を叶えること」


 「だからもう自分を諦めない」


 「だからもう自分を裏切らない」


 「傷つくことを恐れない」


 「そう、傷つくことを恐れない」


 「他人の目なんて気にしない」


 「他人の意見に振り回されない」


 「俺は俺だし」


 「私は私」


 「そして、お前はお前だ」


 「お前は、お前だ」


 「何でも無いような、同じことの繰り返しに思える毎日も」


 「決して同じことを繰り返す毎日なんかじゃない!」


 「昨日と今日は違うんだ」


 「今日の私と、明日の私は違う」


 「時間は常に進み、時代も常に変わっている」


 「私たちは確実に歳をとり、人生の終わりに向かっている」


 「自分で決めよう」


 「何となく生きるなんて勿体ない」


 「命がもったいない」


 「人生は一度きりなんだから」


 「誰のものでもない、この人生は俺のものだ」


 「誰のせいにも出来ない、この人生は私の選んだ道だ」




 居酒屋三軒ハシゴした末に、結局再びパラダイスビーチに戻って来た俺たちは、コンビニで買ったチューハイには手をつけず、黙って空を見つめていた。


 やがて辺りは薄っすらと明るくなり始め、朝陽が海を照らして行った。


 俺はそっとアイカの手をに握った。


 アイカは大袈裟に俺の手を振り払うと、悪戯っぽく微笑み、今度はそっと俺の手を握ってきた。


 海はキラキラと光り、どこまでも、どこまでも美しかった。






 おわり

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