第62話 必ず君を助ける
ベッドの端に腰かけ、こちらに顔を向けて眩しそうに目を細めた人には、かつてのような美しさはない。
すっかり汚れてみすぼらしくなってしまったドレスを纏い、小さくて華奢な足には靴も履いていなかった。
綿菓子のようなフワフワとしたベビーピンクの髪は、手入れをされていないためか、艶もなくボサボサになっていたし、青空を閉じ込めたかのようだった優しい色合いの青い瞳も、血走っていて赤くなっていた。
頭から足先まで、王族の女性に匹敵するほどのお金を掛けて丁寧に磨き上げられていた肌もくすみ、美しく施された化粧も剥がれ落ちている。
ただ、それでもまだ、容貌には愛らしさが残っていた。
(私の愛しい人……彼女で間違いない)
ヒューイットは込み上げてくる歓喜に身を任せてしまわないよう、自分の感情を押さえつけた。
「落ち着いてください、ユーミリア嬢……ですね?」
「え?」
背後で見張りについている近衛兵達に不信に思われないよう、さりげなく体をずらして顔を隠しながら、燭台の灯りを自分の顔の横へ持ってくる。
ユーミリアによく見えるよう、照らしてみせると、それでようやく彼女は誰が来たのか分かったようだった。
驚きに大きく目を開いて、食い入るように私を見る……私だけをっ。彼女の視線を独り占めできていることが嬉しくて、思わず口角が上がるのを止められなかった。
「し、神官……さま?」
思いがけない人の登場に声が上擦る。この牢に入れられてから、初めて自分の味方なってくれるかも知れない人が来たのだ。
急いで立ち上がるとギリギリまで近寄り、すがるように鉄格子を握りしめた。
その拍子に、ガチャリっと耳障りな金属音が鳴り響く。
思いの外大きな音が狭い地下空間に反響したことで、離れて様子を伺っていた分隊長達が身構えるのを感じた。
突如、響いたその音に警戒したらしく、前のめりになってこちらを見ている。今にも駆けつけて来そうだ。
(……マズいっ。それ以上はいけない! 早く何とかしなければっ)
見つからないようにと願いながら、何気なく唇の前まで手を動かすと一本指を立て、静かにと合図する。
(余計なことを言わないようにね……)
彼の意図を正確に読み取ったユーミリアは、声を上げそうになった口を慌てて閉じ、両手で押さえた。
そして分かったと言うように、コクコクと頷いてみせる。
(良かった。思いが伝わって……)
それでいいと言うように微笑むと、彼女もホッとしたように表情を緩めてくれた。
ユーミリアを静かにさせたヒューイットは、体ごと振り替えると鋭い眼差しを向けてくるマリエッタ・ソルジュ分隊長の方を向いて言った。
「大丈夫です。見知らぬ者の来訪に、彼女が少し驚いてしまっただけ。今はもう、落ち着いています」
だから何事もなかったのだと頭を振り、こちらに来ようとするのをやんわりと拒否する。
不満そうではあるが、相手は正規の手続きを踏んで面接の許可を得ている神官である。コクリと頷き、了承してくれた。
しかし、次はないだろう。慎重に振る舞う必要がある。
ユーミリアにも、ここからは一つのミスも許されないことを分かって貰わなければ……。
「
高貴な方々がどんな手を使ったのか知らないが、二人の間には面識はなかったことになっている。
脳筋の癖に以外と鋭いあの分隊長は野生の勘のようなものでもあるのか、しつこく関係を疑われたが、調査報告として提出された事前の資料ではそうなっているのだ。
納得出来ずとも、面会を許さない訳にはいかなかったのだろう。
「私は大神殿に所属する闇の神官、ヒューイットと申します」
「あ!? えっと、はい。あの、
――彼女は賢い。
ちゃんと私達が初対面だという設定が伝わった!
その証拠に、口から出る言葉は自然な会話を紡ぎながら、目はヒューイットの手を必死で追っている。
ホッと安堵のため息をつきそうになったが、気持ちを落ち着け飲み込んだ。
彼が見張りに見つからずに密かにユーミリアと連絡をとる手段として選んだのは、手話だったのだ。この暗闇では影になって、まずバレないだろう。
手話は、聖属性の素質を持った者が大神殿で学ぶ科目の一つ。
弱者を救済する役割を持つ神殿では、聖女候補者に選ばれたいなら必ず習得しなければならないと決められていた。
勿論、ユーミリアも聖女になるつもりだったので、ヒューイットに習いながら必死で覚えたものだ。それが今、役に立っている。
他の聖女候補者と比べると勉強不足が目立っていた彼女だったが、簡単な意志疎通には十分の技量だった。
「お会いできて良かった。中々、貴女への面会の許可が下りなくて大変だったんですよ」
「そう、だったんだ」
(ロバート様達も?)
(ええ、彼等も別々に軟禁されています。助けに来ることは難しいでしょう)
(……そう)
「はい。私の学術的質問に幾つか答えていただきたくてね。ですが、今日はそれほど時間はありません。早速、本題に入らせていただいても?」
「え、ええ。どうぞ」
ヒューイットの質問に答えてくれるユーミリアの声は、掠れてしまっていて聞き取りにくい。
貴族令嬢として暮らしていた彼女が今、こんなにも暗くて恐ろしい地下牢に閉じ込められているのだ。さぞ心細く、怖い思いをしたことだろう。
声が掠れてしまうまで、泣き叫んだのかもしれない。哀れを誘うが彼にはどうしてやることも出来なかった。
実は彼女のためにと水や食べ物の差し入れも持ってきていたのだが、黒の塔の入り口で全て、没収されてしまっていたのだ。
喉を潤してあげることすら出来ないなんて……苦しんでいる彼女に何もしてあげられない悔しさに、唇を噛み締める。
だが今は疑われないよう、淡々と会話を続けるしかない。
「それではまず、貴女が使っていた魔法の属性についてですが……」
「はい。それは……」
(必ず、助けに来る。それまでいつもと変わらずに過ごしていて欲しい)
(私、助かるの?)
(ええ、必ず。私がお迎えに上がりますから)
(わかったわ、貴方を信じて待ってます!)
何日にも及ぶ尋問に耐え、嬉しそうに微笑む彼女の強靭な精神を讃え、ヒューイットは目を細めた。
面会を許可され彼女のいる場所が特定出来たし、魔法が使える場所と使えない場所の確認も出来た。
脱走経路の道筋もついて、後は彼女の体力と精神だけが心配だったが、これなら大丈夫そうだ。
「ああ、もう時間ですね。では今日はこれで。また来ますね」
「はい、神官様」
( 次に来る時には、必ず貴女を自由に……!)
より一層、ユーミリアを脱獄させる決意を固め、名残惜しさを振り切って踵を返したのだった。
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