第20話 涙が溢れ落ちる
ロバート王子が、大勢の貴族がいる前でアンドレアを断罪し、ユーミリア男爵令嬢との関係を正当化しようとして、婚約破棄を宣言したあの瞬間……。
熱に浮かされ、正常な判断力を失ったかのような姿に、まだ痛んでしまう心を押さえ込み僅かに残っていた情も捨て去ったと思っていたのに。
「おかしいですわよね。キッパリと決別する覚悟を決めた筈ですのに、
「……アンドレア」
そう言ってまた、堪えきれなくなった涙を静かに流す。
そんな妹の頭を労るように撫で続けていたユージーンは、その手を背に回すと腕に力を入れて抱き寄せる。
慰めるようにゆっくりと擦ってから、親愛を込めてそっと彼女の額に唇で触れキスを落とし、体温を分け与えた。
アンドレアはその身分の高さと、きつくて派手な顔立ち、 他を圧するような堂々とした立ち居振る舞いのせいで、初対面だと傲慢な令嬢に見られがちだが、本質は聖魔法の持ち主らしくまっすぐで愛情深いことを当然ながら二人の兄はよく知っていた。
「責任ある立場の王族は、その責務をきちんと背負わなければいけない。殿下の生い立ちには同情の余地はあるが、それに打ち勝たないと。そのためのキャメロン公爵家の後見だったのだから。彼はいつから君にも私達公爵家の人間にも相談しなくなった? あの、男爵令嬢が現れるもっと前からだろう?」
「……ユージーン兄様。ええ、そうですわね」
「決定的になったのが彼の令嬢だと言うだけだ。そんな態度を取られ続けても、君は婚約者として相応しくあろうと努力を重ねた。裏切られて悲しむのは当然なんだよ」
王族としての役目も忘れ、婚約者以外の令嬢に溺れる愚かな王子を諫めたことで、決定的に関係が悪化したというだけのこと。
「君の厳しさは優しさの裏返しだ。殿下は気づかなかったようだけどね」
それを聞いていたアンドレアの瞳から、涙の滴がまた一つ、滑り落ちる。
しっかりと彼女の事を見ていてくれた身内からの、飾らない言葉と態度がありがたく身に染みた。
尚も次々と溢れ落ちそうになるのをぐっと我慢して震える息を吐きだすと、自分に寄り添い優しさを向けてくれる兄達に微笑む。
「兄様達……慰めてくださってありがとうございます」
「……お礼を言われるようなことはしてないよ。全部、本当のことだ」
「うん、そうだね。それだけ真摯に向き合っていたからこそ、やりきれない思いを抱いてしまうんだから。君の涙はその証だ」
必死で努力したそれは、あの方のためにだなんてそんな甘い理由ではなかった。
――この国の為となるならと、思っていたのです。
聖女として神竜様にお仕えすることが叶わなくなってから、彼の方の慈悲で長年に渡って守護してくださっているこの国を、その慈愛に相応しいものにしたかった。
第一王子の優しい想いの詰まった理想に共感したのも、聖女にならなくても王子妃として出来ることもあると気づけたから……。
そんな思いが、覆される日がくるなんて思ってもみなかった。
私の十年近くの努力は、あの子のたった半年に負けてしまったのかと。
――そう……冷静でいられなかったのは、実はアンドレアの方だったのかもしれない。
ドリー男爵令嬢が耳当たりのいい、実のない甘い言葉を囁くのを偶然、聞いてしまったことがある。
『王子殿下だからって、私達と同じ一人の人間でしょう? どうして貴方だけが、好きなことも出来ずに自分を押し殺して、我慢ばかりしなくてはいけないのかしら。そんなの不公平だわ……時にはご自身のために、時間を使ってもいい思うんです』
『いつも頑張っていらっしゃるんですもの。少しくらいお休みしませんか? 貴方に幸せを感じて欲しいんです。自分を偽っていては幸せになんて慣れないし、自分が幸せでなくっちゃ、人を幸せになんて出来ないと思うから。一緒に過ごせば、きっと楽しいわ……私は、あなたが自然に笑っている姿が好きです』
欲しがっていた、自分を甘やかしてくれる無責任な言葉……殿下はそれに縋りついてしまっていた。
普通なら、少しはハニートラップなどを疑ってもいいはずなのに、簡単に籠絡されてしまって……。 取り巻きの殿方たちも、きっと同じような手口で落とされたんだろう。
「まあ、調べてみないと分からないけどね。家族や婚約者、友人からの諫言もあっただろうし、引き返せる余地がなかったとは思わない。ドリー男爵令嬢自身の魔力量は普通なのだし、殿下達の方が多いのは間違いないのだからね」
「魔力総量が多い方が魔法耐性もあるからな。それに、例え複合魔法で精神汚染されていたとしても、本当に今まで一度も彼女の本性に気づけなかったということはないんじゃないか」
「うん。ただ、彼らにもプライドがあるだろうから。もし本当に彼女の本性に気づいていたとしても、そんな自分を認めたくないだろう。深入りしすぎた分、引くに引けない状態になっていたのかもしれないね」
「……そう、ですわね」
賢い皆様方のことですもの、そう考えるのが自然なのでしょう。
ともかくこれで二人の婚約は白紙に戻され、アンドレアは当初の予定通り、聖女としての道を正式に歩むことになる。
「早ければ明日にでも父上に呼び出しがかかるだろう。ただ、君はそれに出席しなくてもいい。家同士の話し合いになるからね」
「はい、兄様」
「陛下もこの結末では、もう神殿に無理を言えまい。今度こそ、聖女候補から正式な聖女に登用されるはずだ」
「決まったら忙しくなるからね。明日は、ゆっくりと休んだらいいよ」
「ユージーン兄様、
「うん? なんだい?」
「はい。明日は、神竜様の元へお伺いしようかと思いますの。事の顛末を早くお話ししたくて……」
「ああ、そうだね。彼の方も愛し子の訪れがないのをご心配なさっていることだろう。分かった。君がそれでいいなら行ってくるといい。ただし、無理をしないこと。いいね?」
「ええ、ありがとうございます」
彼の方と最後にお会いしたのはいつだったか……。
ユージーン兄様がおっしゃったように随分と経ってしまっているように思う。
ここ半年間は、殿下達とユーミリア嬢の醜聞に振り回され、中々時間が取れなかったのだ。
――早くお会いしたい。お元気だろうか……?
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